「母の母役」とは?なぜその役を降りられないのか?

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。

この話の元記事はこちら!
「娘を産んだら母が子ども返り?~母になっても習慣化した「母の母役」はなくならない~」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということで、まだまだ夏が続いている大阪でございますけど、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

今日は、「母の母役?ん?なんやそれ?」っていう話を、お届けしていきたいと思います。

よかったら最後までお聞きください。

そして、チャンネル登録とかフォローとかも、よかったらよろしくお願いします。

カウンセリングをしていて、長女に多いっちゃ多いんですけども、子供の頃からお母さんの面倒を見てきたような、とくに精神的な面倒ですね。

まぁ、愚痴、聞き役になったり、励ましたりとか。

あるいは、お母さんの代わりにお父さんと話をするというか、戦うというか、お母さんの味方になって、お母さんを守ってきたりとか。

精神的にお母さんに頼られる、しっかり者として育ってきたっていうような、そういうお話っていうのが出てくることっていうのが、意外と多くあるんですけども。

そういう時に、「あなたはお母さんのお母さん役、母の母役っていうのをやってきたんだね」なんていうふうにお伝えすることがあるんですよね。

で、場合によっては、精神的に非常に近い距離になっていて、癒着とか共依存とか言われる状態になっている場合もありますし。

それが、実はこう自分の中の、「家族の中の役割」と言いますか、自分のポジションになっているので、わかっていてもなかなか手放せないっていうような、そういう状態になることっていうのもけっこうあったりするんですよね。

だから、そういう方っていうのは、すごく早くに自立をして、お母さんの面倒を見るわけですから、面倒を見られる側じゃなくてね。

だから、自立をして、すごくしっかり者で、たとえばだいたいお母さんはそういう時って、感情的、精神的に弱いみたいなところがあるので、それなりにしっかりした、なんていうかな?クールといいますか、理論的、理性的と言いますか、そういうふうに育つっていうことが多いんですけども。

それ故、早くに良い面で言えば大人になっているので、仕事であったりとか、大人の人間関係っていうのを作るのが得意だったりとか、多くは仕事とかビジネスという面では成功しやすい側面っていうのがあるんですけども。

一方では、裏を返せば「子供時代にちゃんと子供をしていなかった」っていうふうにも言えるわけで。

そうすると、人に頼ったり、甘えたりっていうことが苦手だったりとか。

それから、やはり「心のつながり」っていうふうな部分で、ちょっと苦手意識というか、だからパートナーシップの問題っていうのが出てきたりとかっていうこともよくあるわけですね。

で、大人になって、たとえば実家を出て一人暮らしするようになってね、あるいは結婚してっていうことで、実家から距離を置くんだけども、やっぱりその後もお母さんからすごく頼られたりとか、困ったことがあると、もう鬼電がかかってくるみたいな状態になって。

まぁ十分大人になってるんだけども、「お母さんを相変わらず背負い続けてるね」なんていうようなケースっていうのも、比較的多く見受けられるわけですね。

母の母役をやってきたので、それがいまだに続いている「習慣」になってしまってるっていうことになります。

ただ、これね、自分としてはやっぱりウザイというか、しんどいというか、重たいというか、そういう背景があるので、できるだけ「お母さんあっち行ってよ」とか、「お母さんもういいよ」っていうような気持ちになるんですよね。

で、もう放っておけばいいって思うし、もう私は私で家庭があるんだからとか、生活があるんだからということで、切り離したいという気持ちはあるんですけども、習慣化の恐ろしいところっていうふうに言えばそうなんですけども、ついついやっぱり面倒を見てしまう、相手をしてあげる。

なんかかわいそうになってくるとかね。

なんかそういう情をかけてあげるとか、離れて暮らしていても、実家のお母さんのことがすごく心配になってしまうみたいな感じで、お母さんの存在っていうのが、すごく自分の中で大きな割合を占めているなんていうことも、けっこうよくあるわけですね。

で、私のブログだったりとか、それからYouTubeVoicyとかっていうものをチェックしていただくと、「あぁ、お母さんと距離が近いんだな。癒着?してるのかな。やっぱりちょっと話さなきゃいけない。もうお母さんウザイんだから」みたいなふうに思うんですけど。

これがなかなかね、意外とうまくいかない。

なんでかっていうと、これは一つ、その「習慣化」っていう、先ほどちらっとお話しした、それは「お母さんの面倒を見る母の母役が板につきすぎている」っていう部分ももちろん大きいんですけども。

それと同時に、実はその母の母役をやっている娘側、「自分も、実は母に依存をしている」っていうね。

ちょっとね、にわかには認めがたい事実っていうのがありまして。

どういうことかっていうと、自分はお母さんのお母さん役をやることによって、家族の中のポジションっていう、役割っていうのを担ってきたんですね。

つまり、自分が家族の一員として存在するためには、この「母の母役」っていうポジションを取ってきたわけですね。

だから、ここの部分をもし手放して、お母さんと距離を置いてしまうと、もちろんお母さんに対する情みたいなものもあるんですけども、一方ではそれが自分との役割なもんですから、それを手放してしまうと、家族の中に居場所がなくなってしまう。

「家族とどのように関わっていいかがわからなくなってしまう」っていう、隠れた問題がありまして。

こっちが、なかなかこのお母さんを切るに切れない、距離を置きたいんだけども置けない、もう一つの大きな理由っていうことになっているわけです。

だから、たとえばですけども、うちのクライアントさんたちに、「じゃあお母さんからの連絡はすぐには返さないようにしましょう」とか、「自分からお母さんにアプローチするのをやめてみましょう」みたいなふうにして、癒着を切るというか、執着を切ると言いますか、そういうアプローチを取ったりすると、意外とお母さんがあっさり受け入れるというか、意外と「大丈夫」みたいな感じの反応を示されることっていうのもあるんですよね。

中には、「ごめんね、あんたに甘えちゃってね。私もね、ついつい弱いから、あんたがいてくれるとすごく助かってたから、ごめんね」みたいなふうに言ってくれるお母さんも中にはいて。

で、そう言われると、なんか報われたような気分になる一方で、それ以上にすごい寂しくなってきたりとか、なんか申し訳ない罪悪感、「大事な人を傷つけちゃった」みたいな、そういう感情になるっていうこともけっこうあるんですね。

だから、お母さんのことをいざ手放してみると、「いやいや、お母さん平気やないの?」っていうことで、「あぁ、これはお母さんが自分に依存してきてると思ってたんだけども、本当のところ、自分がお母さんに依存してたんだなっていうことに気づいたんです」っていうようなお話も、非常によく聞く話なんです。

もちろんこれ、癒着状態ってことはわからない。

そもそも、癒着っていうのは、お互いに依存してないと生まれない状況なので。

実は、そういう役割を通じてお母さんの面倒を見るということで、家族、もしくはお母さんとの関わり方っていうのを、自分なりに確立してきたんですよね。

だから、実際お母さんが「あ、わかったわ」みたいな感じで、距離をさっと置かれると、「お、おぉ・・・なんか寂しい」みたいな。

「私一人ぼっちじゃん、これからどうしていったらいいの?」っていうところで、訳がわからなくなっちゃうというような問題ということにつながるわけです。

だから、この部分っていうのは、非常に被害者というか、お母さんに依存されてる、「ウザイんだけど!もういいんだけど!お母さんのことは」なんていうふうに感じるんですけども、その裏側には、自分もそういうかたちでお母さんに依存していたっていうふうな背景があって。

それ故に、切るに切れないとか、なんか罪悪感というのがついてくる。

いざやってみたら、孤独感、寂しさというのが猛烈に出てくるということに気づかされるわけですね。

ただ、お気づきの通り、こうやってお母さんを背負って生きているというのは、やっぱりしんどいですし、精神的な余裕もなくなります。

とくに、これパートナーシップにおいて非常に大きな問題が出てきてて。

要は、ここではたとえばパートナー、自分の彼氏とか、とくに旦那さんよりも、お母さんを優先するっていうようなことが当たり前になって、自分でも気づかないような感じになってるんですね。

そうすると、やっぱり夫よりも母を選んでるっていう状況だと、夫は寂しくなったりとか、つまらなかったりするわけですよね。

それで問題が起きてくるということも出てきたり、そもそもこれがあることによって、婚活といいますか、パートナーがなかなかできないなんていう、そういう状況にもなっているということで、ちょっと今日の話に思い当たる方がいらっしゃいましたら、ぜひ自分と母の関係をチェックしてみるといいんじゃないかなと思っております。

ということで、今日はこの辺で失礼したいと思います。


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