プロセカ『The first concerto』ストーリー備忘録


【はじめに】

これは私の、私による、私のための備忘録。
ストーリーで何度も泣かされて、ここが最高、あそこが最高と思うのに。数ヶ月経てば綺麗さっぱり忘れてしまう自分のために、ただひたすら思ったことを綴っていきます。

【青柳冬弥という人のこと】

『The first concerto』。このイベントで、私は推しである青柳冬弥という男のことをさらに好きになった。(イベント開催は2024/03/22~)
彼を推し始めた理由、はじめは本当に単純なものだった。顔がどタイプ、声もどタイプ。そして私のオタク心が、「重い過去」「相棒」というふたつのワードにときめいた。それから数年、忙しさや元来の飽きっぽさからゲームが疎かになることは数度あれ、彼を好きな気持ちは変わらぬまま生きてきた。


【The first concerto】


生真面目で、誠実で、何事にも真っ直ぐ向き合う彼だからこそぶつかった壁についての話。はじめて読んだ時も2回目も、めちゃくちゃ泣いた。もうびっくりするくらい泣いた。なんなら3回目……これを書くためにもう一度読んでいる今も、泣きそうである。


以下、印象に残った部分を綴っていこうと思う。
このストーリーでは、一貫して冬弥の根底にある「音楽」を深堀していたのが印象的だった。音楽を通して想いに向き合うという冬弥のスタンスは、幼い頃から積み重ねられてきたもの。ストリート音楽をやっていてもクラシックの癖が抜けなかった初期のあの頃からずっと、冬弥の地盤にはクラシックと共に歩んだ日々があるのだと理解させられる。
それを感じ取った謙さんと、重荷であると理解しながらも『トラックメイカー』としての役割を請け負った冬弥の覚悟といったら。

そして伝説を超える曲を作るため、みんなの『想い』を聞くという冬弥にとても彼らしさを感じた。仲間の想いに自分の解釈を盛り込むというより、どこまでも誠実に仲間の想いをまとめあげていくという姿勢。そして、納得が行くまで何度でも練り直す粘り強さ。彼の生き方が音楽作りにも反映されているのだろう、と尊敬に近い念を抱いたのを覚えている。
そして、同時に。生真面目が故に冬弥の中で燻る過去への後悔と、音楽に対する無意識レベルでの自己肯定感の低さ。迂回路もショートカットもしない真っ直ぐな生き方が枷になってしまう様子がとても細かく描かれていたと思う。また、冬弥はひとりでいると父や音楽に対して『逃げ』の姿勢を取る事が多いが、仲間が関わると背水の陣を自ら引きにいく傾向があるとも思う。自己犠牲に近い、自分よりも他人のために動ける・動いてしまう人なんじゃないだろうか。


『応える』

応える。この言葉、今回のイベントストーリーで本当によく見た。冬弥の優しさと危うさが、この言葉に詰まっている気がする。
彼は、とても賢い人だ。知識が豊富で、視野も広い。社会経験の少なさがあるとしても、それを学ぶことで補うことが出来るほどの賢さがある。だからこそ、それが弱みになっているのではないかと感じた。
冬弥は常に、火をつけられる側だった。父の音色に、彰人の歌声に、街の人達の想いに。心を動かされ、「ああなりたい」と思った先で。彼はいつも、期待されていたのではないだろうか。
優秀なのだ。真面目だからこそ積み上げたものが、向き合ってきた熱意が、常人を凌駕する才能になっていた。だから期待されて、冬弥はただ真っ直ぐに『応えよう』とする。自分の健康もほったらかして必死に応えようとして、限界が来る。幼い頃は、彼の限界を受け止めてくれる人が居なかったのだろう。優しく寄り添ってくれる人が居なかった。逃げ出すしか、方法がなかった。
それが、彼がクラシックに背を向けた理由なんじゃないかと思う。

『真面目』

たぶんしつこいくらいにこのnoteで書いている冬弥の『真面目』な部分について。
みんなの想いをノートに纏めていた時もそう。納得のいく曲を作るため、あらゆる視点から曲作りに向き合っていた時もそう。自分の身体に気を配れないほど、ひとつのことに集中する。そんな彼の生真面目さをいちばん感じたのは、幼少期の回想だった。
冬弥の幼少期。苦しい過去としてこれまで何度か出てきた回想。今回、はじめてその『続き』を聞いた。(私の記憶が曖昧で、既出の可能性もある)

出来るまで何度でも。そう言われて、「させられていた」イメージが強かった幼少期のピアノ練習。その続き、父に終わりを告げられても「もう一度、弾かせてください」と話した冬弥。
不器用な生真面目さだと思った。彼は、ひたむきさしか知らないのだ。どれだけ苦しくても、手を抜くことを知らない。眩い星がきっと彼には見えていて、その光に必死に手を伸ばしている。たったひとり、真っ直ぐに。

その真面目さは評価されるべきものだったのだろうけど。残念ながら耐えきれなくて逃げてしまった彼は、ここでも不器用な真面目さで自分を責めた。逃げてしまった、答えられなかった。失望させてしまった。
後悔は重く枷となり、異なる道へ歩み出した冬弥を縛り付けてしまう。きっと、あまり考えないようにして乗り切ってきた過去だったのだろう。たとえ父に自分たちの音楽を聴いてもらったとしても、過去は変えられないから。
だから、苦しくなった。いざ向き合ってみると、自分の弱さを思い知らされることになる。そう、真面目だから。あの時もっとこうしていれば、自分が逃げていなければ、と深みに嵌っていく。


『親というもの』

冬弥のあんな悲痛な叫び声は、はじめて聞いた。その後父が入ってきて、正直助かったと思った。冬弥の父は、表現者としてとても厳格な人間だけれど、これまでの回想でも少しは『父』であったから。
自分から触れることのない……むしろ苦手であろうジャンルの音楽を聴きに行くなんて、大切な人のためでなくては絶対にやらない。出来ない。父も子と同じように、酷く不器用な人間なのだと私は思っている。

そして今回。凝り固まった冬弥の価値観を見事に解いてくれて、あんまりにもそれが『父親』で、ボロ泣きした。冬弥が「応えられなかった」「俺は逃げたんだ」と苦しそうに吐露した想いに応え、父も自分の想いを口にしたのだ。これは私自身の考えだが、血縁にある近しい人間に対して本心を語るなんて非常に気恥しいというか、いっそ気味悪いくらいに難しい。それを、冬弥と父は互いに行ったのだ。
しかもこれが、ただの慰めや一方的な叱責ではなかった。「逃げたことは事実」であるとした上で、冬弥が生きてきた12年、必死に、真摯に音楽と向き合い続けた日々を肯定してくれた。冬弥が『逃げた』という事実に呑み込まれて忘れかけていた想いを、冬弥自身が否定していた努力の日々を。そして、全てを犠牲にして得た彼の実力を。
親としての優しさと表現者としての説得力をもって、冬弥に気づかせてくれた。冬弥が『逃げた』と思っていた過去を、それだけではないと、恥ずべきものでは無いと受け止められるきっかけになったのだ。

【おわりに】

以上、乱文で書き散らしたが『The first concerto』の備忘録である。たぶん数ヶ月後の私が見たら気持ち悪い文章だと思うだろうが。
他のイベントも適宜見直していきたいけれど、このイベントはあまりにも「青柳冬弥」についての解釈をぶつけられたものだったので取り急ぎ。いつかまた、私の解釈が変わったらこの時の私を見に来よう。

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