化粧しようと思い立ったのは、着飾りたかったわけではない。
顔を化粧道具で塗り固めていくと、知らず知らずのうちに厚い壁となる。時間が経つにつれ重くなるようで、いつしか頭を垂れている。それを溶かしきったあとの軽さは、羽が生えたかのようだ。
私は飛び去りたかったのだろう。彼女と共に。
とくにまつ毛を重点的に塗り固めようと思った。かつてないほど、夢中でまつ毛を塗っていたかもしれない。まつ毛に漆黒の液を重ねていくと、細々としていた一本がやがていきいきとしてくる。
今までうっすらとした存在感だったそれが、時間をかけて丁寧に施しをかけると、しゃんと胸を張った。ぼやけていた輪郭が、くっきりと浮き出して見えたのだ。
人間もこのまつ毛のように、施しをかけながら育つのかもしれないと思った。私も、彼女も。輪郭が遠くに見え始めた頃、誰かに見つけられる。
それは運命かもしれないし、偶然かもしれない。
私の目には光って見えても、他人は見落とす程度かもしれない。しかし誰かの目には留まるのだ、確実に。漆黒の一本が。
ー彼女はまともに映らないかもしれないし。
その人に悪気はない。むしろ私を想うが故の、その人なりの助言だということも知っている。だけど放たれてしまった言葉は、ずいぶんと私の脳裏でくすぶっていた。納得した風を装っていたが、傷を付けられたことには違いない。
真ん中で堂々輝いている人よりも、端っこで子気味いい存在感を放つ人が好きだ。長年染み付いた癖で、ついつい舞台の端に目を走らせる。そして私はいつものように、彼女に出会った。
なんて端正な人なんだろうと思い、目を奪われた。その時はこんなに、傷付くほど本気になるとは思いもしなかったのに。
かつて入れ込んだ贔屓が退団を発表する度、様々な心境に追い込まれたものだ。辛くて映像を見れなくなったこともあれば、退団後になって熱く追いかけ始めたこともある。あろうことか、他の人に浮気したことだってあった。惚れっぽさがたまに傷だ、などという陳腐な言葉が頭に浮かぶ。
ここまで一直線に応援し続けられた人は、18年の宝塚ファン人生において初めてだ。振り返ってみると、私の辛い時期は彼女と共にあった。彼女が舞台で息づいてくれていたから、私も荒波に立ち向かえたと言っても過言ではない。
劇場に資料を持ち込んで開演の直前まで仕事のことを考えていたこともあったし、心身共にくたびれきった状態で会いに行ったことだってあった。彼女のいきいきとした輪郭が、疲弊した私を鼓舞し続けてくれたのだ。
彼女は私の生きた証だった。
彼女もきっと、私のように彼女を見つけた人たちに応えようとしてくれていたに違いない。そして彼女は期待を大きく裏切り、最後の舞台を華々しく飾った。
もう端の方に目を光らせる必要はなかった。
空間を埋め、私たちの心に大きな爪痕を残した。
彼女はようやく漆黒の鎧を降ろせる。軽やかに、ありのままの姿で飛んで行ける。今後いったい何色に染まるのか、本人も分からない旅路であるだろう。
…漆黒に染めたまつ毛を丁寧に溶かそう。感謝を込めて。