日記 0101-0125
1月1日
すべてが新しい新年。できればこのまま綺麗なままでいたいけれど、間違えるし、気に入らないこともあるし、すべてどうでもよくなったりもするし、ずっとずっと白いままでいるのは無理だな。まっさらな手帳に文字を書き始めるたびに思うこと。
1月2日
「寂しい」と「淋しい」の違いを調べてみる。今日みた「スロウトレイン」で、松たか子がいろんなひとに「さみしさを感じる瞬間」を尋ねていた。座る人のいない椅子。返事が来ないメール。一方通行な恋心。終わりを予感しながらつながること。いつもうっかり言いそびれちゃうぐらいの孤独と向き合うために、私は私と大事な人の顔を見る。顔のない誰かに納得してもらうための理由はいらないのだ。
1月3日
音楽を聴きながら散歩、たぶん17:00すぎくらい。渡り鳥のV字隊列を見た。縁起の良いものらしく、お正月にみれて嬉しい。とても綺麗な冬の夕方であった。
1月4日
初売りに行く。灰色のような白色の丸首カーディガンを買う。同じ形のニットとカーディガンがあったら、ボタン分可愛くて、ついカーディガンを買ってしまう。
1月6日
仕事に行っただけでえらくてすごい。久しぶりに雨が降り、帰り道は寒かった。まだイルミネーションは灯ってる。今日はスピン10号のA太郎の詩がとても良くて、唸った。
ただ削られていくぼくの命が、朝から昼にかけて、空から降る白い光の粒みたいだ。最初から忘れられているように、最初から愛されている。ぼくのことなど永遠に思い出せない人たちが、違う誰かをぼくだと思い、その人を愛している。
素性の分からない好意を受けたとき、その人からみた自分の方こそ素性の分からないただの無害な存在なんだと思うと、少しだけ、抗いたいような気持になる。A子さん読みなおそ。
1月7日
すこし寝坊。小雨。ランチは初めてのお店で曲げわっぱに入った手作りのお弁当を買う。木ってあったかい。ちゃんとしたものを食べると、自分のことを大切にしたくなる。
1月10日
29歳になった。なんてことない日だったけれど、誕生日が金曜日なのは嬉しい。昔の写真を見る。赤ん坊の私と小学生の姉と兄が写った写真から今、地続きになってここにいる。昔は私、眉毛が三角形だった。
1月12日
休日出勤。寒空の中、就活生たちにどうですどうですと資料を配る。常に身体をぎゅっとしていたから、帰る頃には節々が痛かった。退勤後、シュラスコへ連れて行ってもらった。何種類の肉を食べたか分からない。今日は無尽蔵に食べられた。
1月13日
昨日の疲れを引きずって(すごくしんどかったからなんとしても引きずりたくて)今日は全然動けなかった(動かなかった)。ずっと仄かに眠い。
今日は太宰の「斜陽」を読みおわる。女のひとのひっそりとした、だけれどどうしようもなく何かを求めているような語りに、これがいい、これでいい、と思う。
1月14日
「バナナフィッシュにうってつけの日」で自殺した兄が7歳のときに両親に宛てた手紙を読んでる。秀才すぎる彼に見えている世界を見ることはできないけれど、なんとかして救ってあげたいような気持になる。彼の為にごはんを作りすぎてしまう叔母になりたい。
1月15日
塩麴に漬けておいた鶏肉とキャベツをバターで炒める。恋人は塩麴の味が分かっていたようだけれど私には分からなかった。バターとめんつゆで味付けをしただけの割には深みのある旨味のような味がしたので、これが塩麴パワーだったのかしらん。
1月17日
恋人の誕生日。毎日これがいいと思うような1日であった。ゆっくり起きて、有りものでごはんをつくり、二人でおいしいと言いあいながら食べる。図書館で昨日買った本を読む。夜はクロちゃんのリアルすごろくみながらケーキを食べた。
1月18日
別に正解とか、綺麗に整頓された言葉が欲しいわけではない。ずっと探してたものが落ちてやしないかと目を凝らしてる。砂浜で好みの石ころを探すのに似ている。最近の読書。
1月19日
「ベル・ジャー」をよむ。繰り返しに参っちゃう気持、分かるなあ。顔を洗い、服を着て、化粧して、電車に乗って。月が変わったらカレンダーをめくるように、一年経ったらあけましておめでとうって言いあうように、毎日の生活にも継ぎ目が必要だ。そうじゃなきゃ、ずっと真っ白な闇の中だ。
1月20日
終わるかな?いや、終わる!
え、でもこれ本当に終わるの??
終わる!!
を繰り返した日だった。
1月21日
スナップエンドウって好きだわと思う。名前もキュートだし、鞘の中からころんと出てくる豆もキュート。今日はお揚げに餃子の種を包んで、レンチンしたもの。餃子もどき。お揚げに詰めるシリーズ、簡単なので定番化したい。
1月23日
最近ハマっている「デデデデ」アニメ。今日は神回であった。おんたんと大葉の夏の日の散歩。二人で宇宙船を見に行ったねってどこかでだれかが歌っていそうな風景だ。二人の言葉や目線や仕草をじっと待つように見守った。大葉、絶対にいなくなっちゃ駄目だからな!!!
1月25日
今日は映画を二つみた。記憶を失ってしまった男の話と、古い日本の映画だった。記憶が今をつくっているとしたら、記憶を失ってしまった人の今はどこにあるのか分からない。上書きと更新を続けるしかない人生はすこしかなしい。