自己分析とか自己判断ってあくまで自分が基準だから間違ってる可能性もあるんだよね。
このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。
この話の元記事はこちら!
「彼に振られた理由はほんとうにそのコンプレックスのせいだったのだろうか?~自己分析はやっぱり危険だぜ!~」
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どうもこんにちは。
カウンセラーの根本でございます。
いつもお聞きくださいましてありがとうございます。
めちゃくちゃいい天気で、過ごしやすい大阪でございますけども、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今日は、「自己分析、自己判断って危険だぜ」っていうお話をちょっとお届けしたいと思います。
よかったら最後までお聞きください。
そして、チャンネル登録とかフォローも、よかったらよろしくお願いします。
カウンセリングをしていたりとか、ブログで皆さまの相談というものを拝見させていただいていますと、たとえば「彼に振られた理由はきっとこうだと思う」とか、「自分が人間関係うまくいかないのはこれが原因だと思う」とか、「仕事がつまらないのは私がこうだから」みたいなかたちで、自己分析っていう結果というかを書いてくださったり、お話してくださったりということがあるんですけども。
その自己分析とか、「これが原因だ」っていう自己判断っていうのは、ちょっと危険があるんだぞと。
これは、似たような話って前に何度もしてるんですけども、改めてお伝えしたいなと思ってお話させていただいております。
元ネタとしては、「彼に振られたっていうのは、ちょっと自分のコンプレックスが原因じゃないか」みたいなお話がありまして。
「まぁそうかもしれない、その可能性もあるかもしれないけど、どうかな?違うんじゃないかな?」っていうふうに感じまして、今日はそんな話をしていきたいなと思います。
自分のことを自分がどう見ているのか?自分はどういう人間だというふうに思っているのか?っていうのは、いわゆる「主観」でございまして。
自分で自分を見るわけですから、自分の生きてる世界、生活している範囲っていうのが基準っていうことになるわけですよね。
たとえば、こういうことってありません?
自分の地域では当たり前にある食べ物が、実はローカルなものだったみたいなね。
関西だと、「サンミー」というチョコレートのパンがあるんですけども、これどうも関西ローカルらしくて、ある時東京に行って、食べたいなと思ってコンビニ行ったらないんですよね。
「あれ?普通あるのにな」と思って、その時は諦めたんですけど、別の時にまた別のコンビニに行ったら、そこにもないんですよね。
「あれ?」と思って調べてみたら、実は関西ローカルだったということが少し前にあったんでございますけども。
「自分にとってはこうだ」っていうのが、ちょっと視点を変えると、「全然違う」みたいなことっていうのが、やっぱり僕らの人生はよく起こるんですね。
で、自分の基準でやっぱり自分を見てますから、どれだけ客観的に自分を見ようとしてたとしても、やっぱり見きれないっていうところがありますし、あくまでそれは「自分が見てきた世界の話」になるので、その中ではこうだけども、じゃあその外の世界から見たらどうなの?みたいなことっていうのはけっこう多いんですよね。
自己分析しちゃいけないっていう話じゃなくて、自己分析っていうのもあくまで一つの観点であって、「絶対これや!これが原因や!これを直さないけんのや!」みたいなふうに思っちゃいけないっていうお話だと思っていただければいいと思います。
実際に、たとえばあった話なんですけども、とある東京の大変賢い国立大学を出られている方が、男性なんですけども、その大学の中ではちょっと遊びすぎて、留年しちゃったんですよね。
身が入らず、周りのやつもすごい奴らばっかりで、自分はそこで「落ちこぼれだ」と思っちゃったわけです。
その大学に入ってから落ちこぼれたっていうことで、そこに入るだけの能力は当然ながらあるんですけども、でも、彼はそれで「なんか自分はあまり出来がよくない」とか、「あんまり頭が良い方ではない」とか、「努力が足りない、できない」とか、そういうふうな自己判断をなさってたわけですね。
「ちょっと表出よか」っていう案件になるんですけども。
でも、別に嘘をついてるわけじゃないんですよね。
本人の中では、それが真実になってしまう。
ここでポイントなのは、自分がたとえば、今日の今回のネタ元なんですけども、「コンプレックスがあるから振られた」と。
そのコンプレックスのせいで振られたっていうふうに解釈してしまうと、自分の中ではそれが真実なので、その「コンプレックス」に、よりフォーカスが当たってしまうわけですね。
そうすると、「それが原因だ」って、「それをなんとかしなきゃ」って思うんだけど、でも実際そうじゃなかった時っていうのを考えてみてほしいわけです。
自分では「これが原因だ」って思ってる。
でも、「そうじゃない可能性もある」っていう余地を残しておかないと、ちょっとあさっての方に行っちゃうと思いません?
これが、もう一つ違う見方があって。
たとえば、今の話で引っ張ると、「彼から君のこういうとこが嫌だ、あんたのこういうとこはダメだ」っていうふうに言われて振られましたと。
そうすると、その言葉を信じますよね。
好きな人だし、仲良くやってきて、私のこともよく知ってくれてるからと思って、信じるじゃないですか。
で、たとえば「ここがダメだ」みたいなところを言われると、「それが原因で振られたんだから、それを直さないと、次の恋ではまた振られる」みたいに思ったりしますし、「それを直せば彼とやり直せる」みたいなふうに思うじゃないですか。
実際、そういうこともないことはないです。
やり直せるとかも、ないこともないんですけど。
はたして、それが「本当の原因」なのか?
これも、大変難しゅうございまして。
あくまで、彼基準でのそれなんですよね。
彼基準でのそれだから、じゃあそこを直したら、じゃあもう全部OKなのか?っていうと、じゃあ次の人から見たらどうなのか?と。
また、ヨリを戻すっていう話にしても、たとえばそのコンプレックスを解消したり、彼から言われたところを直しましたと。
直すのも時間がかかるかもしれませんけど、頑張って直しましたと。
でも、それって一つだけの理由じゃないはずなんですよ、別れるってね。
もちろん、決定的ななにかがあったら別ですけども。
逆のことを考えてみるとわかりやすいかもしれませんけど、彼が浮気をしたからもうすごく嫌になって別れますと。
彼がもう二度と浮気をしませんって言いましたと。
じゃあ、ヨリを戻しました。
じゃあ、もう彼は二度と浮気をしないって信じられますか?っていう話と、ちょっと似てますよね。
また別問題なんですよ。
だから、そういう意味では、あくまで自分が自分で「こうだ」と思ったり、これ人から言われたことも、だから同じっていうことなんですけども。
「これが原因だ」と、特定して決めつけるっていうのは、やっぱり危険なんですよ。
自己分析だったり、自己判断っていうのは、間違ってる可能性があるよと。
場合によっては、間違ってる可能性が高いんだよっていうことなんですよ。
だから、結局じゃあそれはカウンセリングとかを受けて、客観的に自分を見てもらえばいい。
まぁそれは、うちの商売上、しょうがなくそういうふうな言い方をしちゃったりするんですけども。
要はダメなところ、コンプレックスを解消するっていうことが悪いわけじゃないんですけども、それよりもおすすめしたいのは、もうこれいつも言ってることなんですけど、「もっと自分らしくいられるにはどうしたらいいんだろう?」っていうふうな見方をすることなんですよ。
これね、自分では「欠点」だと思ってるんだけど、他人から見れば「長所」に見えることってけっこうありますし、カウンセリングをしてても、「自分のこういうとこがダメなんです」って言うんだけど、「いや、それけっこうセールスポイントだと思うけどな」みたいなことってあるんですね。
要するに、自分でこれはダメだって決めつけてるところが間違ってるみたいなね。
長所・短所変換みたいな話もできますよね。
自分がダメだと思っているところも、ひっくり返せば長所になるわけですよ。
だから、それよりも自分の魅力を生かそうとしたりとか、「もっと自分らしく楽しく面白くできるにはどうしたらいいかな?」、こういう考え方をしていった方が、実際うまくいく確率とか、幸せを感じられるようになる確率ってぐーんとアップするはずなんですよね。
僕らは、よく学校のテストとかで、「ここが間違えてたから、ここを二度と間違えないように修正しなさい」とか、「自分のこういうとこがダメだから」って、欠点を見つけてそれを修正するってことを、子供の頃から散々やってきてると思うんですよ。
これが、だからその発想につながっちゃってて、「自分の欠点っていうのを直さないとうまくいかない」っていうふうに思うんですけども。
いや、意外とそういうわけでもないよと。
意外とそんなこともないんだよ、実際は、人間関係はねっていうことで。
だから、自分がより自分らしく、自分が快適に、心地よく、自分のご機嫌をとっていく。
このあたりがね、やっぱりすごい大事なことなんじゃないかなと思うんですけども、皆さまいかがでしょうか。
いつも同じような話になっちゃうんですけども、自己判断、自己分析っていうものは悪いわけじゃないんだけども、そこで見つけた欠点・原因を解消する。
それも悪いことじゃないんだけども、基本はやっぱり「自分らしくあろうとすること、自分がもっと楽しく生きられるようにすること」の方が大事なんですよ、というお話でございました。