子供の頃
子供の頃 空を見上げて夢見たものなんて 現実を突きつけられるだけで見なきゃよかった夢。
私は私立の幼稚園に通って、たくさんの習い事を掛け持ちして、塾には3つ通って、国立の有名な小学校の受験に成功した。滑り止めも全て受かった。
模擬試験でも女子で1位だった。全体3位。
頭がいいことが取り柄だった。
親には医者になれって言われて育った。
でも教育虐待で勉強しかさせてもらえなかったから当たり前に賢くなっただけで、勉強は嫌いだった。医者にもなりたいと思ってなかった。そこに私の意思はなかった。
何もかも私の意思はなかったんだ。
親の選ぶもの、親の選択しか許されなかった。
だから私は私がなんなのか分からなくなって、今でもよく分からない。
ずっと机に向かわされて、勉強が嫌になって、こっそり絵を描くようになった。絵が上手くなった。成績はまだキープ出来ていたけど小5で落ちていった。
90点台、100点が当たり前なのに50点台をとったとき、息が止まるかと思った。親になんて言われるか。
でもだんだんそれが当たり前になっちゃって、親に殴られようが殺されかけようがネグレクトされようが外に追い出されたり閉じ込められようが、私はどうでもよくなってしまった。どう足掻いてもそうなったんだよ。
私は幻覚が見えるようになった。暗いところにいると。
いつも夜に追い出されて、電気を消されて閉じ込められていたから、幻覚を見ることで現実から逃げていた。
うさぎ、おもちゃ、とか。覚えている限り。楽しい幻覚しか見えなかった。それで息ができた。私なりの、虐待からの生き延び方だった。
記憶がなくなる日々だった。
友達に死ねと言ったらしいけど、私は覚えていなくて、周りにも責められて、どうしようもなく謝った。
毎日寝る前何していたか覚えていなかった。
気づいたらベッドにいて、気づいたら学校にいた。
ふわふわして夢の中にいるような日々を送っていた。
それでも私は、そのときの私は、死にたくなかったんだ。生きたかった。幸せだと思ってた。自分の境遇は何もおかしくないと信じて疑わなかった。自分がおかしくなってきていることにも気づいてなかった。
そんな私は今、自殺未遂して閉鎖病棟にいる。
何度目か分からない、数え切れないほど自殺未遂をしてきたし、精神科への入院も22回目くらいだと思う。多分。どう正してっても、多分こうなった。
でも、あのとき生きたかった私。
殺されそうになりながら、幻覚を見ながら、解離しながらも生き延びて死ぬほど頑張っていた私。
そんな過去の私に、今の私は土下座して謝りたい。
土下座でも足らない。
あんな思いをして、結果精神病棟に出入りを繰り返し働くこともできずに腕も傷だらけで薬漬け、なんて、あのときの私が知ったらどんな気持ちになるだろう。
こんな人生にした、母親を、許せない。許さない。
でも、大好きで愛されたい。仲良くしたい。
それでも拒絶しかされない。捨てられたし。
抗っても意味はないトラウマだらけ。
正しい思い出もひとつも分からない。
私の人生は、私のもの。
でも私は私の人生を抱えきれない。ここに書いただけが全てではない重すぎる過去を、抱えきれない。
でも、私のものなのだから、母親に人生を心を壊されたままどんどん壊れていくのもプライドが許さない。
悲しいことに、母親似の性格だから気が強くてプライドが高くて負けず嫌いだから、許せないよ。このまま人生を終えるなんて。母親は今不幸な目にあってるし、私は幸せになって、ざまぁみろっていつか言いたい。
だから生きなくちゃいけないし、絶対幸せにならなきゃいけないんだ。私を壊す人に人生をコントロールされ続けるんじゃなくて、今、わたしに、幸せになってほしいと思ってくれて支えてくれている人を大切にするべきだ。
生きてる方がまだ抗える。
生きている愛を。