頑張る教を辞めるなら、頑張る教時代に手に入れたものを手放す覚悟も必要だよね?
このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。
この話の元記事はこちら!
「「頑張る教」を脱会したいみなさまへ~頑張る教で手に入れたものを手放す覚悟はできてる?~」
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どうもこんにちは。
カウンセラーの根本でございます。
いつもお聞きくださいましてありがとうございます。
ということで、残暑厳しい折でございますけども、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今日は、「頑張る教」というお話させていただきたいなと思います。
よかったら最後までお聞きください。
そして、チャンネル登録・フォローとかも、よろしくお願いします。
ちょっと前の記事になるんですけども、「頑張る教を手放したい・・・けども」みたいな、そういうネタをブログの方でいただきまして、回答させていただいたんでございますけども。
よかったらそちらもチェックいただけたらと思います。
なんでも頑張るっていうことが当たり前。
この頑張るって、時に我慢も含まれるわけですけども。
頑張ることが当たり前で生きてきて、やっぱりうまくいかない、しんどい、もう疲れちゃった、燃え尽きちゃったみたいなことっていうのがあると、「もう頑張ることをやめたいんだ」と、「頑張るのはしんどいから嫌だよ」というようなモードになって。
「じゃあどうやってやめるんですか?やめていいんですか?」みたいな話になるんですけども。
今回いただいたお話も、「やめるぞ!」と思った途端、ご主人の年収が下がるとか、子供を私立の中学に入れてしまったとか、「働くのやめようと思ったけど、できないじゃないか、むしろもっとアクセルをふかさなきゃいけないじゃないか」っていうふうになっちまったぜっていうお話だったんですけど。
そういう時に、僕らが考えるポイントっていうのは、頑張ることっていうのが、もちろん悪いわけじゃないんですよ。
「頑張りすぎるとしんどいよね」とか、「頑張ることって自分に合ってる?」みたいなところで。
要は、今の自分に合った頑張り方があるし、頑張れる量っていうのもあると思うんですよ。
それに合わせて、本当は頑張る時は頑張るっていうふうにするのがいいのかなと思うんですけども。
なんか、「許容量を完全に超えてます、無理してますっていうようなことが、やっぱり多くないでしょうか?」っていうのが、僕がいつもお伝えしてることなんでございます。
もう一つは、「頑張ることっていうのって嫌いですか?頑張りたくない人なんですか?」っていうのがあって。
僕のクライアントとか、読者さんっていうのは、「自立系武闘派女子」なんていうふうに呼んでますけども、自立してバリバリやってる方っていうのが多くて。
バリバリやってるって言っても、いろんな意味がありますよ。
でも、要は頑張り屋さんが多いんですよ。
だから、こういうカウンセリングとか心理学とかっていうのを勉強しようっていう方もいらっしゃるし、人生を変えたいと思う方もいらっしゃると思います。
諦めてる人は、こういうのを見たりとかしないと思いますのでね。
だから、そうすると、多分これを聞いたり見たりしてくださっている方も、頑張り屋さんが多いんじゃないかなと思うんですよ。
そういう方々は、よく頑張りすぎて、疲れて、「もう頑張りたくないです!もう頑張るの嫌です!」っていうふうにおっしゃるんですけども、そういう話を聞くときに、僕はこういう答え方をするんですよね。
「いや、本当にいいの?大丈夫?頑張るのって嫌いなの?」みたいなね。
これも、やっぱりさっきの話と同じことで、「頑張り方とか頑張る量を調整する」っていうことのお話でございまして。
「頑張るのはもともと嫌いじゃないし、どっちかっていうと好きなんだけど、今はいろいろと頑張りすぎてしんどいからやめたいっていうことだよね」っていうふうに理解いただいた方がいいかなって思うわけです。
やっぱり、頑張ってなにかを達成するとか、頑張ってやり続けてゴールに向かうとか、そういうことって喜びでもありますし、自己承認しやすいですよね。
頑張って手に入れたものって、大切にしようと思いますし、そこで得た達成感、充実感っていうのも自己承認につながります。
自分のことを好きになります。
自己肯定感も上がりますよねっていうことで、決して頑張ることっていうのは悪いことじゃないんです。
ただ、それが繰り返しになりますけども、頑張り方とか量が違う。
だから、もし今の頑張り方が疲れちゃってるんだったら、その頑張り方を変えましょうかとか、メリハリをつけられるようになりましょうかとか、自分に合わせて頑張り方を調整していく、変えていくっていうことに興味を持った方が、頑張る教をやめるっていうよりも、よっぽど効果的だったりするわけですね。
だから、まず一つはそういう「頑張り方を変えるってのはどうでしょうか?」と。
その上で、頑張ることをやめるっていうのは、やっぱり長年の習慣になっているものをやめるって場合がほとんどだと思います。
子供の頃から頑張ってきました。
っていうかさ、今の時代の子供ってめっちゃ頑張ってるわけ。
昔からすごく子供は頑張ってるんですよ。
学校の後に塾や習い事に行ったりする、宿題やったりする、受験っていう目標に向けて頑張らなきゃいけない、そこにクラブ活動だったりとか、他のものも入ってくる、家のこともある。
子供は忙しいわけですよ。
だから、そうすると子供の頃からずっと頑張ってきた。
頑張ってるって意識なく、周りの人と一緒にやってたら、それが頑張ってることだったっていう方って多くないでしょうか。
そうやって頑張って、いろんなことをやってきた、手に入れてきて今日に至ってるっていうふうに見ると、「じゃあ頑張る教をやめます。頑張ることをやめて、のほほんとマイペースに好きなように生きます」っていうことが、果たして自分にとって幸せなのかどうか?
それが自分にとっての喜びなのかどうか?
単に疲れてるから休みたいだけじゃないの?っていうのもやっぱりあるんですよね。
で、そこで今日お伝えしたいことの大きな一つっていうのは、「やっぱり頑張ることをやめるっていうことは、頑張って手に入れたものを手放すっていうことも覚悟しなきゃいけないよ」っていう話なんですよね。
たとえば、今回の話のネタを元に、ここからそれを例えて、使ってお話しようと思うんですけど。
自分も頑張ってる時代に、たとえば今の家を買ったりとか、子供を私立の中学に入れたりとかされてるわけですよね。
今の生活水準っていうのは、自分も頑張ることによって成り立ってきたものだと思うんですよ。
だとすると、頑張ることをやめるっていうことは、その家、学校、これをもしかしたら手放す覚悟も必要かもねっていうことなんですよ。
頑張らなくなって収入が下がるかっていうと、実は必ずしもそうじゃないですし、収入が下がったからといってアンハッピーになるっていうことは、もちろん関係ないんですけども。
頑張る時代に手に入れたものっていうのは、頑張らなくなったら手放さなきゃいけないものだってあるよねって。
「それも覚悟の上で頑張ることをやめますか?」っていうふうな考え方、それはすごく大事だなって思ってて。
頑張るのやめて、頑張らないように生きるっていうふうにした時に、生活水準を維持して、今まで手に入れているものを全部そのまま持っていこうっていうのは、さすがに無理があるんじゃないですか?っていうふうに思うわけです。
もちろん、できることもあるので、だからそれは絶対ダメっていうわけじゃないんですけどね。
だから、そこまでの覚悟があって、頑張るのをやめますか?頑張らない生き方に変えますか?って。
「だったらやっぱりやめとくよ」っていう人もいれば、「あぁ、もうそれでもいいから」って言う方もいらっしゃるでしょうと。
だから、そういったところって、結局自分の状態とか、自分のキャラによって変わってくるわけですよ。
頑張る量とか、頑張り方、自分に合った頑張り方だったり。
あるいは、頑張ること自体が自分にとっては本当にヘビーなことだったり、あるいはこれからの人生っていうのを考えた時に、「もっと肩の力を抜いていきたいな、だから頑張るのやめたいな」っていうふうな、これもやっぱり個別なんですよね。
だから、そういうお話っていうのは、よくカウンセリングでもさせてもらうんですけども。
自分に合った生き方をするのに、これくらいの頑張る量、今これだけやってるけど、これだけでいいんじゃない?みたいなふうに調整していくことだったり。
で、この時代に手に入れたもので、いらないものとか、無理してることない?って。
だから、場合によっては、本当に車を売るとか、車なしの生活に変えたっていう方もいらっしゃったりとか、それから家をちっちゃくするとか、家をもうちょっとコンパクトにするっていうふうに生き方を変えた方もいると思います。
これは収入が減るっていうこともありますけど、本当に必要なものを取捨選択していった時に、「これは必要ないよね」っていうものが出てくると。
「テレビを捨てる」っていうのは、けっこう最近トレンドというか、テレビがない家って、僕の東京の家にもテレビないですけども、そういう必要のないものは置かないようにする。
こういう生き方っていうものって、結局ライフワークにつながるわけですよね。
だから、頑張ることをやめるのであれば、それだけのやっぱりリスクっていうか、捨てるものも出てくるし、買えるものも出てくるから、そこまで腹をくくってやっていきたいよね。
でも、それによって得られるものもいっぱいありますからね。
人生が大きく変わっていきますから。
今日のお話も参考になったら幸いでございます。
最後までありがとうございました。