noteとは?等の浅い雑記
久しぶりですね〜
こうも期間が空くと書きたいことだらけで話が断片的になってしまうのがもったいないですね。もっと書きたい。
noteを書いた後、いいねという機能があるけれど、なくてもいいとさえ思う今日この頃。
いいねがあってもなくても、それに左右される自分がいるのが好きではない。けれど、そんな自分を吐露することができる自分が好きだ。そんな風に矛盾してばかりの日々ですが、人間の性ですかね。
noteを誰のために、何のために書くのかということがブレているのかもしれない。もちろん、自分のために、表現するために。けれど、日々の進捗、ただの日記程度に書くのが自分にとっては一番楽だから、このスタイルは貫こうと思う。
なんでもそうだけれど、芸能人等を批判する人はたくさんいるけれど、実際会ったことあるの?話したことあるの?って思うことが多々ある。芸能人とかアイドルとか、自分のことを棚に上げて批判できる機会が作られてしまって、その影響が悪くあるということが嫌いだ。
誰のために、何のために批判するのか。自分にも問いかけて生きています。
それから、話を変えるが、思ったことがある。
スマホでnoteを書くときと、パソコンで書くときと、思考回路、内容、文章形成が異なる。それは多少の差異とかの問題ではなく、画面の大きさ、キーパッドとスマホを触る手の感覚が関係していると感じる。
私はどちらかというと、パソコンの方が書きやすい。感触があるということ、画面の大きさは、視覚的、触覚に作用して、表現力、文章構成力が異なると考える。
ダンスをしていたからか、そういった感覚的なモノの差異を、モノ、コトによって気付かされることがある。
ダンスには、振り付けを見て、真似して体に覚えさせる過程がある。
これに慣れてきたらコピーダンスなるものができる。
この動作をするには、体をどのように使えばいいのか、ということを無意識に思考する。
こういった過程は、視覚的インプット、動作を繰り返し持続的に行うことで成り立つ。と思っている。
だからこそ、フリースタイルでは、感性と基礎が混じり合って、面白いのである。
見たことのある、踊ったことのある振りをアレンジしながらフリースタイルをする。
これは私の考えではあるが、ぜひ他の方にも聞いてみたい。
noteとは、自分にとってどういった存在なのか、どのように活用して考えを吐露して、現実に活かすことができるのかを考える場所であると今は認識している。
皆さんにとってのnoteはどんな存在なのでしょうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?