【祝・特別版上映】SEED FREEDOM前半で准将と総裁がこじれた理由の考察

機動戦士ガンダムSEED FREEDOM特別版、9月20日から上映が開始されましたね!
早速行って参りましたが上映終了まで吹き出すのを必死で堪える映画館特有の一体感がとても良かったです。
何があったかは映画館に行って観て来てください。

現在、Webでも映画の配信をしてはいるところですが、どうせならば年末のBDの販促施策とか、松竹系映画館のドルビーシネマの稼働率向上とか、正直理由はなんでもいいので映画館で観たいと思っていたので、私にとっては特別版上映は願ってもいないプレゼントでした。

表題の件について。
映画の主役であるキラとラクスの関係は、TVシリーズでは個人的にずっと引っ掛かるものがあり、特にDestinyではもう人間ではなく物語にカタをつけるための舞台装置にされてしまったな、とすら思っておりました。

そのため、映画の初回鑑賞時は「やっぱりそう上手くいくものじゃないよな」と腑に落ちた感覚すらあり。だからこそ後半のカタルシスがありましたし、ふたりとも人間に戻してもらえたようで嬉しく思いました。

映画は「愛」というアンサーをもって長年の疑問を解消してくれたのと同時に、「じゃあ結局TVシリーズにおけるふたりの関係性って?」というところの再検討が自分の中で始まり、そして半年以上経った今でも考え続けています。

タイムリーにも、TOKYO MXで毎週火曜日に無印SEEDの再放送をしており「20年経って毎週見直すことになるとは人生分からないな……あとやっぱり無印といえば赤い子よな……」と思いつつ見ているのですが今まさにTVシリーズを見直していればこそ考えられたことも本当に沢山あり。

この記事では、ここまでとりとめなく考えたふたりの関係について「映画前半で何故こじれた関係になってしまっていたのか」を軸にし、フレイとラクスの比較を交えてまとめたいと思います。

【おことわり】
・映画のネタバレは勿論含みます。最後の項のみ特別版のアフターカットに関する言及があります。
・TVシリーズSEEDを無印、Destinyを種Dと表記しています。
・これまでにnoteにまとめた記事と、作品解釈に矛盾がある可能性がございます。現在の解釈ということでご容赦ください。
・記事で触れたインタビュー等について誤認があれば申し訳ございません。


ヒロイン2名と対比の構図

TVシリーズ無印において、フレイとラクス、この2名におけるキラとの関わり方は綺麗に対比された描き方をされています。

関わる場所:密室と屋外(またはパブリックな場所)
フレイは、医務室・士官室といった閉ざされた部屋でキラと二人きりで過ごして関係を深めています。
対してラクスは、クライン邸の温室、庭といった開けた空間で彼と関わっており、艦内においてもデッキなどのパブリックスペースで彼と共にいることが多いです。

身体:束縛と解放
フレイは、自ら軍に志願する「賭け」を行うことで、キラを地球軍に引き入れます。これは彼を戦場に留め置くことで身体を束縛する行為と言えます。
ラクスは、地球に戻る意思を固めたキラに対し、彼をプラントに引き留めることはしませんでした。フリーダムを引き渡し、彼の望む場所へ向かわせた。彼の意志を尊重して解放したのです。

戦う理由付け:他者のため と 彼自身のため
無印前半全般で、キラは他人を守るために戦わされていました。
その上で、フレイは彼と関係を持ち「他人(フレイ含む)を守る、守らなければいけない」という意識をキラに更に強く植え付けています。
ですが、アスランとの死闘を経てクライン邸で過ごした後、地球に戻る意思を固めたキラは「僕たちは、何と戦わなきゃならないのか、少し、分かった気がするから」その言葉の通りに戦う理由を転換させています。
この言葉を受けてラクスはフリーダムを差し出す。フリーダムは彼自身のための翼であるのです。
(なお、結果的に合流しますが、ラクスは自分の(クライン派の)行動をキラに手伝ってほしいとは告げていません)

心の傷への対応の比較

フレイとラクスは、キラが負った心の傷に対し、「深入り」をする/しないといった態度についても対比の構造で描かれています。

砂漠編の最初で、民間人を守り切れなかったことを悔やんで泣くキラに、フレイは「私がいるから」「私の想いがあなたを守るから」と口付けをし一夜を共にします。
フレイの命を守らせるため、キラに付け入った行為といえばそうですが……
傷付いて罪責に苦しむ彼には、存在を肯定してくれる人の存在が必要だった。そうでなければ心が折れて終わっていたでしょう。

そもそも、この時点のキラはコーディネイターとして戦えてしまったが故に周囲との断絶を感じとってしまい、徐々に孤独になっていました。
そんな、彼を守るものが何もない中で掛けられた「私の想いがあなたを守るから」というフレイの言葉。そして差し出した身体。
肉体関係を結ぶことは、差し出す相手が自分にとって特別である、という表明としての(少なくとも彼にはそう受け取られるだろう)行動です。
身体の関係を持つことで、彼女は彼に深入りし感情を救ったのです。
これは、当時のキラにとって絶対に必要なことでありました。
(尚且つ、身体が治癒して早々にキラが戦わねばならない状況下では、アークエンジェルの乗員の生存のために必要なことでもありました)
ただしこれは副作用も大きく、結果ふたりは共依存のようになってしまいます(次項でも触れます)。

対しラクスは、アスランの仲間を殺し、トールを殺され、アスランと殺し合いになったと泣くキラに「敵と戦ったのでしょう」「それで守れたものも沢山あるのでしょう」と事実だけを与えています。彼の行為に対する善悪も問わず、同情の言葉も掛けていません。
身体をもって傷と感情を受け止めたフレイとは全く異なり、何故その傷が生まれてしまったのか、キラ自身に考えさせるアプローチを取ったのです。
キラの感情ではなく認識に対して働きかけたとも言えます。
これは、地球軍の軍規に違反してもラクスを引き渡したような、彼の決断力を知って信じてそうしていたのかも知れません。
結果、このふたりは依存をすることなく、自立的な意志を尊重してそれぞれ行動を起こすことになります。

深入りと傷付け

前項の通り、キラはフレイに悲しみを受け止めてもらい心を救ってもらったのですが……
幼い態度で周囲を巻き込んでしまい、サイなど周りの人にもしこりを残し、ふたりは周囲から孤立してしまいます。
実はふたりの関係そのものも感情のもつれが原因で早期に破綻しています。

ストライクに勝手に乗り込み、反省房に入ったサイ。
それを気にするフレイの様子をキラは見てしまい、僕とは一体……と傷付いてしまいます。
身体による「特別」を表明されたことでキラの中でフレイへの期待が生まれてしまい、フレイはその期待を裏切る行動をしてしまったのです。

それでもふたりでいるしかない。艦内には他に身を寄せる場所がない。
破綻した共依存のままに過ごして、ついにはキラの善意がフレイを傷付けてふたりは破局を迎えます。

深入りは「傷付け」の可能性を帯びているものなのです。


なお、キラに対し感情面からのアプローチをしなかったラクスですが、実はエターナル合流以後は彼への関わり方を変えています。
別の記事でも書いた通り、キラに対しては問い掛けを行わなくなります。
他にも、彼のもとで涙を見せたり、医務室で二人きりになり膝枕したり、「帰ってきてくださいね」と直球な願望を発露したり。
一歩踏み込んだアプローチをしているのですが……

先に書いた通り、深入りは傷付けの可能性があるものです。
「たましいの場所」にて、気を失ったキラが目覚め、ラクスがその顔を覗き込むシーンで、あろうことにキラはフレイの面影を重ねてしまいます。
これはラクスがキラの感情を受け止めようとした、深入りしようとした結果の傷付けです。
またキラにとっては過去の傷のフラッシュバックでもありました。

そして1度目の大戦の終着。
フレイの死は、キラに手の施しようもない程深い傷を残しました。
大戦の中で時を止めてしまったように、表情なく過ごすキラ。

こうなるともう彼の心に立ち入ることはできません。
これ以上傷付くことは絶対に避けないといけない。
彼の感情に触れてしまうことは許されない
それをした瞬間、彼は負った傷の痛みに苛まれてしまうから。

周囲の人は、ただ彼の命を守り、静かに過ごさせて、時間薬を待つしかない状態になってしまったのです。

傷付けないケアの日々

無印後~種D前半、キラとラクスとカリダさんはマルキオ様の伝道所で子供たちと共に過ごしています。
この孤児院という舞台装置はキラを傷付けずに時間薬を待つのに最適な舞台であると思います。

家であると、引きこもって社会との繋がりを失い、孤独を更に深めてしまうかも知れない。なにより彼は観察と生活支援を必要とする状態です。
積極的に関わることはしなくてもそこに居るだけで社会との接点が出来て、彼の衣食住、すなわち生命を支えることが出来る場所であるからこそ、孤児院で過ごすことが選択されたのではないでしょうか。

映画FREEDOMパンフレット等における監督のインタビューで、「当時(Destiny時)の彼は戦いに疲れて壊れている」と言及があります。
実際に、孤児院でひとり椅子に座りながらフレイとトールの死を回想するシーンがあります。深く刻まれた心の傷は未だ癒えずにあったのです。

だからこそこの頃のラクスは、キラの様子を見つめてはいるが一歩引いて過ごし、あとからついて行くという形をとっているものと思われます。
机やシェルターでも隣には座らず、砂浜を歩くときも子供たちと共に居ます。慰霊碑のもとに行く際には、キラの数歩後ろを歩いてやってきます。

ひとりきりにせずそこに居る。深く干渉もしない。ただ支えて、その命を守る。
これは、彼の傷に触れる行いを避けたケアの形と言えるでしょう。

意思の尊重、感情の抑え込み

実は無印の時点から、ラクスはキラが戦うことに対し思うところがあるような描写があります。
アスランと戦ったことを泣きながら告白する様子にはっと顔をこわばらせており、「僕は行くよ……」と地球に戻る意思を固めたキラの言葉を聞きながら、哀しそうに眉根を寄せています(少なくともリマスター版では)。
彼女は彼が戦うことを感情面では肯定している訳ではないのです。

その彼女の内面に反して、言動としては同情を示さず、意志を固めた理由のほうを問いただします。
戦いに戻ること自体は、キラは泣く位嫌なんですよ本当は。しかしラクスは、彼が泣いている理由は尋ねない。
あくまで彼の意志を尊重するのが彼女の姿勢なのです。


意思を尊重するラクスの姿勢は、種Dでも一貫して変わっておりません。
孤児院(アスハ邸別邸)襲撃時も、フリーダムの引き渡しを最後まで嫌がっていますが、「何もしなかったらもっとつらい」の言葉に観念して鍵を渡してしまいます。
ここで、ラクスはキラに対し内心を吐露しないのです。
「嫌だ」とも「行かないで」とも決して口にしない。
ストライクフリーダムの引き渡し時も同様で、曇った顔で格納庫に案内し、ただ彼の名だけを呼び、涙目になりながら戦場に戻る彼を見送ります。

自分の感情以上に相手の意思を尊重する。
その意志を支えるため、行動で相手に奉仕する。

これがラクスの在り方であったのです。

新たな戦いと傷付き、ケアの未達成

映画FREEDOMの話に入ります。
月刊ホビージャパン2024年4月号の監督インタビューにて、「キラが戦うことを決めたからラクスは総裁職を引き受けた(そうでないとやらない)」旨の記載があります。
キラの意志の尊重が先にあって、行動でそれを支えるラクスの姿勢はここでも変わっておりません。

意思があって、行動を起こして、それでも……
回想として挟まれるアカツキ島の砂浜のシーンでは、「私も望むのです。あなたと共に戦うことを」の言葉でキラはラクスをただ抱き締め、彼女も辛そうな表情で抱き返します。
戦うことを、本心ではお互いに望んでいない。しかしその感情は顧みない。
それでも言葉を使うことはない
。16歳のときには出来たはずの問い掛けすら出来ない。

その結果、ふたりは一緒にいることすら不可能になってしまいます。
1度目の大戦後から、傷付けずにただ居て、癒えるのを待つ形でラクスはケアを続けてきました。
姿勢を変えずにここまで来てしまったのに、コンパス発足後はそのケアすら達成できない環境となってしまい、なおかつキラは戦いの場に戻って新しく傷を負ってしまいます。

種Dのときよりも少しだけ時間薬の効いているキラにはその傷が痛い。
それでも傷への処置を施してくれる人はそこにいない。
オルフェの件も重なり、結果ラクスに対し疑心暗鬼に陥ってしまいます。

理想論としては、今までのケアが達成できない形に環境が変わるのであれば、その分ふたりの関係も変えるべきであったのでしょう。
あの砂浜で本心を打ち明けられていられれば。
あるいは無印のフレイのように、感情を掬い上げていられれば……

深入りは相手を傷付ける可能性もありますが、与える傷以上に心を強く結びつける可能性もある
フレイがキラにとって特別な人で在り続けているのは、苦しいときに心を救ってもらった、その意味の深さ故だと思います。

「話します」「話してください」という結論

ラクスは、意思の尊重と行動による奉仕という態度を貫いた結果、自分自身の本当の心を裏切り続けていた
だからこそ、新しく傷付く相手の本心も大切にすることができなかった

あなた/私はどうしたい、それでいいのか、という話し合いすらなく、先に上げた深入りという言葉の通り、キラとラクスはより深く分かり合うことを試みないままに来てしまったのです。
それが双方の深い信頼あっての結果だとしても。

相手の意志を尊重するということは、自立した人間として相手を認める、ということであり、本来的には良いとみなされることです。
しかしそれは相手の/自分の思いに対する逐次の確認とアップデートがあってこそうまく回るものであり、少なくともお互いに「本当は嫌」と思っている状態では、関係がぐらつくのも時間の問題であったのでしょう。


実際にすったもんだあった後、アスランの助けもありようやく本心を吐露できたキラは、彼のほうから「愛している」の言葉を発します。
「愛している」という言葉は、相手が自分にとって特別である、という表明です。深入りの宣言とも言えるかもしれません。
そのため傷付けであっても結び付きであっても、これまでの関係ではいられなくなる可能性を秘めた破壊的な側面があります。特に、相手の精神やお互いの関係性が揺らいでいるときには、深い傷や依存を起こす事もある危ない言葉となります。
つまり、今までキラを傷付けない態度を貫いてきたラクスが口にすることは許されないものであったのです。
どんなに相手を想っていても、「愛している」というトリガーを彼女から引くことはできなかった。その点にふたりの難しさがあるなと考えています。

やはり「私の中にあなたはいます」の映画ラストのモノローグこそがこれからのふたりの道筋を示すものだと思います。
ここで「話します」という表明がラクスの側から先に出ていることがポイントになります。
今まで彼女は本心を語ってこなかった。相手の意志を尊重する在り方を続けて自分の心を顧みなかった。そしてその在り方を分かってか、総裁職を引き受けると言った彼女をキラは言葉で引き留めることができなかった。

そんな自分が変われば、相手も変わる。
今度こそ、相手の本心を大切にしたい。
だからこそ「話してください」と最後に伝えるのだと思います。
砂浜で何も言葉を交わせずに抱き締め合った、あの辛さを繰り返さないように。

余談:傷付きの共有と関係の深化

アスランとカガリは、TVシリーズを改めて見直してもお互いに大好きなままに来ていて、そこはブレないなという印象があります。
このふたりは、出会った頃から傷付きの共有が対話によってなされたために、内心の吐露、感情の発露ができて深い関係を築けたことが大きいのかなと考えています。
『二人だけの戦争』では戦争というシステムがもたらす傷を共有し。
『慟哭の空』ではキラを喪った傷を共に背負った。
そして戦争という構造の異常さを先に指摘したのがカガリで、だからこそ「もう誰も死んでほしくない」と護り石を渡すのです。
(そのため個人的にはカガリはアスランの導き手であると思っています)

傷付きの共有については、同じ構造がシンとルナマリアにもあります。
脱走したメイリンとそれを討ったシン。
仲間を討ってしまった、妹を失くしてしまったというところでシンとルナマリアは同じ傷を負い、悔悟の念を口にし、涙を流し合って急接近し口付けを交わします。
ここからふたりは種Dのラストシーン(とスペシャルエディション&リマスターの追加シーン)までも共にある関係となります。
映画で微妙にこけてますが、これはシンくんのトライありきのものであり、関係性の根底が崩れるものではありませんでした。

キラとラクスにはそれがなかったのだと思います。
ラクスはケアラーの立場に近く、傷に触れることよりも、心身ともに傷付いてしまったキラの回復を優先させました。
無駄にキラを苦しませない、その判断は彼が負った傷の大きさを鑑みれば正しいものでありました。
そしてキラは自分で答えを出してしまう人物のため(無印における劇場でのアスランへの問答のように)ラクスが強く糺す必要もありませんでした。
そのため物事に対して言い争うようなこともなく、同じ陥穽に落ちてその苦しみを共有することもしないままに来てしまった。
関係の深化という面ではこれが仇になったのかも知れません。

おまけ:物語のプロセスとポジション

本項はかなり本音ベースで書いています。

ラクスについては「制作側は最早真面目に描く気ないんだな」とすら思っていたので、映画FREEDOMで彼女の物語が展開されていたことが1月の初回鑑賞時最大の衝撃でした。

というのも、物語においては出来事→葛藤→変容→行動のプロセスで人物が動き、段階を追って理解が出来るからこそキャラクターに入れ込むものと思いますが、無印の主役であるキラ、アスラン、カガリはきちんと描かれているのにラクスにはこのプロセスがなかったのです。
特に「葛藤」「変容」がないので、行動の理由が見えにくい人物になり、視聴者として共感が難しい人物となったなと考えています。(敢えてかもしれませんが)

個人的には、「主役級のポジションのはずなのに3人と同じところに立たせてもらえていない」という感覚がずっとあって可哀想に思っていました。
(無印のラストシーンがその象徴)

映画FREEDOMにより葛藤をラクスにも視聴者が納得できる形で背負わせたことで、自分としては「ようやく報われてよかったなあ」という思いを抱き、その結果この記事のように謎の文章群をしたためています。

【ネタバレ】アフターカット第1弾について

野外ロマンティクスの事後みたいな斬新なシチュエーションの特別版アフターカット第1弾ですが。
アコードの能力とは言え、普通の会話で相手の心を読むのは相互理解までの努力を放棄してませんかラクスさん、とは思いますが、ふたりは普通によしなしごとを話せるくらいにはなったのかなあとは思いました。
会話の内容は随分偏差値が下がったなとは思いますが。
最初の対比で「密室と屋外」を挙げましたが、だからといってえっちなことまで外でしなくてもいいんですよ……。

ここでも「愛している」とキラから言うあたり、キラが先でラクスがあとからついてゆくところは変わらないままになるのかなとは思います。

そしてそれ以上に直前のアスランが腹筋に悪すぎるんですよ……。