『月夜の森の梟』小池真理子著について
夫で作家の藤田宜永さんを肺癌で亡くして、新聞社からの依頼を受け1年間の連載をまとめた本です。
37年前に出会い、子どもを作らない選択をし、事実婚を続けたが、11年前に入籍をした。夫は肺癌が見つかって亡くなるまで、書くことをやめ、堂々と何もしないでいられるのは病気のおかげと妻に言った。
軽井沢の自然やひとりとなった日常の生活を描きながら、夫との思い出をポツリポツリと書いている。世間からはおしどり夫婦と言われたが、烈しい議論をして喧嘩になり、別れるかもめることはしょっちゅうだった。
「37年前」という言葉が何度も出てくる。二人が出会って、たった37年しか過ごせなかったという思い。「彼の絶望は私の絶望だった。彼の死は或る意味、私自身の過ぎ去った時間の死でもあった。」
夫の病状が深刻になり、それまで読まなかった喪失からの回復について書かれた本を読みあさった。少しでも参考になればと思ったが、どれも理想論にしか感じられなかった。
弱っていく夫の描写は、読んでいるこちらも辛い。余命宣告を受けた家族と残りの時間を過ごすのは、こんなに苦しいのか?時折、両親と過ごした出来事を書いているのも、思いつくままに、亡くした寂しさを書いたのかもしれない。しかし、著者の生活する軽井沢の季節はめぐり、鳥や小動物が現れ、飼猫との日々は続く。連載中から届いた読者からのメッセージを繰り返し読み、泣いたそうだ。
私の心は、揺さぶられ、ちょっと冷静に書くには時間が必要だと思った。だけど、中途半端でも今日思ったことをそのまま投稿しようと考えた。そんなありのままの感想もあってもいいかなと。