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折り紙

長椅子に座っているおじいちゃんの
膝の上は
いつも息子の特等席だった。

幼稚園の制服を着たまま、
おじいちゃんのひざの上でする
おしゃべりは
はたから見ていても
しあわせそのものだった。

心臓にペースメーカーを入れている
おじいちゃんの左胸は
盛り上がって硬くなっていた。
だから抱っこしても
ここには頭をのせないようにと、
息子にも話していた。


ある日おじいちゃんが
嬉しそうに語った。

◯ちゃんが、
「おじいちゃんのお胸には
 キカイが入っているんでしょう?」
 「そうだよ。だから硬かろう。」
と言ったら、
「あのね、おじいちゃん。
 いつ食べたの?」
「うん?」
 と尋ねると
「いつ、キカイ食べたの?」
と聞いたらしく、
おじいちゃんはもうメロメロだった。
嬉しそうに
「◯ちゃんは、可愛かですねー。」
と、目を細めた。


息子はおそらく
おじいちゃんから
叱られたことは1度も
なかったと思う。

私が息子を叱り出すと、
息子はすぐにおじいちゃんの部屋に
逃げ込み、鍵をかけた。

ドアをノックして
「〇ちゃん、あけなさい!」
と言うと、
おじいちゃんが
「◯ちゃんはおらんですよ」
と見えすいた嘘までついてくれていた。

お散歩したり、
一緒に庭を掃いたり
焚き火をしたり
おじいちゃんのおかげで
息子は大きな愛に包まれた
幸福な幼年時代を過ごせた。

息子が始めておじいちゃんに
プレゼントしたものは
折り紙だった。

鼠色の折り紙を2回折っただけの
紙に黒のサインペンで
点々が描いてある。

なにかと思ったら
「こんにゃく」
だった。


その頃から息子は折り紙が大好きで
不器用な手先で折る折り紙は
シワシワで輪郭も
はっきりしないものだったが、
本を見ながら夢中で折った。

夢中で折るうちに
難易度も上がってきた。
おじいちゃんの誕生日には
毎年、
最初のこんにゃくから
やっこさん、鶴、鳩、船、蛇
と難しくなり
パンダと竹のセットやら
最後の頃には厚紙に
金の屏風をつけた
鶴と亀を追って
プレゼントしていた。

それは毎回、翌年の誕生日まで
テレビ台の上に飾られていた。


でもその年には
おじいちゃんの心臓が弱り
入退院を繰り返すようになって
大きな専門病院に移った。


入院した先にも息子の
折り紙は飾られていた。


がっしりしていたおじいちゃんが
痩せていくのが
悲しかった。

お見舞いに行くたびに
息子はしっかり握手をして
「早くよくなってね。」
と祈っていたけれど

それから長くはもたなかった。


葬儀の日、
親戚やいとこたちがいっぱい集まって
子供達も大はしゃぎだった。
5年生になっていた息子も
同年齢のいとこたちとふざけたり
笑ったりしていた。

おじいちゃんが冷たくなって
家に戻って来た時、
子供達3人とも大泣きだった。

みんなおじいちゃんが大好きだった。
ご飯が食べれないくらい泣いた。

いとこ達が来てくれて
ちょっとホッとした。

お通夜が始まった。
お坊さんのお経とともに
息子がすごい声で泣き出した。
上を見上げて、
大きく口をあけて
ウワァーン、ウワァーンと
大声で泣くのだ。
涙をボロボロ流しながら、
悲しげに泣き続ける。

中国のお葬式で呼ばれる
「泣き女」のようだった。

合間の時間はいとこ達とふざけていた。

でも、再びお葬式が始まると
お経とハーモニーを奏でるくらい
大泣きした。
その声は皆の涙を誘った。

誰よりも大好きな
おじいちゃんの死が

おじいちゃんが
いなくなることが

悲しくて
怖くて 
お葬式の場が
泣いてもいい、
お別れの場所だと思ったのだろう。


ただただ大声で泣くことで
一生懸命
お別れしようとしていた。

火葬場での最後のお別れには
もう声も枯れていた。
お別れの品に
息子の折った鶴と亀も入れた。


ドアの向こうに消えていく
おじいちゃんの亡骸を
息子は
静かな涙で見送った。


1番大好きで
1番可愛がってくれた

おじいちゃんとのお別れだった。



息子の大きな泣き声が
おじいちゃんの魂を乗せて

空へ空へと登っていく気がした。

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