10年以上勤めた会社を辞めた話。
私は、10年以上勤めた会社を30代に入り辞めた。
接客業で、資格はいらないけれども、専門知識はいるし
なによりコミュニケーション能力が必要でした。
興味のない韓国ドラマやスポーツ等の知識は軽く頭に入れてた。
(気分は新地のホステスさん)
接客は楽しく、ノルマ的なのも私はいい意味でプレッシャーで心地よく、当時は数字を追うことがとても楽しかったので、仕事自体はすごく良いものでしたし、大好きでした。
そして、20代の半ばキャリアアップしたいと考え、スタッフの育成にもチャレンジしました。人の成長を感じられる度に自分の成長も実感でき、やりがいを感じられた。それが楽しかった。
では何故、大好きな仕事を辞めたのか。理由はいろいろありますが
すぐ思いつくことの1つは、時間の拘束。
普通に10時間働くこともざらにあったので、通勤時間も長くて
家には寝るために帰っているようなものでした。
当時は恋人を作る気力もなく、出会ったとしても関係を進める余裕もなかった。(と、恋人がいないのは仕事のせいだとしておこう。)
2つめは、体力の問題。(笑)とにかく、気力体力を使う仕事でした。
このまま30代、40代、と、、もしかして定年までこの仕事続けるの?
と疑問を持ち冷静に無理だと思いました。
毎年のように、店舗異動を命じられ業績をあげろと言われる私。
後輩たちは結婚して、子供ができ、環境が変わっていくなかで
今の環境でプライベートの変化を求めることが想像できなかった。
(と、ここでも言い訳をしておこう。)
3つめ、人手不足。
スタッフが急病で休むと、他店舗のスタッフがヘルプにいく
当たり前のことなんだろうけど今のご時世、急病となれば
一日で済まない。何日もヘルプに行かなければいけない。
そのなかで、自店舗のノルマ達成を目指すことに矛盾すら感じていました。
女性の働き手が絶対の会社でしたが、結婚していて何時妊娠してもおかしくない従業員がいても、配属に配慮はなかった。
身軽な女性社員・そして私のような人間にシワ寄せがくることを上司はわかっていながら、【授かりものだから】的な論をかまし一店舗潰れたこともある。(アタオカ上司でした。※アタオカ上司は度々登場します。)
私自身、従業員のことは大切で大事に思っていたので、妊娠はとても喜ばしいものなのに、素直に祝福できない(仕事のシワ寄せがくるし、後輩もそう思っていたからケアするのは現場の私の仕事。それが、不要な仕事と思っていました。)ことが何より苦痛でした。
そして、とどめを刺したのは、長年のパワハラでした。
(基本、ぬるい環境で育った私にはパワハラと気づくまでに5年かかりました。(笑)
キャリアアップを目指す私は、アタオカ上司の標的になりました。
いつでもアタオカ上司の心の内が聞こえるようで
「昇格したいなら、業績あげろ。言いなりになれ。」
もちろん、実際言われているわけではないよ。(笑)
いつも、会議では責められる私。割と打たれ強いので何を言われても、気にしていなかったのですが、同じ会議に出ている同僚が、責められている私を見て思いつめられ泣くくらいには詰められていたらしい。(笑)
ただ、めまいなどの体調不良で休むことが増えた。
(まともに食らってるやん。って声が聞こえてきそうですが、)
アタオカ上司からの圧力だけではなく、コロナも重なり、何をしても業績が伸びないことがマジで苦しかった。
どんなに頑張っても業績は伸びないし、ボーナスもカットされ
モチベーションなんてどこにもなかったことが大きい。
5年ほどめまいや吐き気、頭痛をだましながら働いていた。
そのなかでも、配慮なんぞ関係なく私は異動させられていた。
駒でしかないとわかっていながら、自己犠牲している自分に酔っている部分もあったのでしょう。
名女優でもないので、だましはそう長くは続かず
ある時、ベッドから起き上がれなくなったのでした。
部屋の明かりも、テレビの明かりも、携帯の明かりでさえも眩しくて
寝ているだけで精一杯。一週間はとりあえず、休みました。
一番信用している先輩は、毎日のように「大丈夫?どう?」と連絡をくれた。それはただただ嬉しかった。安心できて、帰る場所を作ってくれたと思っています。体調は正直万全とは言えないものの、少人数で経営している店舗なのでこれ以上は迷惑かけられないと思い気持ちだけで復帰しました。
1回目の体調不良から復帰直後の会議でアタオカ上司に責められた。
「何故、先輩には連絡して、アタオカには連絡しないの?」だと。
私はそこで、一気にこの人苦手だ。パワハラがすごいんだ。ということに
やっと気が付いたのです。(遅かった。末期過ぎてるもん。)
「あなたが休んだことで、他店舗のスタッフがヘルプに行ってくれたのよ。お礼はしたの?なんで全体に連絡しないの?」と猛攻撃を受けました。
もちろん、個人個人でお礼はしていたし体調が全快ではなかったので
全体へお詫びと感謝の連絡をするのは気が引けた。
また、同じことが起こったらどうしようと思っていたから。
このことも、アタオカ上司に伝えましたが腑に落ちず。
「じゃあ、精神科とか心療内科とか行ったほうがいいわよ。病名が出たほうがスッキリするでしょ?」
と言われました。ショックでした。優しさというより、迷惑がられている感じがして「私を何だと思ってるの?あぁ駒だもんな、都合の良い駒が動かないと腹立つんだろうな。」と解釈し、私とアタオカ上司の間には大きな溝ができました。この溝は深まることしかありませんでした。
自分でもわかってます、身体と心が壊れていることぐらい。心療内科に行けば100%、仕事は休みなさい or 辞めなさい。と言われるのがオチとわかっていたので、行きたくなかった。
何故、私が病院へ行くのを拒んでいたかというと、仕事を長期休めばせっかく積み上げたこのキャリアをドブに捨てるようなものだと考えていたからです。今の役職は奪われリセットされる。小さい会社でしたし、私のポストを置いとく余裕はないとわかっていたので、コツコツ努力し、自己犠牲まで払った役職を手放したくなかった。ただそれだけです。
それから、会うたびに病院へは行ったか聞かれましたが、体調と向き合いながら仕事は頑張っていました。
次の体調不良は数か月後です。
第一弾はこんな感じにしようかな。
たびたび、友達には早く辞めたほうがいいと言われてました。
担当美容師さんですら「めちゃくちゃパワハラです。やばいですよそれ。」
って言われてました。(笑)
それでも、そうなんかな~。こんなもんちゃうのかな~。と真に受けず
過ごした結果になります。退職するまでは、あと数か月かかります。
なぜ、この投稿をしようと思ったのかは
苦しかったことを忘れないようにするため
(私、苦しい悲しいすぐ忘れる都合の良い機能持ちあわせてるんです。)
じゃないと、また苦しいこと繰り返しますからね。(笑)
そして、私のように頑張りすぎてしまう人にすこしでも自分の身体を大事にすることを考えてほしいと思ったからです。
基本は、記録用と思っています。
もしかして最後まで見てくれたかたがいらっしゃったら
それは、それはありがとうございます。
暗い気持ちになったらごめんなさいね。
しょうもない投稿もしたいので、また読みに来てください。