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「好きがお金になる」って、想像してたのとちょっと違ったって話。

将来の夢はなんですかと聞かれたときに、私はなんて答えていたかなあ。

小さな頃は漫画家、イラストレーター、デザイナー。

ちょっと大きくなってからはピアニスト、通訳、フライトアテンダント。

「カワイイ」にときめくお年頃になりメイクに目覚めてからは、美容師、美容家、メイクアップアーティスト。。。


なりたい「職業」を考えることが「将来の夢」について考えることだと思っていたし、

「ライフワーク」とか「天職」って、たくさんある職業の中から自分にぴったりのものが見つかるってことだと思ってました。


でもそれってちょっと、窮屈なんじゃないかなって、思うんだよね。

職業=ライフワークだと、「仕事(他人受け) > 自分」 になっちゃう気がするから。


好きなことや やりたいこと、ライフワーク探しはついつい “ 手段探し ” のほうに目がいきがちです。

やりたいことをやっている人 = 好きなことを職業にしている人、というイメージが強く植え付けられているからです。

でも、大切なのは職業の枠に自分の望みをはめ込むことではありません。
だいたいの場合、パズルのピースのようにぴったりはまるということはないからです。


文章を書くことでお金が入ってくるようになって思ったことがあります。

私がやっていることって表面的に見たら「文章を書く」ってことだから、職業で言ったらライターとか作家になるかもなんだけど、

お金が入ってくる理由って、ちょっと違うところにあるんだよなあって。


たぶん、文章を書くことが好きで得意なかたは「文章を書くこと」を「仕事」にするのだと思います。

でも私の場合はちょっと違っていて、「書く」ということはたまたま手元にあったから取ったカードにすぎなくて、

これを仕事というならば、この仕事の本質は「自己開示」でしかないんだよね。

(まあ、たまたま趣味でマーケティングとか勉強してたから、収益化しやすかったっていうのもあるけど)


ということは、なんだ??

職業名にしたら、あれか?露出家とか???

「露出家のSunaoです🙋✨」って、なんかやだなあ(笑)


でも、実際そうなんだよねえ。

私は本質的にはライターとか作家とか、そんなキレイなものじゃなくて、ただの貪欲な露出狂でしかない。

文章を売ってるわけではなくて、自分を売ってる。

それも、誰にも知られたくなかったような自分を。

これに関しては、仕事してるからお金がもらえるという感覚は非常に薄くて、単純に「心を露出する」をしてるからお金が入ってくるって感じ。


そういえば以前、はあちゅうさんが「人生まるごとコンテンツ」ってことを書かれていたんだけど、そのキャッチコピーって本当凄くて、

自分のかっこ悪いところも醜いところも、人生も日常生活も、普通だったら捨てちゃうような皮も種も、本当は全部が売り物で「オイシイとこ」なんだよね。

捨てちゃうなんてもったいない。


私も「女は脱げば金になる」って聞いたから、心を脱いでるってだけの話なんだあ。


………


何度か書いてきていることだけど、女性の身体ってやっぱり、男性社会でやってくには何をどうしたって「不利」だなって思うのよ。

女性の身体って、カレンダーみたいにきっちりしっかり予定調和で動くことにも向いてないし、男性みたいに「他者への愛」とか「利他の精神」に目覚めることで幸せになれるかと言うとそういうわけじゃない。

やらなきゃいけないことに体力が追いつかないってこともどうしたってあるじゃない。


女性だけでなく、感受性がパキってるHSPの身体もそうだよね。


「社会の中で頑張れなきゃ生きる意味も価値もない」とか「他者の賞賛を受けること=自分の価値」なんて信じ込んでいた頃の私にとっては、この事実って物凄くショックなもので

ああ… 私って欠陥品の出来損ないなんだ… なんてことを(今思うととんでもない自分&他者への冒涜ですが)思って、その高すぎる絶望の壁の前に立ち尽くしてしまっておりました。


でも、どれだけ私がショックを受けようが実際不利なもんは不利なのが現実だし、社会のほうに「今すぐ私の都合のいいように変われ」ったってそれもムリな話。

自分のほうが「何か」を変える必要がありました。


大人になって社会に出ると「何かを変えるにはもう遅すぎる」なんて思考が働くけど、実際には遅すぎるなんてことはありません。

一秒先にも人生が続いていくという自覚があるのなら、遅いなんてことはなんにもないのです。


何を変えたかというと、私の場合は、信仰を変えました。

「社会(や他人)に合わせられない自分には価値がない」という信仰を変えたのです。

劣等感や罪悪感を背負っている自分に酔うのをやめて、これまで「人のために」と虐げ続けてきた自分の感性や感受性といったものを、これからは何よりも信じて、大切にして生きよう。そう誓ったのですよね。

うわあ…「自分責めに酔う」とか「人のために自分を虐げる」とか、書いてて気持ち悪くなってきた。げろげろ。


女性でなおかつHSPの身体を持つ私が、そもそもの仕組みが合っていない場所で「男性に負けないように」「他人にナメられないように、認められるように」と自分をすり減らしながら戦うように生きるのってやっぱ辛いし、

どこかで方向転換を図らないと、精神病んじゃったり病気になったり、生きるのがしんどくなったりしちゃうからね。(実際すでにしてたわけだけどさ)

 

………


文章の話に戻るんですけど、

私は「自分には文才が全くない」とも別に思ってはいなかったけど、「文章を書くことでお金が入ってくるようになる」とはもっと思っていませんでした。

ほんと思ってもなかったよ。まさに青天の霹靂(笑)


昔々メンターが「表現活動を始めた頃は、これがどうやってお金になっていくのか全くわからなかった」と言っていたのですが、私も全く同じ心境で、

まさか「表現すること」がお金になっていくなんて、今でもちょっと信じられないような、不思議な心地なのですよね。

理論上はわかるのだけど、あー本当にお金になっていくものなんだーって。


でも同時にこうも感じるのです。

好きなことやってお金がついてこないって、そっちのほうが不自然だよなって。

だって、「自分を生きる」をして現実的な豊かさがついてこないなんてありえないから。


好きなことでお金を得ようと思ったら、男性性社会的な考えかたでいくと、“目標を定めて、そこから逆算で計画を立てて狙って結果を獲りに行く” みたいなイメージがあるかもしれません。

でも私の場合は逆で、目先の損得よりもまずは自分を幸せにしてあげたいと思って「自分を生きる」の精度を上げていったら、たまたま文章を書くという手段(というか書きたい気分)に恵まれて、

楽しいから表現を続けていたら、自然とそれがお金に変わっていくタイミングというものが訪れたって感じなのですよね。

表面的に見たら「たまたまそうなっただけ」のように見えるけど、これはまさに起こるべくして起こった変化なのだと今ならわかります。


こんなふうに、感性や感受性(女性性)を大切に生きる世界の幸せの創られかたって、男性性社会の仕組みとは全く違っているのです。


私の場合はたまたま文章という手段を授かったわけだけど、

文章に限らず「表現力」とか「発信力」って、『自分をゆるす』『自分を救う』『自分を生きる』『自分を極める』ってことをしていくと、いやでも授かってしまうものなのだよね。


「自分をゆるす」という体験をしていくと、“言葉の提供元が変わる” という感じがするのです。
それはまるで思考を超えたどこか大いなる場所から言葉がダウンロードされ、自分という存在を介して外の世界に放たれていく感覚。


感情を(自分の言葉で)明確に言語化するにはどうしたらいいのでしょうか。

その答えは、すごく抽象的な表現になりますが「自分を救い続けること」となります。

(救うというと仰々しいですが、要は「自分の不快に気づき、無視せず、片っ端から対処する」ということです。)

自分を救い続けることで、自分から発される言葉の解像度が自然と上がっていくからです。


私が私を嫌いなとき、私が私を大切に出来ないときには、こんなチカラって絶対湧き出てはこないもの。

私が目先の損得や他者からの承認、お金のために自分を潰して生きるとき、このチカラは完全に消失してしまい、

私が「ありのままの私」を受け容れて、自分の感性を肯定し愛するときだけ、このチカラは発動する。


同じ一人の人間なのに、不思議だよね。


私たちが他人や社会やお金よりも自分自身を愛するとき、私たちは、自分が本当は何より純粋で美しい芸術作品だったことを思い出す。

そのことを思い出したら、他者からの愛も承認も、そしてお金も、あなたを困らせるものではなくなって、あなたの価値を測るものさしでもなくなって、ただただ「あなたの命が美しいからもたらされるというだけのもの」に変わっていくのだよね。


そんな話がしたくって、未熟ながらも一年間「自分を売るとはなんたるか」みたいなことについて、書き続けてきました。


マーケティングって、人に強引に何かを買わせるためのものじゃないんだよね。

他人を言葉巧みに思い通りにコントロールして、自分だけ幸せになろうとするためのものでもない。


そうじゃなくって、

人が「愛を注ぎたくて、たまらなくなるもの」を創造すること、

それがマーケティングの本質であると私は思っています。



そして素晴らしいことに、このインターネットの世界には「共感がお金に変わる」という仕組みがあります。

共感の世界では、これまでの無価値感ベースの社会では「弱さ」と言われていたものが「最大の強み」になるしかなくなる。


そう。インターネットの中ではすでにそんな『女性性社会』が到来しているんですよね。

女性性社会は、自分の感覚・感性・感受性こそが現実的なチカラを持つ世界。

今まで男性性社会がキツかった人だって、自分が選びさえすれば、生きる社会を乗り換えることが出来るんです。


これは綺麗事でなく、リアルに起こっている話。

体力ないからダメだとか、病気だから幸せになれないとか、障害があるから人生上手くいかないなんて、そんな怖いことを思わなくていい世界が、手を伸ばせば すでにすぐそこに広がっているんです。


でも、そうは言っても、女性性社会ってこれまでの社会の仕組み・前提とは全然違うことも多いから、そこに移行するまでの期間ってわからないことも多いし一人だと不安や怖さも出てくると思うんです。

周りにそんな価値観の人もいないし、どうやったら「弱さ」や「感性」や「共感」が現実的にお金に変わっていくのか全然見えてこない、なんてことも多いと思います。


そんな移行期間を、一緒に越えていけたら。

そういう思いで(私のエゴなんですがね)、この一年間、『優しいマーケティングの話をしよう』と名付けた定期購読マガジンを運営してきたんですが

この度二年目に突入ということで、心機一転、マガジンの名称を変えることにしました。

名前なんてどうでもいいっすわという感じかもしれませんが、なんか新しくしたかったんですよねえ。気分的に。


これからは、『優しいマーケティングの話をしよう。』改め

『Sunaoの〝感じる〟女性性マーケティング塾🌸🌸』

となりまあす。


なんかテンション高い名前ですいません。笑

「感じる」「女性性」「マーケティング」の単語を一か所に同居させる支離滅裂なコピーライターは私くらいなものでしょう。

※ ちなみに私自身も塾生という設定になっておりますよ🙋


女性性社会において、人が愛を注ぎたくてたまらなくなるもの、それを創造するのに必要なものは、自分の感性だけ

その感性を、一体どう扱えば現実的な豊かさに変えていくことができるのかということを一緒に研究して、そして実践していきましょう◎


というわけで。

改めまして、二年目に入りましたサブスク版Sunaoを これからもどうぞよろしくお願いいたします🕊

ご登録まだのかたは、出入りご自由にどうぞなのでいつでもお気軽に のぞきにいらしてくださいね。


ではまたね。


………


🌸ここからはSunaoのギフト屋さんコーナー🌸

大切なご自分への贈り物に、手にとっていただけましたら幸せです。


🎁 過去記事の詰め合わせBOX 🎁

これまで書いてきたたくさんの文章の中から、執筆者である私自身が「これは」と思うnoteを厳選して三種類の玉手箱をお作りしました。


どこか遠いところにいる凄い人でも何者でもない、私というフツーの(なんならコンプレックスだらけの)生身の人間の、

自己受容・自分との和解・女性性の肯定、また “フォロワーゼロからの発信活動の軌跡” として何か受け取っていただけるものがあれば、これほど嬉しいことはありませぬ。


今のご自身の感性でピンとくるものをお受け取りいただければと思います🌸


① 自分自身からの永遠の愛を思い出す自己統合BOX【抱擁】(¥5000)


② 内なるチカラが溢れ出す女性性受容BOX【潤】(¥4900)


③ 運命の出逢いを創造する恋力サポートBOX【凛】(¥2500)


これからも時を経るごとに過去記事を収載してボリュームアップしていく予定ですので、お手にとって愛でていただければ幸いです。

そして、泣きたくなったときや無価値感・孤独を感じたときに開いてもらって、「ああ、ひとりじゃないな」って感じてもらえたら、すごく嬉しいなと思います。


🕊 その他 過去記事保管庫はこちら 🕊


🕊 これから発信活動をがんばりたいあなたへ 🕊


🕊 有料note書いてみたいかたへ。🕊

無料マガジンです。営利目的でご利用ください。


🕊 優しすぎて生き辛い人のための『自分軸のつくりかた』(わたくしのnote処女作です) 🕊

〝 繊細な感受性を持つ人にとって、もしかしたら生きることは、傷付くことと同じ意味を持つのかもしれません。

それでもわたしは「生きることを、怖がらないで」って、伝え続けたい。 〟


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よかったら遊びにいらしてくださいな🌸


本日もここまでお付き合いくださり、どうもありがとうございました!



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