ご祝儀袋が私に見せつけた『人生最大の痛み』
この春、妹の長女、つまり姪っ子が小学生になった。
妹は就職と同時に当時私と暮らしていた母を追いかけて沖縄にやってきて、沖縄の男性と結婚して2人の子どもがいる。
ついに就学ということもあり、ほんの少しだけどお祝いを送ろうと考えた。
結婚でもなく、喪でもなく、本人以外のためのお祝い・・・。
人生初のイベントを目の前に壁にぶち当たった私は、一人脳内会議に走った。
牧男「とりあえず1万円か?」
牧人「おま、正社員の姉としてさすがにしょぼすぎだろ。」
牧子「だったら5万円?でもこの金額って、恐縮したりしないかしら。」
牧人「いや、『初めて学校に入る』のは一生に一度だし、それくらいでもいいものじゃない?」
牧男「いやでも・・・」
文明の利器で相場を調べるということがすっかり頭から抜け落ちた私の会議は堂々巡りを繰り広げた。
その結果が、こちら。
うん、こんなもんかな。
これなら私の気持ちも伝わるし、妹も恐縮するようなことはないだろう。(※これを書きながら調べたところ、きょうだいが贈る甥姪への小学校入学祝いの相場は1万円だそうですよ)
一人きりの静かな我が家でご祝儀袋を見ていると、姪っ子が生まれた時のことを思い出した。
当時は母がこの家にいたため、妹は里帰り出産と称して姪っ子が生まれて3ヶ月ほど我が家で過ごすことになった。
私は、不安が大きかった。
なぜなら、小さな子ども、特に赤ん坊が大の苦手だったからである。
そうこうしてる間に、妹が生まれたての姪っ子を連れて我が家に滞在する日がやってきた。
母「赤ちゃんはとても敏感だから、とにかく家の中では大きな物音を立てないように!!」
ADHDの私は丁寧にモノを扱うことが苦手。
「音を立てるな」と言われた直後に棚の食器を崩して母と妹から睨まれる始末。
そんなこともあり、私は母、妹、姪が常にいるリビングには足を踏み入れず、自室に籠りがちになった。
また、この時は職場でも大きなストレスを抱えていたことから、日々の生活の中で「息ができる」と思えたのは、家と職場の通勤路を歩いている時しかなかった。
そのため、必然的に帰路の足取りはゆっくりになり、途中の公園で黄昏ることも増えていった。
ある日、帰宅し普段どおり逃げるように自室に駆け込んだ私は、この状況に耐えきれず声を殺して泣いた。
布団を被り、とめどなく溢れるやり場のない気持ちに包まれ、布団の中を転がりながら静かに涙を流した。
そんな私を見かねたのだろう。
妹は当初予定の3ヶ月を待たず、1ヶ月と少しで我が家を去り、旦那の元に帰っていった。
黄色いご祝儀袋を眺め、目を細めながら少し苦い思い出に浸っていると、ふと疑問に思ったことがあった。
「私は一体、何があんなに辛かったのだろうか」
そう。
悶絶して泣くほど苦しかったにも関わらず、今にして思えば一体何が辛かったのかハッキリしないのだ。
あの時の気持は、一体何だったんだろうか・・・。
思考を巡らせると同時に、答えはすぐにやってきた。
「そうか・・・家族の中で見向きもされず、雑に扱われることが私の人生最大の『痛み』だったんだ。あの時感じていたのは、まさにその痛みだったんだ。」
母、養父、養父の実の子である妹と弟の5人家族だった私は、9歳頃から養父が私に全く関心を払わなくなったことに気がついた。
子どもにとって、親に関心を払われない、愛を受け取れないことは死を意味する。
しかも、家族でたった一人、私だけが愛の対象ではなかった。
強烈な心の痛みを消し去るため、私はいつしか家族から出来るだけ距離を取るようになった。
そして心が激しい痛みを感じないよう自己暗示をかけ、一人きりの世界に籠もったのだ。
それは、小さな子どもが生きていくための出来うる限りの方法だった。
家族の中で関心を払われないこと、そして他のきょうだいよりも劣後に扱われていると感じること・・・。
思い返せばいつもそうだった。
「自分は他のきょうだいより大切に扱われていない」と感じることが起こると、毎回正気が保てなくなり狂ったようにのたうち回ったことが何度かあったが、この経験もその一つだったのだ。
それはつまり、私にとって『人生最大の痛み』にほかならない。
母(と妹)の関心は、小さな子ども。
私は音を立てることすら許されない。
安心して過ごせるはずの家の中で、この状況は私に耐えられるはずがなかったのだ。
このひらめきが降りてきた時、確かに驚いた。
驚いたけれど同時に、過去のことだということも理解していた。
というのも、去る年末年始のタイミングで、母が私を差し置いて弟を大切に扱っている場面に出くわしたことがあったが、しばらくたってその事実に気がついたことがあったのだ。
あぁ、、、私の痛みはもうほとんど癒えているんだな。
何十年にも渡って私自身を苦しめてきたあの痛みをも、自分の力で解消することができたんだ・・・。
多くの人が抱えている、人生最大の痛み。
もしもあなたが生きづらさを抱えているとしたら、それがその正体なのかもしれません。
自分一人でなんとかしようとしても、孤独な道のりは果てしなく長く、険しい。
それよりも、共に旅に連れ添ってくれる人がいれば、その旅にも楽しみが生まれ、しかも行程が格段に短くなるのです。
自分自身に立ち向かいたい、自分を見つめ直したい・・・。
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