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2024.3.5 スコール
最近、ペットカフェ的なところへ通っている。
ついでにサーティーワンでアイスを食べて帰るという、我ながら完璧な休日を過ごしている。
去年の夏に愛犬を亡くして、毎日彼に会いたいと願う日々を過ごしていて。ゴリッゴリのペットロス。それは私も、家族も同じくなのです。
私に限った話だと、生まれてからずっといろんな生き物がそばにいたんですよ。でも去年の夏に亡くなった子はちゃんと責任を取れるようになってから初めて家族になった、わたしにとっての初めての子どもみたいな存在で。けど遊ぶのが楽しかったり自覚が足りず大事にしきれず親にたくさん頼った部分もあって、ちゃんと向き合えなかった自覚があるのです。まごう事なき後悔。
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仕事から帰っては小さくなってしまった箱へ、いつもと同じ調子で話しかける日々。たいして大事に出来なかったのに恥ずかしい。自分よりも弱い、けれど無償の愛を注いでくれる存在を求めてしまう。
彼のにおいやふわふわした毛もすぐにリアルに思い出せるけど、その分もういないという事実がつらい。そして、いつか忘れてしまったり思い出せなくなるという事実がよりつらいのだ。
あれ?なんだかこれじゃ超暗い日記じゃん。うーむわたしの書き方が悪いな。悲しみ10000%みたいなそんな重苦しい感じじゃなくて、全部が陽だまりのような記憶なんだよね。まじで楽しかったことしか思い出さないのよ。本当にしんどかったら振り返ることすら憚れると思うけど、こうして思い返して語れるというのは、前に進めている証拠な気がするんよね。なんなら覚えていたいから書いた、前向きでクソ重く執念深い日記なのだ。笑
かわいそうなことをした、と家族は言うけれどわたしはそうは思わない。彼が一生懸命生きていたことを知ってるし、残された側の勝手な解釈だと思うけど、悲しみ以上に幸せな気持ちをくれた。出会わなければよかったなんて絶対に思わない。
なんで今こんなことを書いているかと言うと、久々に触れ合った生き物たちがあったかくてとても愛おしかったの。信頼してくれて、触れることを許して身を委ねてくれてありがとう。言葉がなくたって分かり合えるなんて、めちゃくちゃ最高ですごくしあわせなことだとひさびさに再確認した。
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また会いにいくね。
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