見出し画像

下痢しても食べたい物を食べる父

胃が1/3しかない83歳要介護2の父は、便秘や下痢を繰り返す。

1月29日は、午前1回午後1回下痢が出ちゃって、紙パンツを交換した。もよおしてからトイレに急いでも間に合わない。

私は父の寝室の布団を干して、掃除機をかけたついでに、リビングの掃除もしたかったので、昼過ぎ出かけて、道の駅でごぼうの漬物買ってくればとすすめてしまった。

下痢の時に、繊維が多く消化に悪いものはよくない。私の都合で勝手な提案をして申し訳なかった。体調悪いなら出かけない方がいいねと言ったら、「何があろうと食べたい物は食べる」と言ってでかけてしまった。

入院前は、気分が悪いと食べたくないと言って、食事を抜くこともよくあった。だが入院中は、吐こうが下痢しようが、食事の時間はやってきて強制的に食べていた。出されたものは、できるだけ残さず食べる方針らしい。

病気をして父は変わった。頻尿を病気と認識するようになった。

外出から帰った父は日なたでスーパードライを飲んでいた。その後15時過ぎでもお酒を飲みたくて、アーモンドと小魚をつまみながらワイドショーを見る。買ってきたごぼうも出してくれと注文は多い。

この日の買物は少なくて、じねんじょそば3人前と黒豆だけだった。いつも煮豆を買って食べていたが、私が煮るのか?豆なんてしばらく煮ていない。砂糖を多めに入れて煮てくれと言われた。私が調味料をケチるのを父は知っている。

下痢ごときでクヨクヨした私がバカみたい。朝昼の食事の何が悪かったのか考えた。栄養士が考えた病院食でも下痢するんだから、素人の料理などいた仕方ない。

とここで愚痴を終えて投稿するはずだった。眠くなったので20時に寝てしまい、下書き保存していたら、深夜に起こされた。

25時頃、物音で目覚めた。猫かなと思ったら犯人は父だった。「トイレの電気がつかないんだ」、まさか停電?

廊下の照明をつけ、トイレの照明もつけた。父は、トイレと私の部屋を間違えていた。父の部屋には、引き戸とドアの2か所出入口がある。たいていは引き戸を使うが、トイレはドアから出た方が近い。近道をしたら迷子になってしまった。

深夜の迷子は今までもあった。母の寝室に入ってしまったこともあった。母は突然の侵入者に「気持ち悪い」と嫌悪感を示した。何かあるとそのような態度をとる母を私は軽蔑している。

夜のトイレは、尿瓶の使用で解決したと思っていた。これからは夜の下痢問題も考えないといけない。ポータブルトイレを設置するほどではないが、昨日は食べ過ぎたのか?もちが消化できなかったのか?

すっかり目が覚めてしまい、ゲームを少ししても眠れそうになく、ノートを書くことにした。夜のトイレ介助を甘く見ていた。起きて、手伝って、寝るのはそう簡単ではなかった。こういうことにも慣れが必要だ。慣れるしかない。鋼(はがね)のメンタルがほしくなった。笑って何事もなかったようにすませたいが、父の「俺が死んだら……」が心に引っかかる。

入院中に死ぬのかもしれないと何度となく思ったようだ。年を取ると、身も心も弱くなる。弱さを表に出せる父にはやさしくできるが、真逆で強がるばかりの母には同情も心配もしたくない。私は自分を守るために、父の世話はするが、母には関わらないと決めた。

タイトルから離れた話になってしまった。母への不満はあまり書きたくないが書いてしまった。これくらいでやめておこう。