「MIYASHITA PARK」に行ってきました
渋谷区の「MIYASHITA PARK」の評判が悪い。「MIYASHITA PARK」は2020年7月の終わりに整備が終わり開園された。宮下公園の一帯を大きく工事して、国内外のハイブランド、数多くの飲食店がテナントとして入り、公園の機能は建物の最上階に残るだけとなっている。先日Twitterのタイムラインで公園に入ろうとしたらセキュリティ会社の従業員と恐らくはデベロッパーの三井不動産の関係者に入園を拒まれたというツイートが流れてきた。私は公園に入園できないことをおかしいと思った。
2010年、渋谷区は宮下公園の再整備を計画した。当時の渋谷区長の話によればそのタイミングでナイキから話があり、整備費用の全額をナイキが負担すること、公園の命名権をナイキに売却して10年間は「宮下ナイキパーク」として公園を運用する事になっていた。公園は一部施設を有料とするもので、公共の施設を一企業の宣伝のために売り払ったことで大きな批判があがった。当時はグローバリゼーションの問題が世界的に大きなテーマとして語られていたし、ナイキの児童労働についての問題も指摘されていた。そして複雑な経緯を辿った結果「宮下ナイキパーク」という名前は使用されることなく、2017年にナイキは命名権を破棄することになる。
2010年に私はネットでナイキパーク化反対運動を知った。私は何度か宮下公園に足を運んだと記憶している。そしていよいよナイキパーク化の工事が始まるかもしれないとなった頃に、宮下公園でブロック・パーティーが行われた。ナイキパーク化問題の行方に興味があり、ブロック・パーティーにはもっと興味が湧いた。友人も知り合いもいないけれども、私は宮下公園に向かった。今でも覚えていることはいくつかある。公園に入るとあちこちに手作り感の溢れるプラカートや様々なイラストが展示されていたこと。反対運動をしている中年男性が公園に住むホームレスと喧嘩を始めたこと(その喧嘩はホームレスが「俺たち、ここを追い出されたらどこに行けばいいんだよ」と言ったことから始まったと思う。怒った男性も準備が忙しかったりして気が立っていたのかもしれない。でもそのホームレスにとってはグローバリゼーションの問題よりも、ホームレス排除の問題よりも、自分の住処の方が大事だった。それは至極まっとうなことだ)。自家菜園を作ることでナイキパーク化に抗う人たちがいたこと。
そのブロック・パーティーに出演したアーティストの一人がライブの合間にこの問題について喋ろうとしていた。そのアーティストはこの問題と音楽をどうにか結びつけようとしているが、それを言葉で思うように表現できていないように見えた。こういう場所に出てくるアーティストは起きている問題に対して、何か新しい視点を与えてくれるのではないかと期待していたから、私は少し残念に思った。しかしあとになって思えば、あの頃はこの問題に限らず社会や政治の問題についてきちんと話ができる人はそんなに多くなかったように思う。私の感覚では、社会問題や政治についての意見を表明する人が一気に増えるのは2011年からだ。そして2020年のCOVID19が炙り出した多くの問題をきっかけに、そういう人はますます増えていくと思っている。
こうした体験があったため、私にとっての宮下公園の記憶はほとんどが2010年のものだ。2011年以降は反原発デモの集会場としての記憶ばかりとなる。2010年以前にも若気の至りによる思い出もないことはないが、そうした甘い思い出よりも私にとっての宮下公園は常に政治の場所だった。というよりあの場所は常にその時代の政治問題を縮図にして映し出していた場所だったのかもしれない。そこは「MIYASHITA PARK」となって、今また、政治的な衝突が強く起き始めた。私は「MIYASHITA PARK」に行くことにした。その場所を自分で見たかった。
明治通り方面に出て、歩道橋を上がる。その場所から駅方面を見ると「渋谷横丁」と名付けられた新しい飲み屋街が見える。かつて歩道橋と宮下公園はシームレスだったように記憶しているが、今は大きな建物に入っていく感じだ。MIYASHITA PARKの入り口では簡単な検温が行われていた。公園に入るという感覚はまったくない。大きな建物に入るだけだ。私が最初に入ったフロアはいくつかのカフェとアパレルショップが入っているフロアだった。カフェはどこにでもあるような雰囲気のものばかりで、興味を惹くものはなかった。私は建物の中を歩くのは後回しにして、まずは公園に行くことにした。
建物の中を北口方面に歩いて少ししたところに屋上に上る階段がある。その階段を上がると真っ赤な注意書きが目に入ってきた。火気、テントやタープ、拡声器とメガホン、幟やプラカートの持ち込みは禁止、球技は禁止、禁煙、と言ったところだ。逆に何なら許してもらえるのか聞きたくなる。注意書きの下に「人が密になり集団で集まることをお控えください」とまであった。これだけ禁止事項が多ければ集まりようがないだろう。それにCOVID19が落ち着いても集団で集まることを控えなくてはならないのだろうか。ここは「公園」と呼ぶにふさわしい場所なのだろうか。私にはそうは思えない。
屋上の公園に着いて私は驚いた。かつての宮下公園の面影はまったくと言っていいほどなくなっていた。木陰も遊具もない。入園者のためのトイレも管理棟に併設されている一箇所だけだ。狭い芝生にシートをひいてピクニックっぽいことは出来なくもないだろう。ただひどく暑い日だったし、飲食施設もたくさんある場所でそれをやっている人は誰もいなかった。そもそも先に書いた禁止事項に抵触して追い出されてしまいそうだ。
園内にはビーチバレーのコート、ボルタリングのためのボルダー、スケートパークはある。すべて有料だった。料金が高いか安いかは私は判断ができない。公園内は自由に遊べる場所がほとんどないように見える。私の意見は、ここはすでに公共空間としての公園ではないというものだ。ここは昔のデパートによくあった屋上公園でしかない。ここに名付けられた「MIYASHITA PARK」の名前は上辺だけのものだ。
スケートパークの脇を通り抜け、エスカレーターを下る。再び建物の中を散策することにした。スケートパークと連動しているのか、ストリートファッションの店が多数入っている。いくつかの店は入り口に強面のセキュリティが立っていた。書店もあった。その書店は自己啓発本とベストセラーを平積みにして、壁にはナショナル・ジオグラフィックのバックナンバーが置かれていた。それは自己啓発本の影響を受けた結果のディレッタントになっているように置かれていた。本来はそんな雑誌ではないはずだが、そういうふうに回収されてしまっている。ミニマルなデザインのものばかり置いてある雑貨屋、キットカットのポップアップストア(ここが一番人気があった)、クレジットカードの勧誘。そうしたものを見るにつれてますます単なるデパートだと思うようになった。私が楽しめたのは中古レコード店だけだった。総じて見て「渋谷ならでは」のものはこのレコード店しかなかったように思う。
建物の中央は広く開けていた。その空間を囲むようにしてアート・ギャラリーが設営されていた。開けたスペースにはオブジェのようなものが設置されている。プロジェクション・マッピングでもしているのだろうか、オブジェの表面を流麗なイメージが流れていく。いかにもインスタ映えしそうなこのスポットには案の定、多くの人が集まっていた。
建物の外に出て「渋谷横丁」を歩く。確かこのあたりにはもともと飲み屋街があったはずだ、と思い周辺を歩くと「のんべい横丁」は隣にあった。わざわざ隣に作るのも不思議なものだ。「渋谷横丁」は日本全国の美味しいものが集まっていると謳う。各店舗、店の外にテーブルと椅子を出しており、そこで飲食ができるようになっている。何組か外でお酒を飲んでいる客を見た。不思議なもので、こうして「全国から集めてきました」というようなやり方をしていると個性は失くなってしまうものだ。私はここからも「渋谷ならでは」を感じることは出来なかった。そもそも東京にはすでに全国から色々なものが集まっている。他の土地の美味しいものを食べるのに「渋谷横丁」に来る理由はあまりないだろう。
私はそのまま渋谷駅に向かい、帰路についた。私はさっきまで見て歩いた「MIYASHITA PARK」について考えた。私にとってはあまりいい場所ではなかった。「MIYASHITA PARK」が出来たことで恩恵を受けている人もいるだろうし、多くの人はあの場所を楽しむのだろう。だから何も後ろ向きなことを言わなくても、と考える人もいて当然だと思う。また、私と何らかの繋がりがある人の中にも「MIYASHITA PARK」を歓迎する人もいるだろうし、私の知らないところで「MIYASHITA PARK」で働いている人やこのプロジェクトを成功させるために働いている人もいるかもしれない。しかしそれはそれとして、「MIYASHITA PARK」は街の持続可能性についての問題と文化盗用の問題が集約された場所になっている、と私は結論づけたい。
テナントについて、渋谷の歴史と文化とは一切関わりがなさそうなことが問題であると感じた。先にも何度か書いたように「渋谷でしか体験できない」ものがない。多くのテナントは渋谷という名前だけに群がって店を開いて、儲けがなければそのまま撤退していくのだろう。「MIYASHITA PARK」にあるテナントで、渋谷で事業を行うことの必然性を説明できる店はそれこそレコード店だけであるように思えた。
私は杉並区民だ。悪名高い「阿佐ヶ谷アニメストリート」が地域住民に相手にされずに急速にシャッター街となったのを目の当たりにしている。「MIYASHITA PARK」からは感じる雰囲気はそれに近い。物珍しさで外から人が来ているうちはいいけれども、こういう場所はふとしたきっかけで一気にシャッター街になってしまうのではないだろうか。だったら駅前再開発で撤退を余儀なくされた多くの小さな店をそのままここに持ってきたほうが持続性という点ではよほど良かったのではないかと思う。
「渋谷横丁」は文化盗用の寄せ集めだと言っていい。その問題はこの記事で指摘されているから、ぜひ読んで欲しい。そしてここに出店している店も渋谷との繋がりは見えてこない。そもそもの道義として「MIYASHITA PARK」の客を「のんべい横丁」に積極的に流すくらいのことをしてもいいはずなのだ。それなのに似たような横丁を作るというのは渋谷に対しての敬意も何もないことの表れだとしか言いようがない。
公共空間を私企業に売り払い、そこに暮らす人々を排除した後に入ってきたものは街の歴史や文化と繋がり持たず、街の名前にフリーライドして金を稼ごうとする人たちだった。立ち入れる人を選別しながら、その横では自分たちが排除したような人々に愛され、作り上げられてきたであろう食文化を「珍しいもの」として売り出している。ここ数年、街のあちこちでホームレス排除を目的とした美術作品「排除アート」の問題が取り沙汰されている。「MIYASHITA PARK」はとてつもなく大きな「排除アート」だとも言える。周辺地域全体が排除を正当化することで成り立ってしまっている。これをひどい景色と言わずとして何というのか?
「MIYASHITA PARK」を出た時に、宮下公園の小さな名残を見つけた。もうこの方法では戦えないことはわかっている。それでも私はとても懐かしく、そして嬉しくなった。