人が求める"究極の"居場所
※繊細な性のお話になります。
皆さんには、自分の居場所がありますか?
それは家族だったり、昔からの友達だったり、最近のオンラインコミュニティであったり・・。
ほとんどの人が複数の居場所を持っているものと思います。
かくいう私は、かつて『友達は消耗品』という薄情者だったため、身を置いていたのは一時的な居場所ばかり。
居場所は常に、どこかにあればいいと考えていたのです。
ところが、そんな私に決定的に居場所について考えさせられる事件が起こりました。
人生で最も自分の『性』について悩み抜いたのは、30歳前後の頃。
マイノリティである自覚はあったのですが、自分がどうなりたいのか全く分からず、深夜近所の友人夫婦の家に転がり込んで嗚咽したこともありました。
女性を同性とは見られない。
だからといって、男性になりたいわけでもない。
自分は一体何なんだろう。
性認識について、自分の居場所は一体どこにあるんだ??
その後、自分と同じヒトを求め、セクシャルマイノリティのサークルに所属することに。
きっと、自分と同じ人がいる。
きっと、分かりあえる人がいる。
そんな希望を抱いて飛び込んだのです。
しかし、40人を超えるサークルにいたのはゲイ、レズビアン、バイ、FtM、MtF等
認識の違う人ばかり。
私と同じく、自分の中に男性と女性が混在している感覚をもつ人は一人もいなかったのです。
愕然としました。
マイノリティが集まる中ですら、私と分かりあえる人はいないことに。
つまり、自分の居場所がここにもないことに。
この広い世界において、生物の根幹である性の居場所がないのは決定的な孤独でした。
しばらくは打ちひしがれるような気持ちで過ごしていたのですが、ある日、ふと一つの考えにいきついたのです。
・・・どこでもない。
自分はどこまでいっても自分じゃないか。
自分の居場所は、"自分自身"なんだ!
この時の安心感は、言葉では言い表せないほどでした。
同時に、自分の究極の居場所は自分自身である、ということを理解したのです。
もちろん、自分以外の場所は居場所ではない、ということではありません。
大切にしている友人関係、仲間、団体はいくつか存在します。
ただ、自分が自分という居場所にいるからこそ、どこにでも恐れず向かうことができる。
そして何より、居場所がなくなる不安に襲われることもない。
そして、自分という居場所にいるからこそ、誰かと一緒にいない時間が多くても、何の不安も、孤独も感じることがない。
自分の究極の居場所は、最大の心の安定をもたらしてくれる・・・。
私は自分の体験から、このように感じています。
あなたは、自分が求めている居場所に
今居ますか?
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