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私は人がこわい

子どもが幼稚園のころは、そう感じてなかった。授業参観に行くのも、ママ会に行くのも、楽しみだった。
今住んでいる町に引っ越してきてから、徐々に怖くなった。

🍃うちの窓を隣のうちの子に石を投げられて割られたとき「やめて」と言ったら、その子が泣き出した。泣いたので状況説明をしに隣の家にいくと、泣かせたことについて「うちの子に謝ってください」と言われ、とっさに謝ってしまった。それ以降、学校でその子による我が子へのいじめが始まり、何年も続いた。まさに戦い。子どもは荒れ、しまいには不登校に。私もうつになった。だれも助けてくれなかった。

🍃この町に引っ越しする前に保育士免許を取り、この町に越してから保育園に勤め始めた。勤めた園では、保育士が子どもを怒鳴りつけるのは日常茶飯事。時に手が出た。1歳〜2歳の子どもに対しても叩いた。かわいそうだし、助けられない無力感を感じた。勇気を出して役所に訴えても、全く関与してもらえなかった。なぜ、叩かれている子どもを誰も助けないの?自分もどうしようもできない。苦しかった。憤りを感じた。

🍃夫の実家の近くに引っ越してきた。祭の日、以前から無視されていた小姑から酒に酔った勢いで「おまえ、へらへらして感じ悪いんだよ」と突き飛ばされた。「大丈夫か?」と、私の夫や義父母が近づいていくのは小姑のほう。突き飛ばされ、床に横たわっている私のところを助けようとしてくれる人はいなかった。

上の2つの悩みを抱えながら祭り当日を迎え、突き飛ばされ、その後一人ぼっちで花火を見に行った日以降、花の水やりができなくなり、うつになった。

その後も続く、いじめ。そして不登校。

私は、今、人がこわい。
厳密に言うと、この町の人がこわい。

以前住んでいた町のコミュニティは、こわくない。他の土地の人と話すのも、こわくない。

引っ越ししてきてからの数年間の出来事で、私は人が怖くなったんだ。俯瞰してみると分かる。これらの出来事が、私の頭の中の大部分を今で占拠してるのかもしれない。当時、怖くて怖くて仕方なかったんだ。そして今でも怖い。ずっと占拠されている。怖くなって、当たり前の状況だった。

今は優しい人も世の中にはいることを知っている。私の心の中に、優しくて温かい思いができる場所が確実にある。まだまだ人がこわい。でも、その気持ちを俯瞰して、そこから距離をとり、温かい場所で私らしく生きられるようにしていこう。

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🌟人の悪口陰口はきらい。言わない。
🌟暴力もきらい。否定する。
🌟人には優しくありたい。

私の特徴も、これらの経験からきているのかもしれない。人のために。それよりも自分を守るために、そうしているのかもしれない。それでいい。私は温かい世間でいよう。

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