糸を紡ぎ繋いだ今日は山脈ですっ
朝目が覚めるとそこにはピレネー山脈が広がっていた。
眩しく晴れた空を、そよ風に乗ったドット柄の小鳥達がブルースを歌っている。
気持ちがいいじゃないか。
顔は動かさず、目玉だけ転がして変えた景色には、自由に育った大きなひまわり・・・
ではなく扇風機だ。
ここはヨーロッパではない、家だ。
自然のそよ風ではなく、パナソニックの弱だったし歌ってやがったのは生ゴミ目当てに彷徨うカラスだった。
壊れた幻想に失望しながら目を擦ると、目の前のうぐいす色の目ヤニー山脈がゴリゴリと崩れ落ちた。
汚い話で大変申し訳ないが、この目ヤニー山脈には訳がある。
今とあるテレビで、サンミュージックの先輩であるハイジさん(新鮮なたまご)が、江戸時代の浮世絵を、当時の手法と道具で一から再現するというモノづくり企画に挑戦している。
2〜3ヶ月前から挑戦しているが、到底一人で出来る作業量ではなく、たまらず後輩の手を借りようということになったらしい。
召集されたため、昨日一昨日とお台場まで行って1日8時間お手伝いをしたが、とてつもなく過酷なものだった。
端的に作業を説明すると、縮んだ綿をふわっふわにしてそれをチャルカという糸車を使って糸にするという内容で、いくつかの工程を僕含めた5人の後輩とハイジさんで分担して行った。
僕はチャルカで綿を糸にする作業を担当した。なかなか技術のいる仕事だったが、作業自体とても楽しく、綿から糸が仕上がる様は実に感動した。
でもとにかく綿の量が膨大で、1日7時間ひたすら糸を紡ぐ作業には終わりが見えず、次第に活きのいい若手芸人達がこぞって静かになっていった。
糸だけではなく口まで紡いでしまった状態だ。
主に何が大変だったかというと、作業のひとつに弓打ちとよばれるものがあって、固まった綿を弓の弦で弾き汚れを落としつつフワフワにしていく。この作業によりきめ細かい綿が部屋中に舞い、それが顔やマスクの間に入り込んで痒くなり、全員のストレスゲージを著しく上昇させた。
そして何よりキツかったのが、この大変な作業が明日にもある絶望感だった。
普段決してやることのない糸紡ぎは、手持ちの体力、忍耐力、集中力の全てをすり減らし、たった1日だけで翌日起き上がった時の身体の重さと倦怠感には驚いた。
一体これを2ヶ月も続けてるハイジさんは何者なのだろうか。
昨日の作業も6人でやってこの有様だ。今までそれを一人で全部やっていたと考えると想像するに余りある。仙人は言い過ぎだが鉄人では物足りない、ちょうどいい言葉があったら出会いたい。そんなところだ
兎にも角にもハイジさんを尊敬するしかなかった。
2日目を迎え集合場所に向かうと、鉄人以上仙人以下のハイジさんがいた。昨日よりも気持ち大きめの挨拶で合流し、尊敬の眼差しを向けると、求めていた跳ね返りが無い。
斜めに立った身体は猫背で丸まり、目は必要以上に開き、一緒に口も開いてしまっている。
よく見たら全然大丈夫ではないじゃないか。
目を覗くと確実に光はなく、終わってからしばらく経った人間の面構えをしていた。
完全にチャルカで糸を紡ぐ肉の塊になったハイジさんは、かっ開いた目でひたすら糸を紡ぎ続けた。
なんとか作業を終えた時間には、もうお台場を観光している人はいなかった。
この日で僕達は終わりだが、ハイジさんにはこの先作った糸を織ったりと次の工程がいくつも待っている。
想像を絶する過酷さだが、この2日間一度もハイジさんは弱音を吐かずに作業に取り組んだ。疲弊しながらもモノづくりを楽しむ姿は間違いなく仙人以上だった。
2日間僕達なりに頑張って糸を紡いだが、正直どれだけハイジさんの役に立てたかわからない。
それでもハイジさんは後輩一人一人の目を見ながらありがとうと言ってくれた。
僕はこの漢を応援する。
是非みなさんも、困難に目を逸らさず、任務遂行のためだけに身体を動かし続ける一人の物語を見て欲しい。
作業終わりの別れ際、みんなでキャンプファイヤーのようにハイジさんを囲み、それぞれの言葉で労った。疲れてもはやどの言葉もハイジさんには響かなかっただろう。最後に「お身体には気をつけて頑張ってください」とハイジさんの肩をさすると
服についた綿が舞ってみんなが離れた