気の合う友人の話
親がぼやいていた。「同僚の書く文章がポエムなんだよ。求められているのは真面目なコラムなのに」
そう言って、その同僚の方の書いた文章を読んでくれた。世に出ていないものなので、内容は言えないのだけれど...時間の流れの中にいるわたし、みたいな感じだろうか。
確かに親をはじめ他の記事は学術的、客観的な根拠に基づいて書かれているもので、それと比べると明らかに違う。筆者から見た主観的な世界が描かれているなぁ、と思った。
そして、親は「意味がわからない」と言ったけれど、私は「面白い」「この人とは話しが合いそうだ」と思ったのだ。
確かにコラムとして世に出すには適していないかもしれない。
けれど、その人の文章の中に広がる世界は私にとって共感できるものであった。
話は変わるが、私にはとても気の合う友人がいる。
彼女と出会ったのは中1の時だ。クラスは違ったけれど、同じ学年の人を集めたLINEグループで彼女のことを知り、何故だかわからないけど仲良くなった。
彼女とはそこまで共通点は多いわけではないし、それはその当時からだった。
でも仲良くなった。不思議なことに。
いつからだっただろう...履歴として残っているのは3年前までなので、少なくとも3年間に渡り、私は彼女とメールやLINEで2人だけのやりとりをしている。
内容は別に大したことはない。
「おはよう」「おやすみ」「今日のお昼はカップ麺」「弟うるさい」「勉強しなきゃ」
ここに挙げたのはまだ、内容がある方だ。顔文字を送り付け合うだけの日もある。
それでも、彼女との会話は苦痛じゃない。学校で会うのが楽しみで、毎日毎日、直接でもLINEでも、彼女と話すのは楽しくて楽しくて仕方ない。
これがきっと、「気が合う」ってことなんだ。
「良い人間関係は共通の関心事の上に築かれる。とくに重要な6つの関心事とは、職業、世界観、ユーモアのセンス、音楽の好み、地理的な帰属、そして教育レベルだ」(New Scientist 起源図鑑ビッグバンからへそのゴマまで、ほとんどあらゆることの歴史 より)
私と彼女の共通点はそう多くないと思っていたけれど、この「6つの関心事」について思い返してみれば結構似ているかもしれない。
学生だから進路や将来の職業を気にしているし、ちょっとネガティブで自己否定しがちなところも、擬音語ばっかの会話が面白いのも、人とちょっとズレた音楽が好きなのも、そして同じ日本のそう遠くない場所に生まれたのも、私と彼女は同じだ。
この6つの関心事の中でも、特に親しくなるにあたって大切なのは世界観だと私は思っている。
その人と親しくなるということは、その人の世界の内側に自分が入っていくこと。世界観が似ていないと親友レベルまで親しくなるのは難しいんじゃないかなぁと思う。
ネガティブで、センチメンタルで、生きている意味とか生まれた意味とか毎日のように考えてしまう私は、周りから見れば変わった人間、理解できない人間なのかもしれない。
ただ、彼女は私のことを心の底から理解してくれている(と勝手に思っている)し、最初に挙げた親の同僚のように同じような世界観を持つ人間は世界に意外とたくさんいるのかもしれない。
そんな人と出会う日を私は夢見ている。
ああ、この文章をもし親が見たら、「ポエム」と言いそうだ。