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戦争を学べない私だって平和を願いたいわけで。
私がHSCだった頃。
HSCっていうのはアレです、ハイリーセンシティブチャイルド、人一倍びびりなかわいこちゃんのことです。
私がHSCだった頃、毎日「火事になったらどうしよう」「戦争が始まったらこわい」「こわい夢見たらいやだ」とびびりまくっていました。
夜はお布団にもぐって「火事になりませんように、ミサイル飛んできませんように、こわい夢見ませんように」と一通りお願いしてから寝るのが日課でした。
怯えすぎてお母さんに「すーちゃんが寝るまで5分おきに様子見にきてね」とお願いする始末。母大変だったよなあ、ごみんね。
その頃から怖いことや痛いことへの共感力がバキバキだったので、終戦記念日のある八月はいつも怯えていました。
戦争の形も多様化してきている昨今ですので最近のお子さんがたがどのように学んでいるのかわからないのですが、私が子どもの頃は八月になるとテレビや新聞、学校で戦時中の「悲惨な体験」の情報が一斉に取り上げられ、私はそれを異常なくらい怖がっていたんですよね。
戦争の残酷さが縮み上がるくらいに怖かったんです。
こんな感じなので火垂るの墓だってちゃんと見れたことがないし、原爆ドームにもひめゆりの塔にも行けたことがない。
学校の授業で見る映像だけで、もういっぱいいっぱい。
感覚の違う人には怒られるのですが、文字通り虫も殺せないほどの共感性を備えている(というか命まで奪う意味が本当にわからない)私は、細部まで識ってしまったら心が即死して再起不能になってしまいます。
共感性羞恥のように共感性恐怖や共感性悲嘆などという言葉があるのかどうかはわからないけど、人の恐怖や悲しみを追体験してそれがしばらく身体を離れなくなるような、そんな感じ。
そういう事情で詳しく学ぶことは避けてしまうのだけど、それは当時置かれた場所で懸命に命を全うした方々(または今現在もそのような状況にいらっしゃる方々)への冒涜などではないと思いたいです。
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私の好きな歌で、『島唄』って曲があるんですけど。
(よかったらご一緒にどうぞ↓)
ど真ん中の世代のかたもいらっしゃると思いますし学校の合唱コンクールなどで知ったかたもいらっしゃると思います。
この曲って、すごく悲しい歌なんですね。
ご存知のかたには基本的な情報なのでしょうけど、私は大人になってからこの事実を知り、すごくすごくショックを受けました。
本当に悲しかった。
沖縄のあの美しい海のさざなみのように穏やかな曲調にのせて、とても残酷で悲しい過去の出来事が歌われていたのです。
そのことを知ってからというもの、この曲を聴くと言葉にならない痛みに心が押し潰されて何回聴いても大泣きしてしまう。
(歌詞に込められた意味についてはこのページの最後で動画をシェアさせていただきます)
私はいま、この歌詞の中で、海や宇宙や神や命、万物に祈るほどに切望されている「夕凪(命を脅かされる恐怖のない日常、と私は訳したい)」を生きている。
「よりよく生きるには」なんて贅沢なことで悩める私の今は、この曲で歌われているような壮絶な時代を生きた方々と、そして個人レベルにおいても恐怖や支配や痛みのない日々を切望していたこれまでの歴史の上に成り立っているのですよね。
そう思うと、これ以上他に何もいらないよって叫びたくなるくらい、平穏な今このときが大切で愛しくなる。
平和な日々を手に入れた未来を、私は今ここで生きてるんだ。
ああ。
世界中の誰もが何にも怯えずに眠れる静かで穏やかな夜が、いつの日か訪れますように。
なんて願っても、救われるのは自分一人でしかないことくらいわかってる。
人類の幸福や安寧を願ったところで何かを大きく動かす力など私にはないのだよ。
だからせめて、今こうしているこの一瞬だけでも、画面の前にいるあなたとわたしの心に、静かであたたかな時間が流れますようにと願わせてください。
そうして生まれた小さな祈りがいつか風にのって海を渡り、世界の果てのどこかにいる、あなたやわたしのような誰かのもとへ届きますようにと。
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島唄の歌詞にこめられた意味の動画へはこちらのシーサーたちをタップでGOできます。