年齢を気にしてしまう心理とそのコンプレックスとの向き合い方
このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。
この話の元記事はこちら!
「結婚への執着、年齢や世間体へのこだわりを手放したい。」
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どうもこんにちは。
カウンセラーの根本でございます。
いつもお聞きくださいましてありがとうございます。
ということで、今日もまだまだ夏な、東京・神楽坂のセミナールームに来ております。
皆さまいかがお過ごしでしょうか。
ちょっとさっきからね、ちょいちょい雷が鳴っておりまして、もしかしたら音が入っちゃうかもしれませんけども。
そんなに大きな音じゃないと思うので、安心してお聞きいただければと思います。
今日は「年齢」のお話ですね。
結婚であるとか、その他、転職だったりとかもそうなんですけども、年齢的なものを気にしてしまう、世間体を気にしてしまう、そんな話をお届けしたいと思います。
よかったら最後までお聞きください。
年齢を気にしてしまうことが、我々の中にはよくあるのかもしれません。
「もう年なんだし」とか、「この年でそれはちょっと・・・」とかね。
あるいは、「こんな年齢なのにこれができてない」みたいな自己嫌悪だったりとか。
皆さまはどうでしょうか。
普段、年齢を気にしてしまうシーンってどんなところでしょうか?
今回いただいたネタ元さんのお話は、「結婚」ということでございます。
結婚に関しては、しかも女性の結婚に関しては、いまだにけっこうな葛藤というものがあるものですし、現実問題、出産年齢みたいなところを気にしてしまうと、やはり焦ったりとか、不安になったりとかということが、少なからずあるのかなと思います。
僕がカウンセラーとしてデビューした、本当に初期の頃なんですけども、30代の女性からこんなことを言われたことがあるんですね。
「根本さんにはわからないと思うんですけども、30を過ぎた一人身の女の、世間からの風当たりってめちゃくちゃ強いんですよ」って。
当時は、「30」が一つの分岐点みたいに言われてました。
もう二十数年前ですけどね。
だから、30代で独身っていうのは、世間の風当たりが強かった。
でも、逆に言えばわずか二十数年前ですからね。
今どうでしょうか?
30代で独身っていうのも、全然珍しくない時代になりましたよね。
本当に早いものっていえば早いものですね。
年齢を気にしてしまうっていうのは、前にもお話したことがきっとあると思うんですけど、日本人はやっぱりすごく強くて。
一つの要因っていうのは、「敬語」を使うからね。
年上・年下っていうことで、敬語になったり、タメ口になったりするわけで、それで年齢を気にしてしまう。
先輩・後輩っていうのも、けっこう出てきたりとか。
だから、そういうところでどうしても年齢を気にしてしまうというか、単なる数字とは思い切れないっていう部分がありますし。
やっぱり、なんか日本人独特なのかどうかは、ちょっとわからないんですけども、なんとなく基準を設けがちですよね。
さっきの「30歳過ぎたらもう」みたいな感じ。
転職にしても、「35歳が・・・」みたいな感じ。
なんか、その年齢によって分ける。
個人個人じゃなくて、年で分けようとするみたいな風潮があるっていうのも、もしかしたらこれは日本独特の文化なのかなというふうにも感じます。
だから、我々は常に年齢を気にして、「いや、もうこういう良い年なんだから、そんなことしちゃダメ」みたいな。
「このぐらいの年齢だったら、これぐらいのことしなきゃダメ」っていうふうにして、一般論を持ち込み、自分を否定する。
そして、世間もそういうふうに見てるのも、まぁたしかですよね。
クライアントさんからも、やっぱりこういったお話はめちゃくちゃよく聞くわけでございまして。
皆さんもね、「年齢じゃない」っていうふうに、頭ではわかってるんだけども、どうしても気にしてしまう。
あるいは、親戚のおばちゃんから、職場だと最近だと「セクハラになっちゃうから」っていうことで、減ってはきてると思うんですけども。
初めて会った人、これ異性同性問わず、「結婚してないの?」みたいなことを聞かれたりする。
「結婚しないの?」みたいなね。
で、グサッって刺さる。
「もういい年なのに」と周りの人と比べるわけです。
「みんなもう結婚してるよね・・・私だけ結婚してないよね」と。
そうすると、自分のそこを責めてる分だけ、その責めてるものを投影するわけです、社会に。
そうすると、みんなから責められてるように感じます。
そして、相手はそういうつもりじゃないけど、なんかそれを匂わすような発言のように受け取ってしまう。
そして、自分を責めてる分だけ、そのことを言われるとグサッって自分で自分を傷つけてしまう。
凹む・・・っていう流れでございますね。
まぁ、無理ないっちゃ無理ないですけどね。
だけど、年齢って数字なんですよ、本当に。
言い訳にしてることないですか?
皆さん年齢を使って、自分を責めていたりとか、年齢で自分に制限をかけていたりとか、逆にそれが焦りを生み出していたりとか。
他人軸、年齢軸になってしまっています。
これは、社会に対して、世間に対してというのもそうだし、年そのものもそうだし、他人軸になってる。
「私は私よ」って、ここがやっぱり一番重要なポイントなんですね。
私は私。
そして、年齢っていうものも、けっこうコンプレックスになりやすいわけですけども、実際コンプレックス、他の肉体的コンプレックスということも含めて、「それが隠れ身のようになっていることってない?」っていうことを見つめていきます。
ちょっと深掘りするわけですね。
だから、「年齢のせいで」とか、「もうこんな年齢なのに自分は情けない」って責めてるんだけども、「いや、それ本当に年齢が問題なのかな?」っていうところね。
ちょっと痛い人、嫌な感じがした人、ゾワッとした人いるかもしれませんけど、ここをちょっとね、ツンツンとしてみたいわけですね。
たとえば、自信のなさとか、無価値感、怖れの強さ、不安の強さ、自己肯定感、もしくは罪悪感。
なんか、本当はそっちが原因だったりとか、あるいは別に、原因があるのかもしれない。
でも、そこを見たくないときに、年齢というものを持ってきて、蓋をしてしまっている。
こういうことってないかな?って考えてほしいわけです。
「それが本当の原因なのかな?それを隠れ身のように使っているだけじゃないかな?」
この視点っていうのは、このコンプレックス的なものについては、かなり有効なアプローチでございまして。
本当はここに原因があるんだけども、別のところに原因があるんだけども、年齢というものを使うことで、なにかをごまかしている。
まぁわかりやすけ言えば、年齢を理由にチャレンジしないということは一つありますよね。
チャレンジすることへの怖れっていうのを、年齢を使って正当化しているわけですね。
あるいは、自分の無価値感、これを年齢を使って守っているということもあります。
本当は自分に自信がなかったりとか、勇気がないとか、自分の魅力を受け取れないとか、自己否定、自己嫌悪が強いんだけども、そこを見るのがもうしんどい。
だから、逆に年齢を使って、自分を責めたり、年齢を言い訳にしたりとかっていうふうにして、隠していませんか?
年齢っていう枠を取っ払ったら、どうなんでしょうか?
これがもしかしたら、新たなヒントになるかもしれないなっていうふうに考えたりします。
ちょっと難しいテーマではございますけども。
もしかしたら、年齢を理由にしてないかな?
本当の問題、本当の理由っていうのは、年齢じゃないのかもしれませんっていう考え方が、新たな扉を開けてくれることもあります。
そして、「自分軸」っていうね、やはりここでも自分軸なわけですよ。
だから、そこに本当に自分が向き合うべき問題って別にあって、いろいろ責めてるんだけども、やっぱり自信がなかったり、過去のトラウマに足を引っ張られていたり、あるいは自分を責めるために、自分を責める目的で年齢を使ってるなんていうケースもあるんですよ。
信じられないかもしれないですけどもね。
「自分を責めたい!なんか責めるネタはないか?・・・よし!年齢だ!」みたいなね。
「もうこんな年なのに、こんなことできてない!なんて最低なやつなんだ!」っていうふうに、自分を責めるために。
本当はじゃあなんでか?っていうと、本当に実は自己嫌悪の表現の一つだったりするわけです。
そんなふうに、理屈でね、情報なんかもいっぱいあります。
だけど、ちょっと今日のネタ当てはまるなって、今日の話、自分にもあるかもしれないなと思った方は、年齢を理由にしていること。
それは、本当にそれが年齢が理由なのか?他にもあるんじゃないか?
そして、もしその年齢を理由にしなくなったら、年齢や社会に対して、自分軸を確立できたら、じゃあ、自分はなにをするんだろう?なにができるんだろう?
この発想を持ってみてはいかがでしょうか。
というのが、今日のお話でございました。
ということで、最後まで聞いていただきましてありがとうございました。
神楽坂よりお届けしました。
根本でした。