明治通りの裸体の女
明治通りを歩いていたら裸体の女に出くわした。なんだそれ?
「すみません、あなた、捕まりますよ」
と、僕が言うと、
「大丈夫です、ご心配なく」
と言われたので余計に心配になって、
「いやいや、とりあえず僕の上着貸しましょうか」
と提案してみる。季節は冬。僕も寒いが仕方がない。
すると女は、
「裸体でいたいので」
という、韻を踏んでいるような回答をしたので、なおさら僕は心配になって、
「あなたねえ、そのままだと捕まりますし凍え死にますよ。日本だって冬は寒い。夏は暑いし春秋はのどかだ。それくらい、あなただってわかっているでしょう? 今、まさに肌でも感じているはずだ。寒い時には厚着をする、これは基本です。人間が豊かに生きていくための最低限の営み。それを放棄してちゃあ、あなた、生きてるとは言えませんよ。ほら、僕の上着、とにかく着てください」
と言った。が、やはり女は、
「裸体でいたいんですってば!」
と韻で返してくるので、僕もだんだん腹が立ってきて、
「じゃあ、あなた、もう未来永劫、裸体でいてくださいよ! 裸体、裸体、って、どこかの部族じゃないんだから。あ、ちなみに僕は部族のことを馬鹿にしたわけじゃないですからね。僕は部族を尊敬していさえする。野生の思考ってやつです。わかりますか? レヴィ=ストロースですよ。読んだことあります? 読みなさいね、とりあえず。現代人はみんな読んだ方がいいんだ。それで初めて現代というものに着眼することができる。読めないんだったらユーチューブで解説動画でも見てください。野生の思考。ね? わかったら早く立って、その露わな恥部を隠してですね、僕の上着を着て、自分の足で歩くんです。それができなければ、あなた、獣ですよ? あ、ちなみに僕は獣のことも下等に見ているわけではないですからね。我々は対等なんだ。存在。わかります? あらゆる存在には仏性が宿っているんですよ? その辺、ちゃあんと考えて、それであなた、生きていかなくちゃあ、せっかく生を受けたのにもったいないってもんです。ねえ、あなた、わかりますか?」
と言葉を羅列してしまった。すると女は、
「裸体でいて何が悪い!」
と、かなりキレて決め台詞のようなものを叫び出したので僕はちょっと恐ろしくなってしまって、それから少し口を閉ざして様子を伺うことにした。女は一向に動かず裸体だ。なんだそれ?
周囲に人はいない。それをいいことに女は裸体だ。なんなんだよ。俺の気持ち、全然わかってくれないじゃないかよ。
僕は押してだめなら引いてみようということで、次は優しく語りかけてみた。
「ねえ、あなた、寒いでしょう? 寒いに決まっている。こんなに着込んでいる僕だって寒いんだ。裸体のあなたが寒くないわけがない。裸体であるってのはそういうことです。寒いんです。寂しいんです。この宇宙の人間存在は絶対的な孤独です。悲しいでしょう? 切ないでしょう? そんな時こそ仏の心ですよ、ねえ、あなた。僕はあなたに上着を貸して差し上げると申し出ているんだ、それはそれとして受け止めるべき事柄なのではないでしょうか? ねえ、あなた、わかるでしょう? 寒い、寒い、裸体だ。そんなの、美しいことでもなんでもないんですから。ね、ほら、僕の上着を着ましょうね。裸体は存分に楽しんだでしょう? そろそろ生活に戻る頃合いです。ね、共に生きていきましょうよ」
すると女は急に立ち上がって、
「ほっといてください! なんなんですか、あなたは? さっきから聞いてればなんだかよくわからないことばかり滔々と話して、何、自己満ですか? 知識をひけらかしているんだ。頭が良いふりをする人のやることですよ、それは。本当に頭がよい人は寡黙なんだ。人間同士がわかり合うことなんて不可能だとわかっているんだからね。わかりますか? あなたのそれは親切でもなんでもないんです。ただの押し付けです。価値観の押し付け。価値観なんて無限にあるんですから、一人くらい裸体の女がいたっていいでしょう? 捕まっても凍えてもなんでもいいんだ、わたしは。だってそうでしょう? わたしたちは自由なんだから。自由に生まれ自由に死んでいく、それくらいの権利はあったっていいでしょう? まったく、あなた、神ですか? でもない限り、そんな押し付けの暴力、認められませんからね! わかったらさっさと消えてください。こちらは真面目に裸体やってるんだ。それを妨害するのはもはや悪ふざけですよ。いいですか? 弱いものいじめです。最低です。死んでください」
と、いきなり捲し立てるので、少し僕は狼狽して、また押し黙ってしまった。
(——まあ、いいか)
まあ、よくなってきた。どうでもよい。たしかに、明治通りに裸体の女がいたって、世界は相変わらず回っている。それでいいのかもしれない。そうだな、それでいいんだ。
「わかりました。僕は納得しました。あなたはそれでいい。立派だ。どうぞ裸体を貫いてください。エールを送ります。最大限のエールです。受け取ってください」
すると女はものすごい形相で「いらん!」と言ったのでそれで話は終わった。裸体の女は裸体のまま、僕は僕のまま。少々、寂しくはあるが、それもまたそれなのかもしれない。よし、元気出していこう。
「じゃあね、裸体さん。また来世で会いましょう」
「さようなら、嫌な人。もう二度と会うことはないでしょう」
傷つくなあ。まあ、よいか。どうでもよい。そんなこともある。人間同士が分かりあうことはあまりに難しいことなのだ。そうなんだ。それでいいじゃないか。
僕は上着のポケットに手を突っ込んで、思いつきの口笛を吹いてみた。冬の空に口笛が澄み渡っていった。
(2024.10.23)
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