頑張ることの意味
私は「頑張れ」という言葉が大嫌い。
しかし、他人には「頑張れ」と使ってしまう。
理由は1つ。「頑張れ」という言葉以外の語彙を持ち合わせてないからだった。
嫌いな理由は、頑張っても頑張っても結果が出ない。
あなたは私の何を知っているの?
頑張ってる姿見てないよね?
もう頑張れないほど頑張っているんだよ。
と思ってしまうからだ。
そこには、自分だって相手の頑張りを見ていないのに
貴方より頑張っている。
という謎のマウントがある。
「頑張れください」という人は、頑張れてないと自覚しているのではないかとも思ってしまうのだ。
自分はまだまだできる。だから応援して欲しい。そういう思いがあるのではないかと。
私には正直、甘えであると思う。
頑張れと言われなければ出来ないなんて、まだまだ子供だなとも思ってしまう自分もいる。
他人は他人で色々な考えがあって良いのだけれど、頑張れと言って貰えるかどうかで自分の価値を見出している人間が多い気がする。
私は誰かの承認欲求の為に使われることが大嫌いだ。
頑張れください。
と言われると、しょーもね。と思ってしまう。
あなたはあなたなりに一生懸命している。
それを誰が1番分かっている?
それをだれが1番知っている?
【自分自身】
なはずなのだ。
あなたがあなたを認めていない限り、外側に何を求めても満たされない。
だから、あえて言います。
自分をちゃんと知ることを【頑張れ】
全ては自分の中にしか答えはなく、世の中の悪や善など、他人の価値観でしかない。
自分は本当はどうしたい?
他人に人生の舵を握らせるな。
この人生において、船長はあなただけなのだ。
もっと自分を見つめよう。もっと自分を知ろう。
今日何が食べたい?いつトイレに行きたい?
それすらも分からない人が多すぎる。
仕事や家事を頑張るのではない。
自分を知ることを【頑張る】必要があるとおもう。
悩んだ時の魔法の言葉。
本当は?
本当は?
本当は?
私たちには私を知る権利がある。
他人なんてどうでもいいのだ。
あなたの人生を生きよ。