「ドルフィン・ソングを救え!」トリコはわたしで、トリコはあのとき置いていかれた女の子たちすべて
セールスを断れない母親のおかげで、裕福とは言えない実家のテレビには不釣り合いなケーブルテレビシステムがついていた。カルチャーが遮断された90年代初期の地方都市の小さな団地で、見たことがない世界と繋がった気になれるその箱の中で歌う小沢健二を初めて見た日のことは今でもはっきり覚えている。
それまで目にしたことも想像すらできなかった美しい顔の細い青年が、めくるめく夢の中のような甘い声で歌っている。これはこの世の音楽なのか?暗い野外のステージで、少し汗をかいて。東京だろうか、ライブPVということはこんな凄いものを直接見た人がこの世にいるのか。どこで募集してたんだろう。羨ましい。なんでわたし見てないの?わたしがこの人のこといちばん好きなのに!ここまでが見て1分の感想。完全に恋に落ちていた。
「天気読み」というその曲はその音楽専用チャンネルで月のパワープッシュになっており、何度も流れるおかげで1本のVHSに繰り返し録画できてありがたかった。どうやらそれは彼のデビュー作らしく、それ以外の曲はまだリリースされていないようだった。1本のVHSが全く同じPV1本で埋まった頃、確かに彼だけれどもう1人の青年と歌う映像が流れた。数日前に人生初の恋に落ちたはずのわたしは、更なる衝撃を受けることになる。小山田圭吾。健二とは違う、似ているけれど違う、でも同じくらい破壊的な魅力がある。そんなのが2人も揃ったら困る、選べない。どうしたらいいの。選べないからもう人を好きにならないほうがいいんじゃないか。愛するって苦しい。中学生なんかこんなもんである。ビッチな初恋に苦しみながら2本目のVHSにフリッパーズ・ギターというらしいその2人組の映像を集め始めた。
洋楽をまだ知らなかった田舎の子供は、その音楽を純粋に2人の作った世界だと感動し、その洗練された都会的な世界に圧倒され彼らを崇拝しクラスメイトに布教を始めた。同じクラスの村上さんは、周りの友達よりも少し大人びていて趣味が良かった。フリッパーズが解散して小沢健二がソロになったことを既に知っていたし、パチパチとオリーブという雑誌を貸してくれた。彼女と古本屋を巡り彼らが掲載されている雑誌全てに目を通し、インタビューの一字一句を鵜呑みにして記憶した。復唱できるレベルに暗記した。登場する知らないバンドや曲名はレコード屋に行き聴かせてもらい、それらも全て記録した。彼らが着ている洋服のブランドも、好きな食べ物も全て。彼らが好きなものは全部好きでいたいし、知らないなんてもってのほか。いつか会った時に彼らについていけるように、なんなら彼らに「できるやつ」と思われたい。彼らの全てを受け入れる、頼れるマザーになりたい。完全に狂気でしかないな、今書いてて全然笑えない。怖い。けれど信じられないことに、この痛々しい妄想は25年後にとある作家により廻向されることになる。
樋口毅宏デビュー作「さらば雑司が谷」をたまたま読んで、著書に同じ匂いを感じた。もちろん小沢健二について書かれている部分があるからだけではない。フリッパーズが多くのカルチャーを愛するがゆえパクりオマージュして世に出してきたように、この小説は同じ手法を用いて敬意をちりばめ暴れ散らかし尽くし1つの作品にしている。それまで他の著者による小沢健二、コーネリアス、フリッパーズについて言及し書かれたものをいくつか目にしていたが、ここまで露骨な激しい愛をぶつけるものは読めなかった。オタクはオタクが好き。熱量の高い仲間を見つけると嬉しくて暴挙に出てしまう。当時書店で勤務していた特権を生かして勝手にコーナーを作り、著書の新作が出るたびに店内でいちばん目立つポップを作り常に目を引く高さに置いていた。そのうち決して大型店ではないその店にご本人が来てくださり、今では時々ランチやお茶をしつつ音楽や映画についてオタクトークさせてもらいながらやはり彼が思った以上の類い稀なるセンスの持ち主であると再確認している。
樋口さんがフリッパーズを題材に小説を書くと知ったとき、樋口さんも彼らの解散に納得できていないままいる想いを消化させたいんだろうなと思った。考えが甘かった。樋口さんは、こんなことを書いたら怒られるかも知れないけれど本当にびっくりするぐらい心が優しい。「日本のセックス」や「甘い復讐」を読んだ人は信じてくれないかも知れない。常に自分以外の人間のことを自分よりも思いやり気にかけて、誰が何を喜ぶのかよく分かっている(ゲラの時にはなかった、わたしが好きな彼らの歌詞とここ数年わたしが追いかけているアメリカのバンド名が追加されているのを見つけたときは声が出た)し、誰かの悲しみは本人より悲しんでしまう人である。そんな人が、ただ自分の気持ちの捌け口や欲求を満たすために本を書くはずがなかった。
村上さんは、小沢健二のソロに対してさほど熱を上げていなかった。フリッパーズが解散した時点で、彼女の時間は止まったままになってしまったと言った。小沢健二ひとりでは、コーネリアスのソロ活動では、彼女の目をまたハートにすることはできないようだった。わたしは幸運なことに後追いであったため彼女ほどの悲しみがなかったものの(それでもフリッパーズを聴くたびにもういないことに絶望していた)、そういう女子が何万人いただろうか。その熱量の合計は相当なものであったはずなのに、もうどこに行ってしまったのか、消えてしまったのかも分からない。
どうか、あの女の子たち全員にこの本が届きますように。おそらくわたしと同じように、彼女たちが妄想し布団の中で湯気が出るほど重い募らせたことが全てここで形になっているから、この本を開いてみてほしい。トリコが美しく大人になり闘い、愛し、口づけて、彼らのマザーになる。読み終えると、自分が彼らにしたかったことやできなかったことをひとつ残らず達成したかのような気分になる。この本の中では、いちばんなりたかったものになれた。
ありがとう樋口さん、これさえあればわたしたちは当時の自分たちを慰め、認め、慈しんで堂々と中年を生きていけます。
あともうひとつ、この本がめちゃくちゃ話題になって本人たちの逆鱗に触れヤケクソでもなんでも再結成してフジロックのトリで演奏してくれますように!世間を裏切ってびっくりさせるのが大好きな2人だったから、充分あり得る未来として楽しみにしておきたい。