線香花火が見つからない夏
「花火しよっか、夏だし」
そう切り出したのは多分私だったと思う。記憶は曖昧だけれど、少なくとも奴からそんな気の利いた台詞を吐かれたことはないから、やっぱり9割9分自分が言い出しっぺなんだろう。
奴は初恋の人だった。何度もラブレターを書いては何度も振られていた思春期を超えて、奴と私は2019年の夏に2人で花火をしようとしていた。きっと初恋をしていた15歳の時の自分が見たら泣いて喜ぶ光景だろう。しかし、その時の私は口の中に広がる苦さを奥歯で噛み潰す心持ちで奴の隣を歩いていた。
閉店間際のホームセンターは程よく閑散としていて、安っぽい音質の販促音楽と一部切れかけた照明がよく馴染んでいる。季節は夏の盛りだったから、特設コーナーに陳列された花火を見つけるのにそう時間はかからなかった。1番大きな打ち上げ花火のセットを手に取っておどける奴を軽く流して、2番目に小さい手持ち花火セットをカゴに入れた。大人が2人、花火を楽しむには少し物足りないくらいの量ではあったが、私達の距離感ではこれでも十分過ぎるくらいだったし、実際半分も使い切らずに終わらせたので妥当な判断だったと思う。
「小さくない?別にいいけど」と奴は少し不服そうに零したが「線香花火したいから」と返せば、ふうんと適当な相槌が返ってきた。まあ、そんなものだろう。
帰り道、最寄りのコンビニでしこたま酒を買い込んで、私と奴は帰宅した。虫に刺されたくないからとパーカーを羽織って、私はいそいそと花火の支度をする。花火をするには些か明るい夜だったけれど、今日を逃したらきっと一生奴と花火をすることはないなと確信めいた予感を感じていた。
「取れないじゃん」
「待って、今剥がすから」
「ほんとにやるの?花火」
「線香花火したいから」
「別に今日じゃなくても出来るでしょ」
「あ、剥がれた。火つけて、火」
花火に固執する私をどこか面倒くさそうに見ていた奴も、いざ始まるとなると意外と従順で、文句も言わずに着火剤に火をつけた。袋から無造作に取り出した花火をいくつか手に取って火薬に火をつければ、白煙と喉奥にへばりつく独特の苦く辛い臭いが辺り一面に充満する。幼い頃の花火の記憶が頭の奥で、火花と一緒に瞬いては消えた。
お酒を飲んで、写真を撮って、Instagramに投稿して、宙に火花でハートや星を描いて、歌ったりおどけたりしながら花火を燃やした。その時の私は努めて明るく振舞っていて、自分は幸せだと思い込むのに必死だった。それでも時折顔を覗かせる虚無感に耐えきれなくなった私は、潮時だなあと散乱した袋に手を伸ばす。
「あれ、ない」
「何が?」
「線香花火」
いくら袋をまさぐっても、お目当ての線香花火は見つからなかった。「無いなんてことある?」と奴にしては珍しく手を貸してくれたにも関わらず、ついぞ線香花火を見つけることは出来なかった。数分経ったところで飽きがきたのか、結局私と奴は小さめの花火セットを半分も使い切らないうちに最初で最後の花火を終えた。
奴にとっての私は都合のいい財布だったのだろう。だろう、と言うより実際そうだった。別に恋人関係でもないのに、助けを求められたからと奴を救おうとした私は、あの夜にはとっくに地の底に居た。ただ、それを認めたくなくて認められなくて、花火に逃げた。
全てが終わって秋が訪れた頃、車のトランクに押し込めていた、あの日半分残した花火の袋からぽろりと線香花火が出てきた。今更でてきたそれも、自分の置かれた状況も、何もかもが滑稽で、鈴虫の鳴く夜に私は再び花火を燃やした。
2人で買った花火を1人で始末する。奴に渡せなかった手紙の束と、夏の苦い記憶と、幼い頃の初恋は、湿気り始めた花火でもよくよく燃えて、夜風に融けて消えていった。