はちべえという猫、虹の橋へ旅立つ
実家には、4匹の保護猫が住んでいる。
次男の「はちべえ」あだ名は、はっちゃん。
2023年3月20日に、虹の橋のふもとへ旅立った。
私は不器用で、はっちゃんのことをどれだけ好きだったかを、十分に伝えられなかった気がする。
はっちゃんが可愛かったことや、たくさんの幸せをくれたこと、大好きだったことを忘れないように、まとめておこうと思った。
はっちゃんは字が読めないかもしれないけど、伝わってくれると良いなぁ。
帰り道に子猫を見つけた
画像をきれいにできなかったけど、11年前のはっちゃん。
11年前の寒い夜、妹が「帰り道に子猫を見つけた」と言っていたことを思い出した。
道路の溝に被せられた鉄製の蓋に、リボンでくくりつけられた子猫がいたと話す妹。
タオルを片手に妹と会いに行ったが、その日は子猫に会えずじまいで、肩を落として家に帰った。
帰ってきた妹と小さいハチワレ
次の日、学校から帰ってきた妹の腕に子猫がいた。
小さいハチワレの猫。
昨日探していた例の子猫だと聞いて、また会えたんだとびっくりした。
「こんにちは」と声をかけると、か細く高い声で「ニャーーーーーーー」と長く鳴いていたのが印象的だった。
今思えば、姿を消した後に再会できたうえ、あの怖がりのはっちゃんが、道中で逃げ出すことなく我が家に来てくれた。
まさに奇跡。
思い出す度に「運命だったな」と思える。
野良猫社会の厳しさ
後日動物病院で、2ヶ月の男の子だと診断を受けた。
2ヶ月……?そのわりには、小さすぎる。
しかしご飯を出したときに、むせかえるほど頬張っていたことを思い出した。
いつご飯にありつけるかわからない、野良猫社会の厳しさが想像できた。
私たちには、子猫を2ヶ月で亡くした経験があったため、がりがりのはっちゃんを見ていると「明日には亡くなっているかもしれない」という気持ちが拭えなかった。
朝起きてすぐ、生きていることを確認する日々が続く。
その度に、ダンボールの中で香箱座りをしたはっちゃんが「何?」といいたげな顔をしていたのを今でも思い出す。
ゆっくりと着実に大きくなってくれた
はっちゃんは、年齢の割に小さい時期が長かった。
それでもゆっくりと着実に大きくなり、大人になると、太ってはないのになんだかコロコロしたはっちゃんに成長してくれた。
一緒に過ごすうちに、はっちゃんのことを知ることができて、幸せだった。
おしとやかなお姉キャラで、声が高い。
しっぽは投げ出さず、綺麗にしまう。
クールに見えて、たまにドジをする。
人目を盗んで、刺身を食べる。
人の怖さを知っている、人見知り。
でも私が悲しいときは、気付けばいつもそばにいる優しい子だ。
はっちゃんの可愛いエピソード
はっちゃんの好きなところはたくさんあるが、個人的にはクールに見えるのにたまにドジをするところ。
親バカかもしれないが、本当に全てが可愛かった。
ドジっ子はちべえ
猫が狭いところを歩くとき、足元の障害物を華麗に避け、スタスタ歩く姿を想像する人も多いと思う。
はっちゃんだって華麗に歩く。
たまに足を踏み外しながら、何事もなかったかのようにスタスタ歩く。
たまに蹴落とした障害物を見下ろす顔も至ってクールだった。何も起こっていない。
カーテンレール渡り
はっちゃんはとにかく高い場所が好きで、よくカーテンレールを渡り、エアコンと天井の隙間に入り込めないか様子を伺っていた。
「危ないよー」「落ちるよー」と言われても、知らん顔。
はっちゃんの気が済むまで、自由にさせようと思っていた。
しかしある日、足を踏み外してしまい、カーテンレールから落ちそうになる。
はっちゃんは、必死でカーテンレールにしがみついていた。
助けようとするも、なんとか持ちこたえたはっちゃん。
ハァハァと息を切らしながら舌を出し、猫らしからぬ顔をしていた。
はっちゃんが家出
元々野良猫のはっちゃんは外が大好きで、これまでに2回ほど家出の経験がある。
母が窓を開けた隙に外に逃げ出してしまい、4日間帰ってこなかったこともあった。
またあるときは近所の坂を、お友達の猫と一緒に降りて来た。
そのお友達がノミともお友達だったかどうかはわからないが、実家ではノミが大量発生したらしい。
刺身どろぼう
刺身どろぼうのはっちゃんは、よく母の刺身を盗んで食べていた。
あるときは弟の彼女の刺身まで強奪し、逃げていった。(あのときは申し訳ありません)
とにかく刺身が好きだった。
刺身を食べるときは、よく向かい合って一緒に食べた。
まぐろ、はまち、たい、たくさん食べたね。
空前の大根葉ブーム
画像もないし、いつのことだったか忘れてしまったが、一時期はっちゃんは大根葉に夢中になっていたことがあった。
食べるわけではなく、大根から引きちぎったあとひたすらテンテンとつつき、追いかけまわしていた。
今思えば、雑草に近い匂いがしたのかなと思う。
外が恋しかったのかもしれない。
お母さんっ子
家族の中でも、母にはよく甘えていた記憶がある。
「頭を撫でてくれ」といわんばかりに、頭突きを繰り返すはっちゃんがとても可愛かった。
クールにみえて、甘えたがりな一面も持ち合わせていた。
初めて口の端を擦り付ける姿を見たときは、どこか痒いのかと動物病院に連れていかれた。
はっちゃんと出会って、口の端を擦り付けることが猫の愛情表現だと、初めて知った。
寄り添うはっちゃん
大きくなるにつれて、母以外の人間には塩対応になっていったはっちゃんだったが、落ち込んだ人間にはとても優しい。
落ち込んだときは、顔を覗き込んで励ましてくれた。
時には、布団に入って一緒に寝てくれたこともあった。
そのときのはっちゃんの心音は、今でも思い出せる。
今後もずっと、覚えていられたらいいな。
はっちゃんと共に暮らした3匹の猫
画像提供:mimemoさん
知らない家に連れられたかと思えば、知らない猫がいたり、入ってきたり……
警戒心が強い猫にとっては、しんどい時期もあったはず。
お互いを家族として受け入れてくれたことに、本当に感謝しかない。
昔はよく運動会をしていたが、猫たちの高齢化に伴い、最近では各々好きなように過ごす。
たまに一緒に日向ぼっこをしたり、寄り添って寝たりする。
はちべえとくろすけ
うちには「くろすけ」という先住猫がいる。
人当たりがよくとても可愛いが、猫には厳しい。
はっちゃんはよく、くろすけからの洗礼を受けていた。
長男長女が兄弟を迎え入れる気分だったのだろう。
私たちは、度々くろすけをなだめていた。
怖がりなはっちゃんは、くろすけに拒否されるたびに、テレビの裏や和室の机の下に隠れていた。
しかし、状況は徐々に変わり始める。
くろすけは、はっちゃんを可愛がりこそしないが、寄り添って眠ったり、追いかけっこをしたりと、だんだん"仲間"として受け入れていくことができた。
はっちゃんは元々、里親募集に出す予定だったが、家族がそれを惜しむようになり、やがて
はっちゃんを家族として迎え入れることになった。
はちべえとちびまろ
はっちゃんを迎え入れて半年後、生まれて間もない瀕死の子猫「ちびまろ」を招き入れる。
ちびまろは、はっちゃんが育てたと言っても過言じゃない。
半年経ってもなかなか大きくならないはっちゃんが、ちびまろの首根っこを咥え歩き回っていた様子は、今でも鮮明に思い出すことができる。
ちびまろがアルミホイルを噛もうとしたり、調子に乗って攻撃を仕掛けたりする度に、はっちゃんがよく叱っていた。
はちべえとちびまろはよく追いかけっこをしたり、ケンカしたりしていた。
まるで本当の兄弟のような関係だったように思う。
はちべえとあんみつ
我が家唯一の女の子「あんみつ」。
控えめでありながらも好き嫌いがはっきりしているはっちゃんと、我が強いお姫様気質のあんみつの相性は、まさに水と油のようだった。
出会った当初はなかなか仲良くなれず「相性もあるし、仕方ないか……」と、私たちも諦めモードになってしまっていた。
しかし、徐々に肩を並べて寝るようになった。
お兄さん猫のはっちゃんが、あんみつを家族として受け入れてくれるようになったのだ。
4匹でいられた最後の日
私は一旦家に帰らなければいけなかったので、お通夜には参加できなかった。
残された猫たちは、はっちゃんの最期の姿に戸惑いつつも、時々様子を見に来たらしい。
次の日、夫の計らいで、はっちゃんを見送るために実家に戻ることができた。
くろすけは常に警戒体勢で、様子を見に近づいては、よく逃げていた。
あんみつは普段通り過ごしながら、たまに様子を見にきたり、遠目から眺めたりしていた。
ちびまろは最後、はっちゃんのいるダンボール箱をしばらくのぞき込んでいた。
どう思っているかわからないけど、こんな感じだった。
はっちゃんに「大好きだよ」と伝えたかった
後悔は、数え切れないほどある。
一番の後悔は、元気なうちに「はっちゃん大好きだよ」と伝えられていなかったことだった。
はっちゃんの闘病中、どのツラ下げようかと思ったが、ようやっと「大好きだよ」と伝えた。
はっちゃんは、いつもどおり私の手に頭突きをし、口の端を擦り付けてくれた。
「ありがとう」という言葉では全然足りない。
はっちゃんと暮らせて幸せだった。
「またね」って言わないとね。
はっちゃん、大好きだよ。