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根本宗子版「墓場、女子高生」について、 岩井秀人が根掘り葉掘り聞く会 レポート後編

「根本宗子版「墓場、女子高生」について岩井秀人が根本宗子に根掘り葉掘り聞くイベント」後編

(前編はこちら

●根本さんのルーツについて

続いては根本さんの演劇づくりのルーツについてのお話も。

岩井:根本さんの、芝居って(物語を飽きさせないための)“保険”をつくらないじゃないですか。

根本:そんなことないですよ。保険、つくってます。私、中高生時代に年間120本近く芝居を観に行っていた頃に、全部その感想を日記に書いていたんです。
自分が客席にいて、何が起きていたら飽きないかとか、何にひっかかって、何に興味を持つのかみたいなことはその頃から変わってないんです。根底にあるものは。
「(当時の日記には)15分以内につかみがないと終わってる」とか書いてあるんで。

岩井:嫌な客だなぁ(笑)

●配役について

お客さんからの事前質問リストにあった「作品をやるにあたり自分が高校生だった頃のことを思い出したりはしましたか?」という質問には、「出演者全員で話し合いました」と回答。実は「墓場」、キャスティングをした時には女子たちの配役は決まっていなかったのだそう(根本「森桃子さんは決まってましたよ」会場笑)。本稽古前、7月ごろにプレ稽古で配役決めの本読みをしたとのこと。

根本:「どの役でオファーがくると思ってた?」ってみんなに聞いたら、ことごとく私が思ってたのと違うのを言って。そんなわかりやすいキャスティングする演出家だと思われてたのか…って思いつつ。

オカルト部の武田役だと予想していたという劇団鹿殺しの椙山さと美(おすぎ)さんはビンゼ役に。

根本:「鹿殺しだったらそうだろうね」って言っちゃいましたよ(笑)。でも、そのおすぎは鹿殺しで観れるんですよ。だからあえてうちに出てもらって武田をやってもらおうとは思わない。

ジモ役の山中志歩さんは「ブスブスって言われる役だから」という理由でナカジ役だと思っていたと。

根本:私の芝居に一番長く出てくれてる武田役をやった尾崎桃子ちゃんは、逆にビンゼの役が自分に一番近いからそれかなと思ったと、「でも、いつも根本さんは私がそれって思った役と違う役をあててくるから違うだろうと思ってました」って言われましたね。

配役の話から、プレ稽古での役作りの話へ。根本さんがどんな高校生だったのか、出演者たちがどんな学生時代を送っていたのかなどについて話をしたそう。

根本:日野が蘇った時のシーンで、彼女はみんなを怒るじゃないですか。私が骨折で長く入院をしていて、何ヶ月かぶりに車椅子で学校に登場した時のみんなの感じ、みたいな話をしました。その時の空気が今でも忘れられなくて。自分だけなんかちょっと違う、その場所にぽんって入れられた時のこと。
先生が仰々しく「久々に根本さんが学校にきました!」って紹介する。それももうなんか違う。その入れ方じゃないよねっていうその時の感じについて話しました。

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©︎別冊「根本宗子」第7号『墓場、女子高生』

●能見先生について

岩井:能見先生の扱いって、困りませんでした?……ちょっと、濃すぎるから。

根本:能見先生の役って、笑いを取りにいかないと成立しない役、じゃないですか。そこを森さん(森桃子さん)はすごく抱えてくれてたんですけど。気にしなくていいですよって言いました。森さんはすごく細かく細かく調整して丁寧に笑いにもっていく、という方なのですが、バランスですよね。“笑いを取りにだけ出てくる人”になっちゃうともったいないので。

岩井:僕は観ていて、そっちの印象になってしまいましたね。やっぱりあそこまで笑いをとりにいっちゃうと、他の人たちの演技体(えんぎたい)に比べてモンスター感が強すぎちゃう。もう少し「(なにかのきっかけで)ああいう風に“なっちゃう人”っているよね」の感じでよかったんじゃないかと。

根本:私が、あの状態の森さんが好きっていうのもあるんですよね。もちろんそこの「目盛り」は日々森さんと調整していたですけど。「ちょっといきすぎてました」とか。そのへんは稽古の最後の方まで森さんとやりましたね。結果、(公演)日によって、森さんは結構違ったかもしれないです。

●カーテンコールについて

今回の「墓場」ではカーテンコールがありませんでした。お客さんからは「なぜカーテンコールがないのか」という意見もあったようです。

岩井:カーテンコールについての考え方なんですけど。

根本:(「それ、このタイミングで話すんですか?」の前置きありつつ……)カーテンコールは、やらない方がいい戯曲についてはやらない方がいい、やった方がいいものは、基本お客さんへの「ありがとうございます」なので、あっていいと思います。

岩井:今までもカーテンコールのない作品はあったの?

根本:はい、過去やらなかったものもあります。

岩井さんは、お客さんが戸惑うのもわかる、と理解を示しつつも、「墓場」におけるカーテンコールのありなしについて根本さんの考えを伺います。

根本:みんながでてきて「ありがとうございました」「あ、終わったんだな」っていうタイプの作品ではないかなと思ったんです。ラストシーンにいた、山中志歩ちゃんと、「想い」の天野真希ちゃんの2人だけのカーテンコールというのも考えたんですけど、劇場入りしてから、「カーテンコールは無しでいこう」って決めました。

岩井:僕はそれすごい「効果的」だったと思いますね。無いことを特殊に思ってしまうというのはわかるんですが、カーテンコールによって「あぁ、“俳優さん”が演じてたんだな」とか「普段はこういう人なんだ」みたいな情報が必要かどうかっていう選択を、ちゃんとしているんだなと。

客席の戸惑いみたいなものは岩井さんが客席で観ていても感じた、というお話もありましたが、岩井さんご自身は「カーテンコール自体、基本はなくていい」という考えだそう。

岩井:とんでもない大スターが主演で、お客さんもほぼその人を見に来た人たち、とかだったら話は別なんですけど。作品で見せているので。なくてもいいんじゃないかなと。

●女子高生たちのゲームのシーンについて

ここは根本さん演出で大きくアレンジを入れているシーン。墓場から線香を持ち寄り、その匂いを当てる「線香の匂い当てゲーム」や「審判ゲーム」などのオリジナルのゲームが繰り広げられています。

根本:「審判ゲーム」で「お題:人はなぜ生きるのか」っていうのがあるんですけど、ここは福原さんのはだるまさんがころんだで(おなじお題で)やるという台本だったんです。鬼の子がひたすら「人はなぜ生きるのか」を言い続けるという。でもそこを、みんなが言う、というのにしました

岩井:これは、お尻のほうのシーンで「日野はなぜ死んだのか」をみんなで言い合うシーンがあるけど?

根本:そうです、そことの反転構造にしました。

●日野の生きていた時と死んでいる時の区別

福原さんの台本では、明確な季節の描写や「今、生きている」「死んでいる」とわかるようには作られていないそうで、基本的には暗転のタイミングと、出演者が夏服か冬服かで観客は判断することになります。

根本:福原さん演出の時は、暗転中にみんなが冬服を脱いだり、着たりってやってましたね。

岩井:それを、このカーディガンを吊って残すことにしてるってことだよね。それによって、「“現在”が置いたままになっている」という状態になっている。それは、親切でもあるし、日野がいる・いないの存在のハーフな感じが表現されていておもしろい演出だなと思いましたね。

●ビンゼと合唱部員たちの出会い、勧誘のシーン

岩井:僕はどうしてもここでも(山中)志歩に注目してしまうんですよね、どうもちょっと、動きがあやしいというか……。

(会場笑い)

という前振りがありながら、映像を見ていきます。
合唱部員たちは、ひとり本を読み座っているビンゼを取り囲み、合唱で強引な部活加入の勧誘をはじめます。「あわてんぼうのサンタクロース」「夏の思い出」を歌い様子を伺うも無反応のビンゼ。そこでとっておきの新曲、QUEENの「Somebody to love」の和訳合唱を披露するのですが……。

根本:この「Somebody to love」だけ、台本通りではなくオリジナルで。(変えた理由は)長く歌わせたいなっていう尺の問題と、全編通して出てくる「レッドリバーバレー」もそうですけど、“自分たちで訳してる合唱部”っていう設定だと思って私は演出していて。なので、この曲も本当に合唱部役のみんなで訳したんですよ。

<以下・出演者和訳>

ねえ 見つけて 僕に Somebody to love
毎朝起きるたびに まるで死んでるようだ
過ぎて行く日々に 涙がこぼれそう
神様信じてたけど 何も救われないわ
Somebody oh somebody
ねえ 見つけて 僕に Somebody to love

何も感じない 鼓動もリズムも
負けない 負けられない 私には歌がある
そう自分のリズム刻み 開けて自由の扉
今こそ その時 今こそ その時
今こそ その時 今こそ その時
今こそ その時 今こそ その時
今こそ その時 今こそ その時
見つけて
今こそ その時 今こそ その時
今こそ その時
ねえ見つけて僕に
Somebody to love LOVE

という歌詞を歌っていました。

岩井:へぇ、そうなんですねぇ。

根本:訳してきたものを全員で歌ってみて、良かった歌詞が部分部分で採用されていったっていう。それでつなぎあわせてできた和訳詞なんです。結構意訳なんですよ、劇団四季風味(笑)。
自分たちで訳した歌だから、このバージョンで歌っている人が他に存在しないので、「ここだけのものだ」っていう空気がその方がでるかなって思ってやってみたんですけど……。ものすっごい大変でした!(笑)

岩井:すごい技術になってますよね、最終的に。だからこそ、この曲になった瞬間に志歩があそこに陣取ったっていうのが……。(山中さん演じるジモは、この曲の時だけ歌に参加せず、ビンゼの真横に座りリズムをとってビンゼの顔色を伺っている)

実は山中さん、小屋入りの4日前に“落選”したそう。

根本:これ、ひとり1パートで、同じパートを歌ってる子がいないんですけど、たまたま藤松祥子ちゃんと志歩ちゃんだけ同じアルトで。「抜けてもいける」って、なって……(笑)

岩井:なんか3曲目になった瞬間に、志歩の仕事がかわったぞ?と。「ねぇ、聴いてる?」みたいな立ち位置になったから。

根本:山中志歩だからギリ成立した(笑)。普通の人がこれをやったら「歌ってない」っていうことの方が目立っちゃうんですけど、一応「ねぇ、聴いてる?」ができてるじゃないですか。

この「Somebody to love」に実はとても感動していたという岩井さん。

根本:私、海外ドラマの「glee」が大好きなんです。そこで歌われてるんですよ。プレ稽古の時に、「合唱部役の子たちは『glee』を見ておいてくれ」って伝えていて。すぐ「gleeスイッチ」を入れられるようにしていてもらった(笑)。

岩井:僕は『glee』は全く知らないんですけど、改めて歌詞を映像で聴き直してみた時に、何にこんなに感動したんだろうって思って。
歌い出しの『毎朝起きるたびに、まるで死んでいるようだ』とか。この歌詞をこのはつらつとした様子で歌ってるのとかが、すごくおもしろかったんですよねぇ。
この曲の中だけでも上手く構成ができているというか。
歌詞もそうだし、歌い回しの「はじめは部活に誘っている」から「ちゃんとウザくなっていく感じ」とか。

●「想い」について

トロイカの曲で日野が復活するシーンを振り返りながら、元の台本にはなかった「想い」という役についても触れます。

岩井:この「想い」が一番大きな演出の違いだと思うんですけど、どの段階で作った役なんですか

根本:一番最初に声かけました、ダンサーに。「この役を作る=ダンサーが必要」だったので。

岩井:この作品の演出をやることが決まって……?

根本:「日野の分身が必要だ」って。

岩井:どうして?

根本:日野が一番、セリフに、何も書かれていない気がして。みんなにストレートに言葉を届けてない人なんじゃないかなって脚本を読んでいて思ったんですよね。
死ぬ前のことだったり、死んでからも「みんなのせいで死ななきゃいけないほど、仲良くはなかったよ」っていうセリフを日野は言うけど、本当に仲良くなかったと思ってるわけじゃないはずで。「想い」がいることで観ている側が救われる部分が増やせるんじゃないかなと。

「想い」という役名はその時はなかったんですけど。日野の分身として、そういう存在を置きたいなと。

岩井:背格好も似てることもあって、すごく“効いてた”気がしますね。
たしかに、日野という人はあまり喋らないから、言葉以外の部分で感じ取るしかないじゃないですか。ただ日野が座っている場面でも横で「想い」が、がーっと暴れていると「内面はこっちなのかな?」って観れたり。
これは僕の解釈ですけど、この「想い」も亡霊ですよね?でも亡霊だからって日野自身の思い残したことを全て把握しているわけじゃないから「幽霊の幽霊」みたいなものなのかなと思いながら観てたんですけど。

根本:「もっと時が経った人」に見えてもいいかなとは思っていました。日野自体が若くして死んで、死んでからまもない、みんなが日野のことを忘れてない時の話ですけど。もう少しそこから時が経って、日野の中でも物事が整理された状態の、その時の存在というか。
「想い」っていう役名は、初日の前日に決めました。最後の場当たりが終わった後に、この役の天野真希ちゃんに「自分を“何”だと思って踊ってる?」って聞いたんです。そしたら「言霊か魂」って答えたんですよ。「人だとは思って踊ってないです」と。そこにいた山彦役の川本成さんが「人の思いだよね」と言って、ああそれなら「想い」ががいいなぁと思って。

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©︎別冊「根本宗子」第7号『墓場、女子高生』

岩井:イメージにズレはないですよね。「言霊」でも「魂」でも。

根本:うまく言葉にできないものをやってる、ということですよね。

岩井:これは本当にすごいなと思いましたね。この「想い」については、はじめにパッと思い浮かんで作ったということだけど、その後から足していった理由ってありますか?それがなんで必要だったか。

根本:転換で「日野の生前(春)」と「死後(冬)」を自由に行き来できる存在、みたいな感じですかね。今回、転換を暗転じゃなく行うことに決めて、「さぁ転換のシーンだ」ってなった時に、真希ちゃんに私が「じゃあ、真希ちゃんが春を連れてやってきて」とか言うと、真希ちゃんがその感じで踊ってくれて(笑)

岩井:そういうのって普通の俳優さんへの演出とはまたちょっと違うわけじゃないですか。でも、すごくこの彼女と、(想いの)振り付けの方との相性が良かったということですね。とても良かったです、彼女の動き。

根本:そうですね。振付のrikoちゃんに「ずりずり動いて」とかしか言ってないので(笑)でもほんと、rikoちゃん真希ちゃんがいてくれてよかった。いたから上手くいったと思ってます。

岩井:いろいろとセリフを重ねていっても、観た方に残るのはセリフじゃくて、セリフを元にした「何かの感覚」なわけですよね。
でも、ああいう表現のものって、そもそもセリフを通さないから、何か感じるものがあった時、こう、ものすごく直でくるんだなぁって思いましたね。
たまに芝居にありますよね、ああいうフィジカル系の人が出てくるみたいな演出って。でもそれがどうしても「フィジカル系の人の“見せどころ”ですよ」って感じがしちゃうことがある。でも、今回の演出は、ものすごく台本上の、物語に即して存在していて、気持ちを直で投げてくるから、パワーがすごかったですね。

●日野の生き返るシーン

呪文によって生き返ってしまった日野は「なんでそんな勝手なことをするんだ」と激怒します。それに対し女子学生たちは「どうして死ぬって言ってから自殺してくれなかったの?」と問い詰める、対する日野は「うんこするときにうんこしますって言う?言わないでしょ」と、「死」を「うんこ」に例えて反論します。

岩井:ほんとにこのシーンは、良い意味で(福原演出と根本演出の)「ケンカ」みたいな。
福原くんが「死」というものを「うんこ」の方に広げようとしていってるのに対して、根本さんは「いのち」の方に引き寄せて演じさせようとしている感じがするんですよ。
正確に福原くんのバージョンを覚えているわけではないんですけど、根本さんのものよりも、もう少し「死はうんこみたいなものだ」という、さっき言った「保険」がかかっていたと思う。そこは結構、演出の違いがあったように思います。
根本さんの演出は100%「死」だと思って「うんこ」という言葉を使っている。とても直接的に。

根本:はい

岩井:ちょっと照れようとしてる福原くんの背中をびたーん!と叩いてるみたいな、なんかそういう感じがしたんですよね。なんとなくですけど。そこがまぁ、潔さみたいな感じで捉えたのかな。

根本:このシーンに関しては「あえて福原さんの演出と変えよう」とは実は思っていなくて。
通し稽古の時に武田役の尾崎さんが「どうして死ぬか言ってからいなくなってもよかったんじゃないの?」って言うシーンで泣いてたんです。オカルト部の武田って、ともすると“ただのオモシロ変な子”になっちゃいがちじゃないですか。
だけど、武田だからこのセリフが言えた、グループの外の人だから言えたんだっていう。その涙だから、「うんこ」を比喩っぽいままにしないで直接的に言わせた方がいいかなって思いました。

●稽古が大変だったシーンはある?

日野、生き返りシーンの話から「演出が大変だったシーン」の話へ。冒頭、合唱部生徒たちが授業をサボりながら何気ない会話を進める部分が実はすごく大変だったと語る根本さん。

根本:あそこのシーンほんとに難しいんですよ。チョロとナカジの言い争いを「止めるのには惜しいケンカだなぁ」って揶揄するんですけど、まずその「止めるのには惜しいケンカ」っていうのを作り出すのが難しい。福原さんの演出だとそこを「揉み合い」っていう動きで表現してたんですけど、なんかそうじゃない演出にしたくて、「掛け合い」の形にしました。初日ギリギリまで稽古しました。

●ラストシーンについて

ジモとビンゼの2人が墓場で喋っている。ビンゼは日野のお墓にコーラを供え、そしてジモに「急にいなくなってもいいように、先に言うね。さようなら」と伝え、叫びながら去っていきます。そこに「想い」が現れ、お供え物のコーラを一口飲んで……。


岩井:あのラストシーンに関しては「想い」に対してどうやって演出で伝えたんですか?

根本:最後は、「日野の想い」……

岩井:日野?

根本:「日野」じゃなくて、「“日野の想い”が、コーラを飲みに来てほしい」って伝えました。

岩井:他の演出は試さなかった?

根本:真希ちゃんがコーラを飲んで暗転か、飲んで帰って行きながら暗転かのどちらかで試しました。採用した「飲んでる間に暗転」の方が優しい感じがあるかなと。

岩井:たしかに「去る」はまた、そのあとの話って感じがしますね。

根本:稽古中にビンゼがお墓にコーラを置いたので、「じゃあ真希ちゃん、それを飲みに来てみて」って。その時、志歩ちゃんが横で今にも泣きそうだったんですけど「想いが出てきてコーラを飲むのが自分に見えるまでは泣くのを我慢して」って伝えました。
この、一番最後のシーンが、この作品の中で一番演出してみたかったんですよ。

岩井:じゃあ、はじめからこのラストが見えてたってこと?

根本:いえ、一番最後のシーンだけ正解がずっとわからなかったんです。台本読んでもわからなかったし、今までのどのバージョンを観ていても自分の中でずっとしっくりいってなかったんです。

岩井:そうなんだ。台本上ではビンゼとジモの会話があって、「ビンゼ:わーーーと叫んで遠くまで走り去る。墓場にはジモだけが残った」で終わってるんですよね。そもそもこの戯曲がめちゃくちゃ好きで衝撃を受けてるわけでしょ?そのラストを変えるって、なかなか勇気がいりますよね。

根本:それでいうと、お客さんとして観たときには「もう一度日野が生き返る」部分までで全部の衝撃を受け切ってて、そのあとのエピローグ部分は、すごく素敵なシーンとして観ているんですけど「これが正解なのか?」って思いながら観ていました。自分が出演者として出た時も、福原さんの演出は理解できるし、もちろん間違っていると思ったわけではなくて。
ただ、「私にとって」しっくりくる最後はなんだろう?を考えに考え抜いたんです。

岩井:なるほど。

根本:「ジモ」の役は志歩ちゃんにしようというのは結構最初の方に決めたんですよ。一番最後に残るジモという存在はめちゃくちゃ大事だというのは今までの「墓場」を観てきてわかっていて、この人がどういうリアクションをとるかで、わりと全てが決まると思っていました。

岩井:やっぱり、このラストシーンでの「想い」の行動を、「いたって日常のこと」にしたっていうのがすごく大きいなと思いますね。あんだけいろんなことがあったけど、「(何気なくコーラを飲む、というのが)“想い”がやりたかったことの一つ」だったのかなぁという。ここは……相当やられましたね。

●ラストシーンの音楽について。

根本:これはチャランポランタンの「季節は巡る」という曲で。このシーンを作ったときに、この曲しか頭の中に出てこなくて。本当は歌詞がある曲なんですけど、アコーディオンだけのバージョンを弾き直してくれました。歌詞もこの芝居にぴったりなので、チャランポランタンの2人も観劇に来てくれた時は泣いたと言ってました(笑)。

ということで、約2時間にわたる解説トークはエンディングへ。

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岩井:演出家の人はいろいろと考えて作ってるっていうことさえ伝われば僕はそれでいいかなと思っていますが。
根本さんとはしっかり話すようになってまだ短いですけど、この作品について、ただ「他の人が書いた作品を演出する」ような距離感じゃない距離感で演出していると思いました。
福原くんにとってこの台本がどういうものかというのもちょっとだけ聞いていたから、良い意味で、もうこれ、ちょっと演劇の域を超えていて。「作られたもの」じゃなくて「どこかにあったもの」をそっとここに持ってきて、その実態は誰も知らないけれどいろんな人の体験と重なってすんげーでっかくなったものを受け取らなくちゃいけないような感覚でした。

根本:「他の人が書いた本」だって思わなかったですね。この戯曲が好きすぎるというのももちろんあるけど。

岩井:なかなかそういうことってないですからね。これからも他の人の本の演出やりたいですか?

根本:……やりたいです(笑)。

岩井:なに、やりたいですか?

根本:一番やりたいのは……「ヒッキー・カンクーントルネード」(岩井さんの戯曲)です。

岩井:だめです。

(会場笑)

根本:楽屋では「いい」と言ってくれましたが気がかわりましたか?(笑)

岩井:リアクションが難しいからまた今度にしましょう。

トークショーおしまい。

***

文・田中春香

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