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4年という時間を知る。

オンライン大会を週末に控え、観戦モードの紹介を含めたアプデが木曜にあるようで、その最後に添えられていたのは開発トップの二人の交代であった。思えばプロデューサーとディレクターに当たるこのお二方とは、大会やイベント等でお話しさせてもらえたことが印象深い。

私という1ゲーマーが
ゲームクリエイターと質疑応答できるという
そんな夢の時間があったのだ。
今思うが、本当に貴重な体験だった。

「生産者の見える野菜」の意味を知る

この記事でも書いたが、バトオペ2の運営陣はリアルイベントがかなり好きだった。いや、今思えばe-sports的なムーブの一環だったといえる。
何も脈絡がなかったわけではなく、初年度は最終的にストイックな賞金付きの大会「GGGP」の2019年度種目として採用されているのだから、ちゃんと目論見通りだったのかもしれないが、その点含めて自己プロデュースに力を入れていることがわかる。

とはいえオンラインゲームをするにあたってこんなご時世になる前は基本的にはオンライン大会というのはズルされてもわからんから現実の会場でやることがある意味正当潔白性のあるものだ、という裏返しでもあった。

そんな中でほぼフルメンバーともいえる各開発トップが登壇し、ゲームに参加し、質疑応答を受け、公式からの先出しのプレゼンまでされるようなイベントが不定期ながら存在していたというのはこのゲームが活発である以外の何物でもないだろう。私はスタッフの方と握手や肩組みをして写真を撮った記憶がある。まだそういうのが許される時世だったのだ。3年前くらいだからな。

ゲームの運営というは叩いてなんぼ、みたいな風潮があった。
特にソシャゲ形態の課金方式を採用していればなおさら。
そしてそれが対人戦要素をはらんでいればもっとである。

特にそれが一次的なものでなく、二次的な作品――つまり原作がアニメや漫画として別にあるようなキャラゲーにストイックに強さを求めていこうとすると、自分の思い描いたキャラの強さとステータスが合致しなくて不満を抱くなんてことはある。
コンテンツ的にもガンダムというキャラゲーに分類される中で、そういう批判はめっちゃあったはずだし、見かけていた。

相手と直に合わないからこそ、強気の発言。
金を出しているんだぞ、俺は客だ!を地で行くようなSNSの発言はやはり作り手を何だと考えているんだこいつは!と感じてしまう。苛立つ。
そんな気持ちになってしまうのは、おそらくだが私が一応創作者として活動しているからだろう。尤も、私の場合は趣味の領域を出ないからそれでお金を稼いではいないし、何より今の本題からそれるため深堀しないこととする。別名義で小説を書いて公開しているが0~2[view/day]なので気にするな。

端的に言えば、作り手になった時見えるものは少し変わるという事である。
人が作っているとわかれば、おのずと行動も変わる。
面と向かって言えない言葉は罵倒以外の何物でもないことを自覚できるかできないかがゲーマーかゲーマー(笑)の違いになるだろう。

勿論忘れてはいけない。世の中の今の風潮におけるゲーマーは後者であり、ちゃんとしたコミュニケーションが取れない罵倒飛び交う界隈のチンピラそのものだと思われているという事を。スタート地点がマイナスじゃんか…。

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(最初のイベントに展示されてたもの)

それに、だ。

自分が学生の時と社会人になった時で見え方も変わる。
毎週1つ新要素をリリースするというこの異常さは仕事をしている社会人であればあるほどドン引きするぐらいヤバいペースだと感じ取れるはずだ。開発陣の恐ろしいエネルギー消費を感じる。

そう考えれば考えるほど、感謝と労いしかない。
このゲームを遊んで4年目だぞ?それだけの価値はあるし、伝えるべきでしかなかった。悪いことを言う理由がないだろうが。


別に手心を加える話じゃない。

批評家になったつもりもないし、そういうポジションでゲームはしたくない。やればやるだけゲームを曲解してつまらなくなっちゃうからね。

でも、ゲームの良かったところをほめないのはダセェ!

それは賛美ではなく評価だ。
盲信ではなく、評価なのだ。

斜に構え、すべてを達観したようにふるまい、リリースされた一挙手一投足全てにプラスに傾かない批評をして――美食家か!?と思ってしまう。
俺を認めさせたら大したものだ的な?おめーが何様だよ。ゲーマー様か?

そこは素直に良かったものを良かったといえる人になるべきだと思うのだ。

人がさ、作ってるとわかったうえで目の前で罵倒できる人が居たら名乗り出てきてくれ。イメージはそうだな、カウンターで食べるラーメン屋でまずかったら大声でまずい!って言って立ち上がって店の前でこれを食うな!って叫びまくるような人種と同種だぞ。
たまたまオンラインという媒体――液晶画面が突然殴りかかってこないからみんな強気な発言をするだけだと思ってる。まぁ今は情報開示請求とかあるらしいので、これに近いことは遅効性で発症する可能性はあるが?兎にも角にも、ゲームは自然発生しない。誰かの手によって作られていることは変わりない。身の回りにある物理的な什器やと何ら変わらんという事である。

どうにもゲーマーはこのあたりの欠如が激しいんだよなぁ。
公園の遊具は誰かが設置しているから認識はあるだろうし、遊園地のアトラクションは作るだけではなく演者もいることを楽しむのだが、ゲームになると途端にそういうことを忘れやがる。人が作ってんの!生えてこねぇから!

兎に角、バトオペ2の運営陣に対して私が思うことは感謝と労いである。

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(イベント恒例のテンダちゃんパネル。キャドバリー女史とかも欲しいな)


で、突然感謝したくなったというワケ

こんな弱小noteをスタッフが見に来るかはわからんし見に来ない前提ではあるけど、見に来る可能性がミリでもあるなら、それは見に来ないといえない悪魔の証明になるのである。ないものがないと立証することは極めて難しいのだから、こういうところに書いたっていいじゃないか、という話である。

多種多様なプレイヤーが多く、そしてコンテンツ的にもガンダムという超巨大なキャラクターものの対戦ゲームという極めて難しい立ち位置にありながらも、それを競技的なルールに落とし込みつつ、楽しめるようにしたという点では非常に感謝と、そしてその労力に敬服するばかりである。

私は思う。全ての人を幸せにすることはできない、と。
それは私が「高機動型ゲルググ(VG)」Lv.1を配布するのを決める際に、メンバーとかわした言葉である。だって持ってたらダブるわけじゃん?このタイミングで課金した機体がタダでもらえまーす!とか言われたらうわぁってなるわけよ。俺に恩恵が少ないじゃないか!といきりたつ人は居る。だけど

それは避けられない。
それでも俺らは決めなきゃいけなかった。
誰かに後ろ指さされるのは確定だとしても、それが賞品だったからだ!

同じことがゲームにも言える。
自分の思い入れになったキャラクターがあまり強くないじゃないか!と感情を発露する人もいる。ゲームのシステム上仕方のない部分もあれば、ユーザー側の努力不足――例えばリリースして数日で乗りこなせないのに無双できないから見たいな理不尽な駄々に似た罵声とかもある。それらを含めれば全員を幸せにしたとは言えないわけで、ただそこから建設的な意見をどれだけ拾えるかというのはとても難しいと思う。


だからこそ。

お疲れさまでした、とありがとうございました。

可能なら深々と礼をしたいという事である。

まだゲームはサービスが終わるわけではない。
スタッフの変更ではあるが、いずれ終わる日は来るだろう。

でも一つの節目と言える。
人事異動をマイナスに捉える人もいるだろうが、まずは今までの部分をきちんと思ったことを伝える必要があると思った。

SNSであれがダメだと批評をして、それが罵声に変わるとき。
たまにネタに出てくる鉄道オタクの悪い部分と近似できると思っている。
活字だから音にならない、映像にならないから実感がわかないのかもしれないが、映像は嗤いものとして今や鉄道オタク全体の品格を下げることになっている。カウンター的に応援がついて江ノ電沿線の店主は大人気になったそうじゃないか。つまりはそういう事である。

は?勘違いすんな?俺らゲーマーは応援される店主側じゃねえからな。
今は。

ああなりたくないなーと思うからこそ、悪い風習は断ち切るべきだし。
些細なことでもよかったな、と思ったら伝えてもいいと思う。
今はクリエイター本人がSNSを開いていることも多い。
言葉が下手でも、感謝の意思に対して排斥するようなことはないだろうから、楽しんでいること、良かった事、おいしかった事――ゲームに限らず感謝の1つくらいはちゃんと伝えられるようになっとこうよ。

感謝のスキルツリーは伸ばしておいて損はないと思うぞ、ゲーマー。


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