短編小説「ラブレター」
真夜中にふと思い立った私は、タンスの奥にしまいこんでいたレターセットを引っ張りだし、1枚の便箋を目の前に置いた。そして、約2日間ほどかけて4枚の便箋が馴染みのある字で埋まった。
これを「ラブレター」と言ってしまって良いのか、私には分からなかったが、相手が異性であること、そして確かにその中には私の気持ちが書かれていた。
他人から見れば、それは立派な「ラブレター」だったのだと思う。
文頭はこう、
「私はずっと前から、あなたにこれを渡したいと思っていました。」
と始まったその便箋は大きくも小さくもないよくあるサイズの便箋だった。柄や色もない真っ白な紙に罫線が引いてあるだけのシンプルなものである。「あなたに出会ったのは~」と、対象と再会した日から今までの嬉しかったこと、楽しかった事などを2枚に渡って書いた。私達の関係は言うなれば、
"確信に触れなければ心地がいい"様な、
形容し難いものだった。
私は勢いとも取れる感情を目の前の紙にただ書いていた。しかし、肝心な所はきっと何一つ伝えられていなかった。
否、意図してそのような構成にしていた。相手がその本意に気付かないことはなんとなく分かっていたし、伝える気もなかった。そう考えればやはり、これは「ラブレター」ではない。小学生の頃、いやいや読んで書かされた読書感想文と言った方が正しい。相手を"本"ではなく"あなた"として、私は"あなた"の内容についての感想を述べていたにすぎなかったからだ。
文中はこう、
「私はあなたに恋をしています。」
私が何故あなたに恋をする結果になったのか、あなたがどんなに素敵な人だったか、具体例をあげて説明する様は、例えばいい商品を取引先の相手にプレゼンするのととても良く似ていた。
もう何十回と読み返した文章ではあったが、そう思って見るとなんともビジネス的な文章だと笑ってしまう。
"あなた"に対して"あなた"本人のプレゼンをした所で、相手は自分自身を好きになるかも知れないが、私を好きになる訳ではない。
そう分かっていても、書かざるをえなかった。そこには明確とした相手への尊敬と好意が含まれていたからだ。しかし、ひとつだけ減点するべきところがあるとするなら、私は相手が思っているよりずっと強かであったことだった。確固たるこの文章の意味が、
「こんな風にあなたを素敵と思い、恋に落ち、想っている私はあなたに負けないくらい素敵ではありませんか。」と、遠回しに言っているのと同じものだとわかっていた。
相手を褒めること自体、本当に心から思ったことであっても、対象への好感度の上昇を狙ったに過ぎないことだと私はわかっていた。分かっていても、書かざるをえなかった。それが本質、伝えたい事の一部であることに間違いはなかったのだから。
文末はこう、
「体調にはじゅうぶん気をつけて、元気でいてください。」
ここまで4枚にわたって書かれた相手への気持ちは文末にまで残っていなかった。これが文頭に私が「これをラブレターと言っていいのかわからない」と書いた意味である。ここには確かに私が恋をした事実、その理由、思い出、その他「ラブレター」によくある展開がなされていた。しかし、
その意図は「告白すること」には無い。
「恋をしている」といった言い方をした事に関しても恐らく相手は私の気持ちなど余るほど初めから知っていた。知られている上でそんな言い方をしたのだ。
「ラブレター」の意味は「愛情を告白する手紙」とされている。私はこれを書いた時、辞書でこの意味を調べた。納得いかなかった。見方によればこれは「ラブレター」で間違いないと思う人もいるかもしれないが、少なくとも本人、
私は最後までこれは「ラブレター」では無いと言い張るだろう。
そう、これは「手紙」ではなく「感想文」であってその先にあるであろう、
相手の答え、返事、返答、あまつさえこの感想文に対する「あなたの感想」も聞きたくはなかった。知りたいとも思わなかった。
それが幸でも不幸でもどちらだったとしても、どうでもいいことだったからだ。
これが「手紙」として対象に届いてしまえば、その返信をしなければいけないものだが、
「感想文」として届いてしまえば、それはただ読まれるだけの文章にすぎない。私はそれがよかった。
私はただ"あなた"に「恋をしている」ことを知っていて欲しかっただけだったのだ。それがたとえこの先永遠になんて言えないことは書かなかった。先のことは分からないけれどたった今、現在の私はそうなんだと、誇張もない素直な気持ちを書いた。
さて、どうしてこんな事を書いているのかというと、この4枚の便箋がもう私の手元にはないからだ。私の、というよりは誰の手元にもない、読まれることもない、週に3日程訪れる燃えるゴミの集積所に恐らくそれはある。もしかしたらもう既に燃えてしまっている。
何十回と読み返して気づいたのは、私が相手に伝えたいことなんて本当は無かったのではないかという事だった。正せば、こんな"文章"にして伝えるべき事はなかった。最初からなかった。
「私はずっとこれを渡したいと思っていました」は、
「感想文」でも「ラブレター」でも無い。
「私の気持ち」
だった。
そのことに気づいた瞬間私はそれを静かにゴミ箱へ捨てた。そしてあなたに電話をかけた。いつも通り、他愛のない会話だけをして、切った。伝わることない気持ちがある。それでいいと思える時もある。それでも幸せだと、言える時がある。それだけで充分だった。
こうして長くて短い「ラブレター戦争」は幕を閉じた。私の中の本意本質は、あの紙切れのように燃えて消えてはくれず、私は今日もあなたに電話をかけようとして、手に持った携帯を枕元に戻して電気を消した。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
またいつか。