死刑。すこし殺処分も。①
いきなりド暗くてドヘビーなタイトルだけど、内容は超浅いのでご安心(?)を。なぜならまだ考えが深まってないから。まだ本気で考え抜いたり向き合う気合いがないから。
保護犬・保護猫に関わる身であれば、殺処分は身近なテーマやね。「殺処分ひどい!かわいそう!どうにかしたい!」というところから動物愛護の世界に興味を持つ人は多いのでは。わしも最初そうだったし。ただし、近年はわしのテーマではないし、その話はまたじっくりしたいので、今日は人間の死刑のことをメインに。
「人間の」とわざわざ書いたのは、死刑と殺処分は違うということはもとより、他者の命を断つということにおいて人間と動物は違う、のか、それとも違わないのか、何が違うのか、ということからも考えたかったから。
今日、この記事↓を読んだんよ。大変興味深い記事だったのでオススメ。
この事件についてはかねてより興味を持っていた。悪趣味で下世話な好奇心もあるし(すみません)、生まれた時からずっと施設暮らしをしている重度障害を持つ親族がいる身でもあるし、ペットの殺処分というテーマから人間の死刑制度についても考えるようになりはじめたこともあるし、そして何より、被告の犯行理由を要約すると「不要な命は殺処分するべき」という恐ろしい主張において。まあ、実際の犯行動機はもっと浅そうな気がするので(アホなのかラリってたのか)、本気で取り合うつもりはないけど、本人の主張はそうだよね。
わしは、死刑制度についての考察どころか、賛成か反対かもまだ少々揺れ動いとるんよ。
ずっと賛成派だったけど、ここ10年くらいは反対派。
冤罪を生み出してしまう可能性、死刑にしたらそれですべてOKなのかということ、そして一番は、「命で償わなければならないほど殺人が罪なのであれば、死刑もまた罪であるはず」という点において。
しかし被害者側からすれば、死刑は犯人への怒りのぶつけかたとして死刑は必要かもしれないよね。大切な人を殺されて、何年かしたらシャバに出てくるなんて許せなくね?私が被害者家族だったら、復讐を考える。死刑にしてくれと懇願するくらい、ひどい目にあわせてなぶり殺したいと思うはず。そう、被害者関係者を新たな加害者にしないためにも、報復という意味での死刑は必要なのではないか。
あとは現実的なところで、財政状況が思わしくない我が国において犯罪者を養うのはお金がもったいないんじゃないの、とも。大金持ち国家だったらいざ知らず、そうじゃないよね。刑務所入ったことないからわかんないけど、花輪和一の漫画『刑務所の中』(名著だよ)を読む限りだと、そんなに劣悪な環境じゃなさげ。だったら犯罪者じゃなく、ホームレスとか貧困者とかを養うのにお金使うほうが良いんじゃないの、とか感じちゃって。
でもやっぱり、死刑制度はなくて良いかな。
だってやはり、野蛮で短絡的すぎる制度じゃない?
目には目をのハムラビ法典から一歩も進んでないし、死刑にすりゃすべて解決するわけでもないし、殺人がダメなら死刑もダメじゃないと矛盾するし、死刑を宣告したり実行したりする人も苦しんでると思うし。
じゃあどうすべきか、ぜんぜんわかんないけど。
代案なしの意見なので、堂々と「反対派」じゃなくて「なくてよい派」です。
とくに今回の場合、死刑にしたら「社会に不要な命だから殺す」という被告の狂った言い分を認めてしまうことになるのでは?
はたまた、「障がいがあろうとなかろうと、殺して良い命なんてない。すべての命は大切なものだ。それを奪った被告は最大限の償いをするべきだ。」というのが死刑の理由だとしたら、これまた大いに矛盾よね。
うーん。どないしょうかね。
って、当然だけど決める立場じゃないんだけどさw。
この神奈川新聞の記事がすごいところは、被告と面会してきて、弁護士もとおさず向き合ってきたある遺族にスポットライトを当てているところ。詳しくは記事を読んで欲しいんだけど、その遺族の言い分と矜持もまた、理解できるのよね。
むむむ。難しい。
このテーマはもっと考えたいし、このまま書くと超長編になっちゃうので、何回かに分けるね。と言いつつ、次回がいつなのかは気分によりますので悪しからず。
みんなも考えてみてにゃす。わしには難しいし……。
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