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結婚って、結局何なの?


最近よく考えていることです。

ふとInstagramを開くと、知り合いが結婚報告と共に、指輪の写真を投稿している、そんな年頃になりました。

私の周りの友人は、結婚願望が強い人が多いので婚活に励んでいる友人ばかりです。Instagramや、そんな友人達の様子を見ていると…、そこまで興味の無かった私も…結婚って何なんだろうかと、考えてしまいますよね…

また、3ヶ月くらい前に、とてもショックな事があり、その経験を経て、今当たり前に満たされている感情は、永遠に満たされる保証が付される感情ではないのだなと悟り、結婚したいなと、何となく思うようになった。

未だ、周りの友人達ほど気力も熱量もないのだけど、今はしっとりと、そう思っている


結婚って何の為にするのだろう?


結婚の一般的定義に立ち返ると、それは法的な契約を結び、家族になること、だと思う。

確かにそうだ。血の繋がっていない人間と唯一家族になれる手段だ……。後は、血が繋がっていないということは、唯一、自分の意思で選ぶ事の出来る家族という事でもあると思う。

でも最近は結婚のスタイルも少しづつ変わってきて、結婚の定義も、時代とともに変化しつつあるように感じる。

私は旧型の結婚には惹かれず、DINKSや事実婚、同性のパートナーと暮らしたり、そういう枠組みに囚われない、自由なスタイルに惹かれます。

恐らく、自分が古風な家庭で育ったからこそ、そういった自由で、前衛的なライフスタイルに強く憧れを抱くのかもしれませんね。

自分が一匹狼な性格である事も起因しているかもしれない。


とある婚活垢さんのツイート


をみて凄く共感した事があった。


ツイートにも、著作権のような権利があると個人的には思うので、自分なりの言葉で、引用をさせて頂く。


「自分が追い込まれて死ぬ以外の選択が無くなった時、一緒に死ぬという決断をしてくれるような人と結婚したい」

このツイートに共感し過ぎて、この事で頭がいっぱいになってしまった。

所謂、情死に近いニュアンスだと思うが、これがすごく分かるなあと…

なんというか、私は情死そのものに憧れている訳では無いのだけれど、それくらい好きになれる人がいるって羨ましい、そんな感情。

大切な人が居ない悲しみを味わうくらいなら、自分の残りの人生を投げ打ってでも、一緒に死んだ方が幸せになれるって、どれだけ深い愛なのだろうか、と思うんです。人生で、そう思えるくらい大切だと思える人に出会えるって素敵だなと、

大切な人がこの世から去って、悲しみに暮れていたとしても、ご飯は美味しいし、夕焼けは綺麗で、小さくとも幸せを感じる瞬間はあるのだと思う、それでも自分も一緒に命を終えようという選択が出来るって、果てしなく、そして底無しの深い深い愛なのだと思う


結局私は、結婚という形式的な契約

が欲しいのではなく、ただ、心の深いところで繋がりあえるような、そんな存在の人と一緒に生きていきたい、ただそれだけなんだよな、と。

言葉では簡単に言い表せないような、2人だけの特別な繋がりが欲しい

そんな風に今は思ってる


彗星ハネムーン

あなたとランデブ 恋しているのさ ふたり
愛してモナムール いっそ、ふたりきり
どっか遠くへいこうか

愛してモナムール 由縁なんてなくても
いいよ 遠くへ いこうか

ねえ 聞いて モナムール
片道切符でも いいですよ?

夜が明けたら 何処へいこうか
永遠に出逢えぬ あなたと 星巡り繰り返し
目指すは 夢の 出発点さ



彗星ハネムーンの歌詞が、私の恋愛観をふわっと表してくれていて、最近出会った曲ですが、一気に惹き込まれました。


片道切符しかなくても、いっそ遠くへいこうか

名残り惜しさも、思い出もこの星に置いて、もうこの場所に戻る事が出来なくても、それでも2人で、どこか遠くへいこうか

なんて、浪漫のある歌詞なんでしょうね笑


由縁なんてなくても、片道切符しかなくても、2人でどこか遠くへいこうか、なんて言いあえる人に出会えたら、思い残すことなく、宇宙の終着点を目指せるのだと思います。


夢の出発点でもある宇宙の終着点を、誰かとふたりで、目指してみたいものです。





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