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全部「ご時世」のせいにするか。

私の中のネガティブが「私ごときの」「私ごときが」と囁いてくる今日この頃。それでいて自己愛は強いのが厄介。
「私は私のことが好き」なのに、1歩外に出た時「他人は私の事なんて…」と小さくなってしまう。

こんなにも私は私のことが大好きなのに。
内弁慶とはよく言ったものだ。

そんな私が定期的に更新を楽しみにしているコンテンツ、
SNSなりnoteなり配信なり色々あるけれど、その中には私と同じように「私ごときが」と思っている人がいる。

フォロワーの数でその人の感性の善し悪しが決まるわけでもあるまい。私はその人の紡いだ言葉や思想が好きで追っている。
例えその中に理解できないことや私とは反する思想が垣間見えたとしても、「もう見るのやーめた」とはならない。もう既に私は「あなた」に興味があるから「なるほどな」となってまた次の投稿を待つ。

“この人は私と思想が似ている!まるで共感できる!同士!“
なんてものは自分勝手で自分本位で、犬みたいに寄ってきたかと思えば、「そんなこと言う人だと思わなかった」とか言い出して指を指しては手のひらを返すその様はもはや現代の伝統芸能だ。(は?)

全然関係ないけど「指を指す」って漢字変換、「指」と「指す」ってアンタ……なんか気持ち悪い。失礼。

話は変わるけれど、金属バット(お笑い芸人)のラジオを聴いたことありますか?私最近Spotifyで聴き始めたんですけど、ほんとほとんど下ネタなんですよね。小学校低学年の男の子がゲラゲラ喜ぶ程度の。いやいや、別にそれがしょうもないって話じゃなくて、めちゃくちゃ面白いって話。

昨今の「何に対してもアンチが産まれる構造」(全ての意見がアンチと言ってる訳ではなくて、要らぬことまでつっかかって揚げ足を取りたがる人が増えているってこと。)

そしてそれを一つ一つすくいあげて昭和平成に許されていたコンテンツ(それによって多少なり傷つく人がいたとしても)が消えて、人間は人間を大切に大切に守るようになった。
思いやりがあってとってもいい時代ですね。と私は思わない。その恩恵を受けているのかもしれないけど、ちょっと気持ち悪いとも思う。でもそれをこんなふうにひとに話すことを許してくれない。口を開けば「それってあなたの感想ですよね?」から始まる自称論破人が頭を揃えてやってくる。

そうです。これは私の感想です。

これが金属バットのラジオと何が関係あるかというと、ある回で青少年ナンタラ委員会(うろ覚え)が「ハゲ漫才」について言及するという自体が起きてるって話になったんです。
ひとの容姿をいじるのは良くないってことです。
このご時世ですからね。

それに対して金属バットの友保さん(髪長い方)が「うるさい黙れボケェしょうもない。じゃあお前らが(ハゲを売りにしてる芸人)を食わしてやれよ。そんなこと言うやつはテレビ見んな。」みたいなことを言っていて、私はそれを聞いて久しぶりに「だよね。」と思えた。

みんな叩かれるのが怖くて多様性が怖くて、当たり障りのないことを言う。それは仕方ないのかもしれない。だけど、「私ごときが」自分の思想をこうやって発信することと、フォロワーが何万人もいるような影響力のある人が自分の思想を発信することは天と地の差がある。

「私ごときが」発信しても、共感出来なければ無視される。
それでいい。それがいい。

私は「私ごとき」だけど、その自由さが好きだ。

金属バットっていうテレビにめちゃくちゃ出るような芸人じゃない(ファンがめちゃくちゃいるのは承知)人達だからこそ、ラジオで好き勝手言ってもネットニュースになんかならない。
その自由さが良い。ずっと自由でいて欲しい。
有名になって、目に付いてしまったら、今以上にピー音が増えるラジオになってしまう。嫌だな。


本当は何が言いたくてこのnoteを書きたくなったのか、実は別に理由があって、私が見てるコンテンツの中にフォロワーも少ないけれど細々と日記のように日々感じたことを綴ってる方がいるんですよね。本当は「いつも読んでます!」と声高々にコメントしたい気持ちはあれど、「引かれたらやだな…キモイかな……」と毎回踏みとどまるに至っている。

なので、ここにあなたの投稿楽しみにしてますよって書きたかったんです。なのでこれからも好き勝手書いて欲しい。
誰からどう思われるかなんて気にしないで、自分の思想を発散して欲しい。

毎回その投稿された思想達と私はぎゅっと握手をするとまでは言わないけど「いいね!」とハイタッチするくらいには好きだ。(感覚の話なので伝わらなかったら大丈夫。)

そもそもこんな「私ごとき」の投稿、本人に届くわけないんですけれど、もしかしたら届くかも知れませんしね。


最後まで読んで頂いてありがとうございます。
どうかお元気で。

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