「整」って字、カッコいいよね(あるいは”音楽理論”についての空書き)
こんにちは、ひばりんです。
ひばりんはいま心が疲れています。
ざんねん!
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で、心が疲れているとですね、
整然としたものを求めてしまうということがあります。
整然としたものを求めているうちは、まだ大丈夫なのですが(疲れてるのと壊れてるのは違うので)
しかし、音楽を聴くより音楽理論を考えたくなっている時というのは、だいたい心が疲れている時だとひばりんは思います。
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さて、ひばりんはいま、とても心が疲れているので、
整然としたことを考えたくなっており、
「仕方なく」音楽理論のことなんぞを考えています。
ほんとは理論をこねくり回すまえに、音楽をしたまえ、手を動かしたまえ、ということなのですが、
仕方がないのです。
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音楽理論というものは、表面上は、和声に傾斜しすぎてリズムやサウンドのことを何も教えてくれない何かですが、
実際にはサウンドとは結構関連しているとも言える気がします。
「アカデミックな理論」と「ポピュラー理論」を比較してみればわかる気がするんですが、えーと、
1.和声配置に厳密な前者は、オーケストラのサウンドに親和的(楽器の音域毎の音色の違いに敏感な理論)
2.和声配置にはそこまで拘らない後者は、歌物サウンドに親和的(さまざまにフィンガーポジションを替えながらピアノやギターで伴奏する際に柔軟性がある理論)
というわけです。
これはつまり、理論の組み方と想定されるサウンドは、暗に関連していると。そう、ひばりんは思います。
ついでにいえば、アカデミックな理論は複調を好み、ポピュラー理論はテンションノーツを好むという違いもある気がしますが、まぁそこはセンシティブですな。
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で、しかし、アカデミックな理論がオーケストラ志向、ポップス理論が歌物(旋律+伴奏)志向だとすると、
「室内楽」とか「セッション」みたいな規模感だと、ちょうど中間のサイズなので、
どちらの理論がいいということでもなくなって、結構面白いわけです。
最近こんな動画をみつけました。
ドビュッシーの弦楽四重奏第3楽章を、ジャズ寄りの教養のあるグループが分析した動画です。
クラシカルプロパーのひとは、あんまりこういう風にはこの楽譜を読まないと思う(もっと対位法とかエクリチュールで眺めちゃう)んですが、
たしかに面白い試みだと思います。発見がいろいろありますし、ポピュラー理論で眺めても面白いというのが、室内楽ならではの特徴かもしれないですし、
なんていうのかなぁ…
ドビュッシーの複雑さに笑けてくるというか、
しかし、こんなに複雑なのにシンプルに美しく聴こえますから、音楽って神秘だなぁと思えてきますよぅ。。
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ところで以下余談というか予告ですが、ポピュラー理論には分数コード・アベイラブルノーツ・トライアドペアという考え方があります。
これ、分数コード>アベイラブルノーツ>トライアドペアの順で、よりモチーフを強く固定する理論ですよね。
分数コードは、とくに構成音の配置や音列については特定的じゃないです。
しかしアベイラブルノーツとなると、これは暗にモーダルとか旋法を前提としてますから、音階(階段状の音列)を素材にどう配置するか、という話になっている。
そしてトライアドペアとなると、音列の形まである程度指定してくる発想なわけです。音階を二つのコードとして1:1の配分で使っていくと、バランスがいいですよ、ということで。
だから「分数コード>アベイラブルノーツ>トライアドペア」なわけです。
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しかし、ひばりんの手元には、分数コード>アベイラブルノーツ>トライアドペアの対応表みたいなものがなくて、
大層不便しています。
どこかが作ってくれているんでしょうか。
心が整然としたものを求めているので、時間の合間に対応表でも作ろうかなぁと思っています。
出来たら、ここに貼るかもしれません。お楽しみに。