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観察力と描写力

 最近プロの作家さんの書いた本を読んで感じたのは、自然や季節の移ろい、人物以外の背景や周囲の様子をうまく文章の中に取り入れていることだった。素人の私の文章には、そのような描写は皆無だ。そもそも観察していないから、気づかない、書けないとも言える。

 小学校の頃から図画工作が苦手だった。風景を写生するために、外に連れ出されても、目の前のパノラマを見ずに、適当に絵具を筆になすりつけて画用紙を埋めていた。よく見て描きなさいと言われても、何をどう見れば、似せて描けるのか分からなかった。残念ながら、観察力がないから描写力もない。これを今からどうにかする方法はあるだろうか。

 漫画家の羽海野チカさんが、将棋漫画を描くために、将棋会館へ取材に行った時、対局室だけではなくあらゆる場所の写真を撮ったそうだ。窓から見える風景、廊下やトイレなど直接関係のないと思われるものも、背景として必要になるからだろう。

 林真理子さんが「夫が作家だったらどう思うか」と聞かれ「自分が観察しているように、相手からも観察されたら耐えられない」と言っていた。

  プロと素人は、観察力に大きな差があるのか。意識して観察しないと、他人の心の動きは想像できない。先日noteで、牛丼屋で不審な行動をする客を観察した記事を読んだ。その時は、どんな場所でも観察すればネタになるんだなあと感心した。しかし、今ならあなたの観察力を磨けばすごい作家になれるかもと教えてあげたいわ。

 私の観察力の欠如は、他人への無関心が原因かもしれない。私の母は逆で、父や近所の人々がどうしたこうしたをいちいち報告してくる。私からすれば、隣のおじさんが犬の散歩をしようが、ゴミ出しに行こうがどうでもいいことで、知ったところで「ふーん」としか反応できない。年とって見聞きしたことを口に出して言わないと気が済まなくなっている。いや昔からそうだった。人の髪型や服装を見てあーだこーだ言っていた。そういうのを疎ましく思っていた。

 でも、私の能力のなさを母親のせいにはできない。反面教師をプラスに昇華しなかった私が悪い。老眼が進み、ピントが合わない視力でもってよい観察はできない。小学校に戻って朝顔の観察日記からやり直すわけにもいかず、いさぎよくあきらめてしまった方が楽かもしれない。