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自分しか見ないのに、記録するのが恥ずかしい話

家計簿をつけています。
あすけんで食べたものを記録しています。
たまに日記を書きます。

当たり前ですが自分しか見ません。
(日記は家族が見ようと思えば見れる場所にはありますが)
それなのに書くのが嫌になるときがあります。

今月使いすぎたな…
おかしばかり食べ過ぎちゃったな…
日記、1週間空いちゃったな…

と思ったとしてもそれを見て責める他人はいません。
あすけんは未来さんがちょっと困った顔をしますが
責めはしません。なんなら明日以降の調整を応援してくれるでしょう。

つまり結果に対して責める人はいないのに
書けない時があります。

会社で色々なものを見える化、見えるために数値化するのがいい
と仕事をするときは計っているはずなのに。
その結果、ここを解決すれば状況を打開できるね!
この数字がこうなった!頑張ったね!とみんなを褒めたりするのにも使って良さを実感しているのに。

自意識過剰なんだろうなと思います。
自分の中に他人の目線がある。自分が他人を厳しい目で見るからこそ自分が緩いのを許せていない部分がある。
完璧な自分じゃないとわかっていながら、記録は完璧であってほしいと思ってしまう。

ここをうまくマインドを変えねば…とここ数日奮闘しています。
ブログは何か月空こうが、ひょっと再開できたりするので、その違いに着目したいと考え中です。

あくまで完璧な食事量を記録することが目的じゃない。
完璧にコントロールされた食事を摂ってこなかったから今の体形があるとわかっているはず。
自分の食事量をどう調整すれば、コントロールされた理想の食事に近づくかを見るために記録を取る。

・・・がんばれ、こあら!

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