【ミニコラム】毛沢東の訪ソと革命記念日とスプートニク(1)
はじめに
今回は宇宙ネタというのとはだいぶ毛色の違う話になっています(若干の関連はありますが)。
宇宙ネタ関連でいろいろ動画を漁っているうちに、次の動画にたどり着きました。
「初のソビエト地球周回衛星」(1957)
原題:Первые советские спутники Земли
動画はこちら(別画面で開かないと上下が欠けるかもしれません。以下同様。)
または
この動画、面白いかというとちょっと微妙な部分もありますが、ツィオルコフスキー関連だとか、あととりわけ27分くらいからのスプートニク2号関連など、なかなかに興味深い映像も混じってます(そういう話は別途しようと思っていますが)。
ただ、それよりもわたくし的に気になったのは、この動画の最後に毛沢東がちらっと映っていること!
(36:48あたり。今回のトップ画像です。)
毛沢東が何度か訪ソしているというのは知っていたのですが、このタイミングだったのかぁと。
それが気になってついつい個人的にそのあたりの事情を調べてみたくなりまして。
今回はその調べたことを脈絡なく羅列するだけの内容となっています(^_^;)。あしからず。
毛沢東の外遊は2度だけ
今回改めて調べて知ったのですが、毛沢東の外遊はたったの2度。行き先はどちらもソ連。そう思うとこれは随分と「レア」な、特筆すべき出来事なのだということが分かります。
時期と訪問の相手方と交通手段
一回目:1949年12月,スターリン,鉄道
二回目:1957年11月,フルシチョフ,飛行機
このあたりのことは英語版Wikipediaの「毛沢東」、State visits(公式訪問)の項に書いてありました。
(以下の文章中、訳に特に自信のないところは【】で括りました。それ以外は自信ありというわけでもありませんが……。)
During his leadership, Mao traveled outside China on only two occasions, both state visits to the Soviet Union.
毛沢東の統治期間中、彼が中国外に旅行したのは2回だけであり、その2回ともソ連への公式訪問であった。
His first visit abroad was to celebrate the 70th birthday of Soviet leader Joseph Stalin, which was also attended by East German Deputy Chairman of the Council of Ministers Walter Ulbricht and Mongolian communist General Secretary Yumjaagiin Tsedenbal.
彼の初の海外訪問は、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンの70歳の誕生日を祝うもので、これには東独の【閣僚理事会副議長】ヴァルター・ウルブリヒトやモンゴルのユムジャーギィン・ツェデンバル人民革命党書記長も参加した。
The second visit to Moscow was a two-week state visit of which the highlights included Mao's attendance at the 40th anniversary (Ruby Jubilee) celebrations of the October Revolution (he attended the annual military parade of the Moscow Garrison on Red Square as well as a banquet in the Moscow Kremlin) and the International Meeting of Communist and Workers Parties, where he met with other communist leaders such as North Korea's Kim Il-Sung and Albania's Enver Hoxha.
2回目のモスクワ訪問は2週間の公式訪問で、そのハイライトは、十月革命40周年(ルビー・ジュビリー)祝賀への参加(毛は赤の広場でのモスクワ守備隊の毎年恒例の軍事パレードやモスクワ・クレムリンでの宴席に出席した)や、共産党・労働者党国際会議に参加し、そこで北朝鮮の金日成やアルバニアのエンヴェル・ホッジャら他の共産国指導者たちと会ったことなどであった。
毛沢東の第一回訪ソ(1949〜1950)
本題からはとんでもなく逸脱しますが、話の順番というやつで、まずは第一回の訪ソから見ていきます。
さて、彼の第一回の訪ソの具体的なスケジュールはどんなものだったか調べてみますと……(ネットに転がっている情報だけだとこれが意外と調べにくかったのですが)。
1949年12月6日、中国の毛沢東主席はヨシフ・スターリンの生誕70周年祝賀式典参加のために列車でモスクワに向かい、12月16日に到着。
次に「毛沢東伝」のサイトの「二、第一次访苏(二、第一次訪ソ)」より
十二月十六日中午,莫斯科雅罗斯拉夫车站的大钟刚敲过十二响,毛泽东乘坐的专列徐徐进站。
12月16日正午、モスクワのヤロスラブリ駅の大時計が12時をちょうど鳴らし、毛沢東の特別列車がゆっくりと駅に入りました。
毛泽东完成了一项历史性的任务,于二月十七日结束访苏之行,同周恩来等登上回国的专列。他在沿途参观了一些苏联城市和工厂。进入中国境内,又在哈尔滨、长春、沈阳视察。三月四日回到北京。
毛沢東は歴史的な任務を完了し、2月17日にソビエト連邦への訪問を終了し、周恩来らとともに帰国の特別列車に乗車しました。 彼は途中でソビエトのいくつかの都市や工場を訪れました。 中国に入り、ハルビン、長春、瀋陽を視察。 3月4日に北京に戻りました。
そんなわけで、毛沢東が第一次訪ソで北京を離れたのは1949年12月6日から1950年3月4日までのことだったようです。
今日に比べればまだまだ交通の発達していない時代の事とはいえ、建国間もない時期に(※)国家指導者がこんなに長期間自国を離れるというのも、随分のんびりした話だなぁなどと思ってしまいます(^_^;)。
言い換えると、それだけソ連との関係を中国が重視していたということでしょうけど。
「向ソ一辺倒」などと表現されるいわゆる中ソ蜜月時代が始まるわけです。
(内実としてはそんな単純な話でもなかったようですが。)
なお、この時は鉄道での訪問ですね。
上記「毛沢東伝」の記述を見るに、行き帰りともハルビン、満州里経由のいわゆる「トランス=マンチュリアン」の経路を通ったものと思われます。
(全くの余談ですが、私自身も比較的最近、ロシアから中国へ満州里経由での国境超えを経験したりしました。)
さて、モスクワについた毛沢東らの一行は最終的に「中ソ友好同盟相互援助条約」を結んだりする、というのは世界史の教科書にも載っているような話ですけれど。
ちょっとここで気になることが出てきます。
(少なくとも名目的には)来訪の目的であるスターリンの70歳祝賀ですが、スターリンの誕生日は1878年12月18日(旧暦)なので、1949年12月なら彼は71歳なのでは??
が、これは英語版のWikipedia(スターリンの項)にこんなことが書いてあって解決しました。
Starting in about 1920 Stalin gave a birth date of 21 December [O.S. 9] 1879, despite being born on 18 December [O.S. 6] 1878
1920年頃よりスターリンは、生まれたのが1878年12月18日(旧暦6日)であるにも関わらず、1879年12月21日(旧暦9日)を誕生日であるとした。
いやー、これは知りませんでした!
だからこの時の祝賀は「70歳の記念式典」ということで合っているわけです。
さらにどうでもいいようなことですが、ここでロシアの旧暦(ユリウス暦)についても確認。
次のページが実にいろいろ興味深いことが書いてあって参考になったのですが、
要するにロシア革命前のロシアの暦(ユリウス暦)は19世紀において12日、20世紀において13日、現代の暦(グレゴリオ暦)とズレがあるというわけです。
(つまり旧暦の日付に12日なり13日なりを足せば、当時の西欧諸国の使っていた──そして今日に引き続いている──暦の日付になるということ。)
こういうことって、意外と大学のロシア文化の授業とかでも教わらなかったりするかも?
さて、適当に書くつもりがもう大分長くなってしまったので、あとは、スターリンの誕生祝賀の様子と、毛沢東の第一回訪ソ関連の動画をご紹介して今回は終わりにします。
スターリンの誕生祝賀(毛沢東も写っています)
次の動画は埋め込みはできるけれど、どういうわけかここでは再生できず強制的に別ページでの再生となります(そういう設定なんでしょうか)。再生ボタンも表示されませんが画面クリックで飛べると思います。
次の動画はセミョン・アラノヴィチ監督のドキュメンタリー映画「私はスターリンのボディーガードだった」«Я служил в охране Сталина» (1989)から持ってきているようです。
あとこういうのも。
毛沢東のモスクワ訪問(第一回)
調印の様子
(※……毛沢東が天安門上で中華人民共和国の成立を宣言したのは、訪ソの時点からすれば「ついこの間の」1949年10月1日のこと。一応その動画も貼っておきましょうか。)
次の動画だと14:23あたりから1949年10月1日です。
次回に続きます。
(今回貼った動画などは、もっと質のいい/オリジナルに近いといった動画があれば適宜差し替え・追加などをするかもしれません。続きの記事においても同様です。)