『廃病棟の螺旋』現代ホラー小説


#### 第一章:憤慨

市立桜ヶ丘病院の廃墟に立つ時、拓人は拳を震わせた。三年前、妹の小春がこの消化器内科棟で謎の急死を遂げた夜。医師たちは「原因不明」と繰り返し、警察はカルテ改竄を黙認した。壁に刻まれた「医療過誤隠蔽反対」の落書きが、腐った点滴の匂いの中で歪んで見える。


「どうして...誰も責任を取らないんだ!」


足元で軋むガラス片。懐中電灯が照らし出したのは、錆びたベッド柵に引っかかったピンクの髪留めだった。小春が最期まで握りしめていたものと同一の花飾りが、黒い液体に漬かっていた。


#### 第二章:悲哀

四階小児病棟で音楽が聞こえ始めた。『ねんねこぼうや』の旋律が、天井から滴り落ちる緑がかった水滴と同期する。追いかけるほど遠ざかる八音盒の音。拓人はついに307号室でそれを発見した。


硝子戸の向こうで、半透明の小春が点滴台を押しながら歩いていた。十二歳のままの背丈。首の痣は生前より濃く、蜘蛛の巣状に広がっている。彼女は毎夜同じ時刻に蘇り、看護師の真似をして空の注射器を並べていた。


「お兄ちゃん、痛いよ」


声は排水溝から湧き上がるように響いた。拓人が触れようとした瞬間、小春の身体が蝋のように崩れ、床に吸い込まれた跡に小さな手形が残った。


#### 第三章:無力感

地下薬品庫で見つかったビデオテープ。2019年3月11日、深夜の監視カメラ映像に映るのは、白衣の男たちが小春のベッドを囲む光景。聴診器を首に巻きつけ、点滴バッグに黒い粉末を混入させる。拓人の叫び声と共にテープが焼け切れた時、背後で冷たい指が頸動脈を撫でた。


逃げようにも階段が無限に増殖する。非常口の赤ランプが全て「手術中」に変わり、壁の血痕が「助けて」から「遅すぎた」へと形を変える。携帯のGPSが示す現在地は常に「この場所は存在しません」。


#### 第四章:諦念

屋上水槽で浮かぶ小春の遺体。しかしそれは本物ではなく、看護師制服を着た等身大の蝋人形だった。髪の毛は本物の毛髪で編まれ、口腔内からは、過去三十年間の医療事故犠牲者492人の無限の怨嗟が聞こえてくる。


拓人は笑い出した。病棟全体が生きた怨霊装置だと気付いた。自分もいずれ壁の呼吸に同化し、新たな「事件」の演出者となるのだろう。小春の髪留めを胸に当て、崩れかけた柵にもたれかかる。


#### 第五章:解脱

朝靄の中で病院が溶解し始めた。コンクリートが肉塊に、窓ガラスが涙の結晶に変わる。小春が真っ白な着物姿で現れ、拓人の手を引く。彼女の首の痣からヒナゲシが咲き、薬品の臭いが花蜜に変わった。


「ありがとう、お兄ちゃん」


地面から無数の手が伸び、病院を地中へ引きずり込む。拓人が目を覚ますと、そこは更地の真ん中。ポケットから小春の髪留めが消え、代わりにヒナゲシの種が三粒握られていた。


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