「何者でもない事の自覚」と「99%の凡人である事の自覚」

5月14日、こんなツイートをしました。

100%腑に落ちてるかというと、そうではなくて。

だけど、何かヒントがほしくて言語化してみた。

「自分は特殊な存在じゃない」

2つ目の「〇〇みたいに天才じゃない」とほぼ一緒じゃん!!

そんなことはなくて、これはメタ思考についてのお話。

うわっでた、メタ認知!苦手なんだ~という方も

心理学に興味があって、本や記事を読んで知ってる!という方もいると思います。

今回はせっかくなら抵抗のある人にも知ってほしくて綴ることにしました。

「メタ認知とは「認知の認知」を意味し、簡単に表現すれば「対象物を1つ上の視点から見る」ことを意味しています。自分自身を客観的に見ることが、メタ認知の典型的な応用例です。思い込みから脱したり、創造的な発想につなげることができ、思考の原点とも言える概念です。」(『自己矛盾劇場』細谷功著より)

あ、ちなみにこの本めちゃくちゃ面白いです。スラスラ読める箇所も、じっくり時間をかけて読む箇所もあって、知らなかった自分と出会うことができます。良かったらぜひ。

自己矛盾が起きるメカニズムとして、客観的な自己認識であるメタ認知ができずに、「他者にとってはわずかな差が、当事者(私)には大きく見える」ということが挙げられます。
人は最もよく知っている(と少なくとも自分では思っている)自分自身のことを、他人に一般化されることを潔しとしません。自分はすべて特殊であり、自分の会社や業界はすべて特殊であると思い込んでしまう。これが、「猛烈な反撃」をしたくなる大きな要因です。そのくせ逆の立場になったら他人のことを「知ったような態度で」一般化するのも、人間が宿命的に持っている思考の癖と言えます。(『自己矛盾劇場』細谷功著より)

要は、「私のこと何も知らない癖に、分かった気になってんじゃねーよ!!」っていうあれです。

今回は、あなたの事情は全く特殊ではないし、1つ上の視点から見たら、あなたの悩みなんて他の人と大差ないよ、なんて冷たいことを言うつもりはありません。

視点を1つ上げてみた時に、みんな「私だけは特殊な存在」として無意識に認識てるんだな~と考えるきっかけにしてほしいです。

もし誰かの相談を受けた時に、「ああ、この人は過去に似たエピソードを話してくれたAさん同様に、きっとこうしたら良いんだ!」と一般化するのではなくて、“その人も”「私は特殊な存在」として物事を考えているのだな、ということを念頭に置いて接してみてください。

「99%の凡人である事の自覚」

これは、とある大学生の知人との会話の中で、強く印象に残った出来事。仮に知人をAさんとします。

ネク「おれ〇〇さんに惹かれてて、将来は彼のような社会人になることが理想なんだ。」

Aさん「あーたしかに。あんな風に過ごせたら面白そうだよね。ネクさんも話してて楽しそう。」

ネク「そうだよね!今は彼に一歩でも近づけるように、彼の記事を沢山読んで勉強するんだ。」

Aさん「うーん。いいと思うけど、私には無理かな。だって、私〇〇さんみたいに天才じゃないし。

読んでくださっている方の中にも、似たような経験をした方もいるのではないでしょうか。

私は、Aさんの考え方を否定するわけでも、自分(ネク)の考え方を正当化したいわけでもありません。ただ、凝り固まった価値観で物事を捉えてしまうと、自分自身で天井(限界)を決めてしまい、活躍できる可能性を狭めてしまう危険性を孕んでいることを知ってほしいのです。

ちなみに、Aさんは過去に信頼している知人から「僕らは天才ではなくて、凡人だ。だから目の前の出来ることを着実に進めていく必要がある。」との話を聞いて、“凡人として”活躍するための人生の戦略を練っていました。

前述したように、私はAさんの考え方が悪いとは思っていません。

ですが、天才と揶揄される〇〇さんが成し得るレベルに達することは私たちには到底無理で、私たちの手の届く範囲の中で最善を尽くせるように日々過ごすのだ、という目標設定の仕方は、本当に最適解なのでしょうか。

もちろん、自分に合ったやり方、順序で進めていくことは重要です。受験勉強や就職活動の仕方も、仕事への取り組み方も、自分にとって最適の手段を模索することの有用性は十分承知しています。

けれど、自分は凡人だから、と天井を決めて物事を考えることによる弊害も、多少なりともあると思ってます。

これは、同じ目標を掲げる天才と凡人の話ではなくて、たとえば5万人のファンがいて、ディズニーを超えると公言する〇〇さんと、それは私には到底叶わない願いであり、手の届く範囲でできることを探す大学生のAさんのお話。

私が就職活動を進める中で、とある社会人の方にこう言われました。

「君(ネク)は将来どうなりたいの?」

「たとえば、企業の部長クラスになりたいと考えてる人が、部長クラスになるための努力を続けていても、取締役クラスにはなれないよね。」

この言葉が強く印象に残っていて、目標はなるべく高く設定しよう、と心掛けるきっかけとなりました。

天才〇〇さんと同じことをしても、Aさんや私(ネク)は同等の結果を残すことは(恐らく)できないし、比にならない努力量と適切な目標設定や手段を講じなければ、最悪目標から遠ざかるなんてこともある。

それでも、天才〇〇さんの立つステージに上がることを諦めたら、きっと人生を振り返ったときに後悔してしまうと思う。

「たとえ無理でも、やれることはすべてやっておけば良かったなあ。」

そんな悔しい思いをしたくない。してほしくない。

天才〇〇さんと比べて、自分には時間も、能力も、ノウハウも、人脈も、学歴も、お金も、信用も少ない。

天才〇〇さんはYouTubeやオンラインサロンで頭の中を少しずつ見せてくれているし、過去に失敗した経験や成功した戦略は本や記事で教えてくれる。

そんな情報も武器にしながら、凡人なりに「やりたいことをやる」人生を歩んでいきたい。

おわりに

さて、今回は「何者でもない事の自覚」「99%の凡人である事の自覚」について綴ってきました。

「私だけは特殊な存在」と考えることは必ずしも悪いことではなくて、みんなそう思っているのを知り、配慮することが大切。

「天才〇〇さんだからできるんだ」と決めつけるのは、自分の天井を決めてしまう危険性を孕んでいて、なるべく「自分のやりたいこと」を大事にしてほしい。

上記2つは似て非なるもので、視野を拡げるきっかけにしてほしいです。ぜひ、自分ごとに当てはめて物事を考えてみてください。

そんなメッセージが伝わってくれたら嬉しいです。


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