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ネコがいるなら、どこでも。

飛行機のシートベルトサインが付き、電気が付き、あと少しで着陸態勢だというアナウンスが流れると、ああ家に帰るのだなと思う。
今回はどっちの家に帰るんだっけ?

寝ぼけていると分からなくなる。私はイスタンブールから東京を飛んでいるのか、それとも東京からイスタンブールを飛んでいるのか。

イスタンブールに戻るときは、やれやれという感じがする。
だいたいが日本での暴飲暴食で疲れているし、イスタンブールの家は不在にすると何かが壊れるので、今日は暖房は付くのか、洗濯機は動くのか、お湯は出るのか、
きっと何か1つは壊れているだろうけど1つなら我慢しようという気分になる。

日本に戻るときは、着いてまず何を食べるか考える。
空港でラーメンといきたいけど、その日の予定だったり乗継の交通機関の関係で以外と難しい。居酒屋かコンビニになるとして、最初に食べる故郷の味を何にするのか考える。

そしてどこにいてもネコのことを考える。

うちのコ。名前はたぬき。

直行便で12時間、時差6時間の2拠点生活を続けて、私は達観した。
無いと困る調味料も、好みの服も、日常生活の細々としたもの、例えばシャンプーとか爪切りとかお気に入りのものは「どっちか」の家にしか置いていないから、結局のところ根っこは1か所だ。

どこでも住めるとしたら。どこでも住めるとしても。体は1つしかない。

もう少し近かったら同じものを2つの家に置けるだろうか?
いや、日本に帰って1回お風呂に入るだけで髪の毛がサラサラになるので、日本の軟水にあうシャンプーとトルコの硬水にあうシャンプーは違うし、緑茶は色の出方が違うし、紅茶は香りが違うし、結局、どちらかの拠点を中心に、行ったり来たりするしかない。どちらにいても、私は私だ。

でもそうしたら、私に根っこを張らせてくれるものは何なんだろう?

そんなことを考えていた時にコロナ渦になり、私はイスタンブールに閉じ込められた。
まず飛行機が運行を止め、日本に帰ることが出来なくなった。
ヨーロッパとの陸の国境が閉鎖され、イスタンブールから県を超える移動に許可証が必要になり、土日はロックダウンで徒歩圏内の移動以外は禁止された。

イスタンブールのモスク(イスラム寺院)

そして私は猫を拾った。

猫を拾うまでは色々あって、まずはイスタンブールの地域猫活動について説明したいと思う。
イスタンブールは路上動物に寛容で、法律でも路上動物の権利が認められている。野良犬や野良猫はそこにいる権利があるので、虐待は刑事罰の対象になり、えさをやったりかわいがることは奨励されている。

奨励というのはつまり、自治体が猫ハウスを設置したり、学校の課外学習で子供たちが野良猫に餌をやったり、獣医が野良猫の治療を格安で引き受けたりしている。

ドラッグストアの入り口にも猫ハウス

しかし猫は際限もなく増えてしまうものなので、TNR(野良猫の避妊去勢をして地域で見守る活動)も盛んだが、100%管理されているわけではないので、まるで悲鳴のような発情期のネコの声や、いわゆるネコ害はみんな受け入れている。(そもそもイスタンブールは人間もうるさいし、道も汚いし、ネコがいなかったとしても洗濯物にはカモメの糞がつくから外に干せない)

イスタンブールに閉じ込められた私は、家の付近を散歩するようになり、
ネコにえさをやるおじちゃんやおばちゃんと知り合った。
うちの近くはネコが多かったので、ネコのケンカの声が煩いと思っていたが、不思議なことに、ネコと顔見知りになり、ネコが好きになるとその悲鳴は全く聞こえなくなった。もちろん聞こえているけど意識しなくなった。

そして何匹かのネコの成長や死を見届けて、とある縁で子猫を拾ったのだ。

保護した翌日のたぬき

子猫を拾って私の生活は一変した。
朝と夜のえさの時間は必ず家にいるようになった。
なんとなくの外出がなくなった。
地域の人にネコが好きな外国人として認識されるようになり、
ご近所さんに話しかけられるようになった。
ここが自分の場所だと思えるようになって、根っこが生えた。

もしも、どこでも住めるとしたら。
それでも私はイスタンブールに住み続けよう。
猫を拾う前なら、住みたいまちの名前はたくさん挙げられたし、どこにも定住せずに移動しながら生きていく事だって素敵に思えた。

その生き方は今でも素敵だと思うし、何よりも世界中に素敵なところはたくさんあるけれど、大事なのは自分の居場所を見つけることだと思う。
いつだって幸せは自分の心が決めることだから。

今の私は地味でひっそりした暮らしだけれど、やっと見つけた根っこを大事にしていこう。そして願わくば猫に長生きしてもらって、なるべく長く一緒にいたい。

たぬき長生きしてね。

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