思い込みの世界
突然ですが、あなたはカメラです。
カメラは色々なものを写します。
しかし、カメラはカメラを映すことはできません。
このような雰囲気のことを言ったのは哲学者のカントです。
人間にもそれは当てはまることです。
私たちは見たい世界、見れる世界しか見れない。
人間の体には映写機(心や脳)があって、そこで感じた物や考えたことが、現実として映し出される。
人間はそれを知らずに(忘れて)、映し出された現実にのめり込んで、現実をどうにかいじくろうとする。
話は少し変わるけど、
あなたは映画館に行きました。
1番劇場でコナンが上映をされています。コナンを見るために1番劇場に入ったのに、アンパンマンが上映されてしまいます。
店員さん、間違ってない?
フイルム違うやん。
そう思うと思うのです。
間違いなく1番劇場に入ったのに。
でも現実の世界となると、アンパンマンがコナンになることを願い、祈り、どうにかしようとするのです。
おかしいのはフィルムなのに。
現実を変えようとすれば、自分の映写機を変えなければいけないと思うの。
「人は変えられない。変わって欲しかったら自分が変わること」
とよく母に言われる。
この言葉を聞く度に
心の映写機を変えなさい。と言われているなと感じる。
例えば死刑になるくらい悪いことをした人。
報道ではその人がやった犯罪や過去の悪事が流される。
でもその人にもその人を愛している親がいるし、きっと愛し合った恋人も、楽しい青春時代を過ごした友人もいるはずだ。
その人たちから見れば、その人も大切な人。
被害者からみれば、悪人。
私たちは、片方だけをみて、人を判断していないだろうか?
全てを愛せや、許せと言っているわけではない。
あなたにはどのような映写機がありますか?
その映写機には自分にとって幸せなフィルムが入ってますか?
フイルムを変えられるのは自分だけなのです。
自分が見たい世界を見よう。
自分の望むフィルムに変えていこう、