韓国語ゼロで渡韓し、教えるまでになったわたしのストーリー
2003年5月「アンニョンハセヨ」しかわからない状態で、ルイヴィトンのスーツケースを持ってピンヒールを履いた大阪のネエチャンがソウルに降り立ちました。
そこからはや21年。
日本語と韓国語を合わせると、教えた人数も延べ3,000人を超えました。
渡韓したときはこんなことになるとはまったく想像もしていませんでした。
どのような道のりで、韓国語ゼロから韓国語講師にまで至ったのかをお伝えしていこうと思います。
韓国語を勉強している方に、少しでも参考になると嬉しいです。
1.目標も何もなかった20代前半
私は、学生のころから何かにまじめに取りくみ最後までやりきった経験がほとんどありませんでした。なんとなく大学に行き、なんとなく就職し、なんとなく毎日を過ごしていました。
しかし、どこかで何か物足りないと感じていたのです。
そして就職して2年ほど経ったころ「このままではいけない、何か新しいことを始めなければ」といろいろと模索し始めました。
そこで見つけたのが「日本語教師」。
最初は英語が必要ないからという単純な理由でしたが、いざ勉強を始めるとめっちゃ楽しい!
資格を取り、生活すべてをどっぷり仕事に費やしたいと海外の就職サイトを検索。
そして特に興味もない韓国へ。今となってはよくそのような勇気があったなと思いますが、若かったんですね。
でもそこから地獄の日々が始まるのです。
2.一念発起して韓国で日本語教師
韓国の土地勘もなく、ただソウル市内だと生活も問題ないだろうと就職。その日本語学校は、たまたまソウルの中心部に位置するカンナムにありました。
楽しい日本語教師生活が始まるのかと思いきや、教えることはこんなに大変なのかと思い知らされる毎日が待っていたのです。
韓国では日本と違って、語学の勉強は毎日授業があるところが多く、少なくとも週3回。
そして、みなさん出勤前と後に勉強するので、必然的に私たちの仕事は朝6時からの数時間と、間休んで夜10時まで。空いている時間は休まず次の授業の準備。
このような生活が続き、半年間ベッドでぐっすり寝る間もないほど毎日授業の準備にまた準備……
1年ほど経ち、やっとなんとか「普通に仕事して、寝て、食べる」生活に落ち着きました。
週末は、同僚の先生たちや生徒さんたちと美味しい韓国料理と楽しいお酒を堪能。充実した毎日を過ごしました。
そして3年後には高校での日本語教師の職にステップアップ。さらに仕事をしながらソウル大学の大学院で教育学を研究。
結局トータルで8年間、韓国で毎日忙しく、楽しく働き、勉強し、遊び…….。充実した生活を過ごしたのでした。
3.帰国し韓国企業で会社員生活
8年間やり切ったと感じたところで日本に戻り、教えることからは少し離れ、普通の会社員生活を送ろうと心に決めました。
今までの長い海外生活と、日本語教師の激務、30代からの大学院での勉強と研究で、かなり力を消耗していました。今後は日本でゆっくりと自分の時間を楽しみつつ、人並みの生活を送りたいと考えたのです。
帰国後、講師業が長かったために就職活動は簡単ではありませんでしたが、なんとか某大手韓国電機メーカーに就職。
最初は通訳・翻訳業務を担当。
韓国語ができるとは言え、通訳・翻訳はまた違ったスキルを要求されます。そこで、仕事をしながら夜は通訳のスクールに通いました。
その後は韓国語と教育の経験を買われ、希望でもあった社内教育担当に。これでやっと今までのすべての経験とスキルを生かして新たな活躍ができると思った矢先…… 経営不振から会社が日本から撤退することになったのです。
40歳目前でお先真っ暗になってしまいました。
4.地獄の転職活動
なんとか今までの会社のネームバリューと年俸を落とさずに、やりたいことができる会社を見つけたいと、履歴書を出した会社はなんと100社以上。
それでもまったく見向きもされませんでした。
年齢、講師歴の長さ、会社員としての経験不足がその理由でしょう。
1年近くがんばりましたが、人として全否定されていると感じ、転職を諦めました。
そこで新たに、自分がやりたいことではなく「私は何ができるんだろう?」と冷静に考えました。
その結果、気づいたのは2つ。
今までやりたいと思っていたことは、やりたいことではなくただの見栄だったということ。会社のネームバリューや年俸に縛られていたのです。
そしてもう1つは、他の人よりも得意なことをやるのもいいのではないかと思ったこと。それがまさに「韓国語」と「教えること」だったのです。
それに気づいてからの行動は早いものでした。
両親が経営している店舗の2階を教室に改装。家賃はかからない分借金を抱えた生活が始まりました。今なら借金など抱えずに始めるところですが、まあ心機一転楽しい気持ちで志高く、新たな生活を始めることになりました。
5.地元で韓国語教室オープン
当時、韓国語の先生といえばほぼ日本語が上手な韓国人。日本人の私だと正直難しいのではないかと考え、英語の先生を雇って韓国語と英語の教室をスタートさせました。
しかし、いざ始まると韓国語のほうにどんどん生徒さんが集まってくれたのです。日本人の先生のほうがわかりやすくて安心だというお褒めのお言葉まで!
そこからは毎日試行錯誤。
コロナ禍にはオンラインレッスンも始め、対面用に作成していたレッスンマテリアルもすべてオンライン用にも作り替えました。
そして通常のレッスンに加え、韓国好きの生徒さんが楽しく集まりつながっていただけるようオンラインサロンもスタート。
初級→中級→上級へとレベルアップする方も増えて、その方々に新たな目標を持っていただけるよう講師養成講座も始めました。
また、今までは趣味で勉強されている方がほとんどだったのですが、最近ではビジネスで韓国語を使う方が増えてきました。そこで短期集中の特別韓国語プログラムもスタートしています。
6.”韓国語をライフワークに♪”をモットーに
経歴だけ見ると「すごいね!」と言われることも多いです。でもここまで読んでいただけるとおわかりのように、実際はなんとか綱渡り状態でここまでたどり着いたというのが正直なところ。
そのときそのとき一生懸命もがき、努力したことで、今やっと点と点がつながり線になってきたなと感じます。
今までのすべてが糧となり、今があるのです。
これまでのすべての経験を生かし、多くの方々に韓国語の勉強を通して自信をつけ、新たな自分を発見していただくお手伝いができればと思い仕事をしています。
そして、より広い視野を持つことで、毎日充実して生きていただきたい!これが私の韓国語講師としてのモットーです。
韓国語の勉強がライフワークになる方々がどんどん増えていくのを期待しながら、私が少しでもそれに貢献できるよう今後も努力していきたいと思います。
韓国の勉強は継続が必要です!でも、モチベーションをずっと維持するのはなかなか難しいですよね。そのためには楽しみながら、ワクワクする目標を持つことが大切です。
もし壁にぶち当たったり、レベルアップに苦しんで挫折しそうになったときはなんでもいいのでご相談くださいね。できる限りお力になれるようがんばります。お気軽にコメントください。