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選んでいいの?    涙の告白②

娘とやっとわかりあえた気がして
嬉しかった。


テレビドラマだと、
子供が見違えるようにイキイキとして、
目を輝かせて学校に駆け出していく
シーンが映し出されたりするところ。

もしやそんなシーンが見られるのでは、と
ちょっと期待した。

思えばずっと長女の行動は
理解できなかった。
他の子供とも違いすぎて
その反応が予測が出来ずにいた。

小学校に通いはじめた時も、
「早く行かないと遅刻するよ。
 先生から叱られるよ!」
と言えば、
「怒られればいいだけじゃなーい。」
と、ひじをついて朝の子供番組を
のんびり見ている。

 7歳になったばかりである。
 なんだ、この動じなさぶりは。

2歳までは、ひとりっこだった時までは、
皆から赤ちゃん優等生と言われていたのだ。
無駄に泣かないし、コロリと眠ってくれるし
ニコニコ、キャッキャッと可愛いばかりで。

2人目の長男が生まれた頃から、
なんだか雲行きが怪しくなり始めた。
初めての男の子を1番喜んだのがおじいちゃん。
その喜びぶりにやきもちを焼いたのか、
小さな弟をいじめはじめた。

「私はずっとひとりっ子が良かった。」

そのセリフを高校生になっても
言い続けていた。

小学校の低学年では毎日のように
連絡帳でケンカの報告を受けていた。

小学校4年の時、教室で授業中に
男子と喧嘩して廊下に出され
その廊下でまたその男子と取っ組み合いの
喧嘩をして
バケツを持たされ立たされたのだ。
昭和な話みたいだけど、平成の話だ。
ユーモアのある、長女の大好きな先生の
お仕置きだった。

6年の時にはケンカして、
とうとう学校を飛び出した。
先生の心配をよそに、
泣きながら一旦家に帰ったものの、
別の友達と遊ぶ約束をしていたことを
思い出し、ケロリと学校に戻って行った時には
心底びっくりした。

学校という場所は彼女には戦う場所で
いつも誰かに噛みついていた。

そんなエピソード山盛りの長女だったけど、

今回こそは、もしや心を入れ替えて
何事も頑張ってくれるようになるのでは
なかろうか。。

が、やはり甘かった。


画を習いに行くことは嬉しくて
学校の帰りに速攻で通う。
しかし学校は相変わらず嫌いだった。

「なんで、検索すれば出てくるようなことを
  1日7時間も椅子に座って話を聞かなきゃ
  ならないの」

もっともな気もしたけれど、ルールなんだし
大学受験にも関わるしとなだめると
進級が危なくない程度に行くと言う。

はぁぁぁぁ〜 なのである。


やっぱりか、そうだよね。
あんなに熱く応援するから!って
言ったところで、
長女の本質がくるりと
変わってくれれば〜
変わってくれるかも〜
変わってくれたら〜と
思ったけど
変わらなかった。


私は長女との長年のバトルに
すでに疲れ果てていたし、
私の普通や常識が中身のない
ハリボテだったことに気づき始めていたから
進級できるを条件に、目をつぶることにした。

でも、私の気持ちはずいぶん楽になった。

ただただ休んだり、遅刻したり、
理由もわからずにイライラしていた時よりは
ずっとずっと
穏やかな表情で、

画の予備校に行く日は
張り切って登校するし、
重たい荷物もなんのその、
重すぎて自転車に乗るとヨロヨロするからと
学校から1時間近く自転車を押して
通っていたのだ。

もうこれでいいや。


やりたいことが見つかって
自分のペースで学校に行ってくれれば
それだけでもいいじゃないかって。

そう思ったら肩の力が抜けた。

ようやく、長女にも私にも 
小さな〇をつけられた気がした。

高校2年生の夏を迎える頃だった。
夏休みのオープンキャンパスの時期までに
志望校を見つけなければならなかった。
美術系の国公立の大学、
それが私達、親からの進路の条件だった。

美術系の国公立は少ない。
教育学部の美術系には興味がない。
そもそも学校が嫌いだし。
そしてセンター受験になるので
画だけではなく、学力も必要になった。

大分?広島?どこなら受かりそう?
親は受かりそうなところから考える。

でも長女にはすでに行きたい大学があったのだ。
ある意味無謀な。

高校2年の4月に草間弥生展に出かけていた。

「永遠の永遠の永遠」


全ての作品の解説を読み
ドキュメンタリーも見て、
彼女が精神病による自殺願望と戦うために
画を描いていたことを知った。

「草間弥生すごいんだよ。
 ドキュメンタリーを見て涙が出た。
 誰にも理解されなくて苦しんで
 苦しんで、でも画を描くことだけが
 救いだったんだよ。」

興奮気味に語っていた。
ありがたいことに高校生は無料だったし、
期間中3回見に行って、ずいぶん長い時間
そこにとどまっていたようだった。

そのころから決めていたようだった。
私が取り寄せた大学のパンフレットには
目もくれなかった。

「K大学の日本画に行きたい」


草間弥生の母校である。
よく知らなかったが、
日本で一番古い芸大なのである。

西のK芸、東のT芸大と言われるそうな。

 今頃から画を習いはじめて
 そんなところに行けるのか?

その疑問は正解だった。
画の難しさだけでなく、
偏差値も高かった。

兎にも角にも、オープンキャンパス。
とにかく目で見て、
本当にそこに行きたいのか
確かめて。 

長女は8月のある日1人で京都に向かった。
本当は少し不安だった。
バスの中で眠りこけて、
ipotをなくしたり、乗り過ごしたり、
1人で行動するとうっかりが多すぎる。

でもこれから先を思うと、
1人で行かせることにした。

案の定、朝寝坊をした。
きっちり立てて渡したスケジュールが
何の意味もなくなっていた。
京都駅から出ていたオープンスクール用の
巡回バスに寝起きの顔で飛び乗ったらしい。
京都駅から1時間かかるその大学は
思ったより小さかったそうだ。
でも至るところに飾られて
主張している画は
憧れを強くするには充分な
詩的な画だったらしく

すっかり決意を固くして帰ってきた。


画もさることながら、
低下した学力は
どうするんだろう。

本人はそんなこと
気にも留めていないようだが
そうそう学校も休めなくなることは
わかっていたようだ。
少し欠席が減ってきた。

秋が深まる頃

また事件が起きた。

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