#04【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮
■前回のあらすじ■
佐保姫の邸宅から、母子山の頂にある白天社(はくてんしゃ)に帰る途中、いつもは駕籠で門の前まで行く安寧(あんねい)が駕籠を止め、歩いて帰ろうと言い出した。
しかも、蒲公英(ほくよう)の手を取って、まだ何百段とある階段をゆっくりと歩いていく。
未だかつてない事に戸惑いながらも、育ての母との、まるで親子のような交流に胸を躍らせる蒲公英であった。
が、安寧は、独りごととも取れるかのような、蒲公英には全容の良く分からない千蘇我(ちそが)の地の事、人と神の事を話しだした。
蒲公英はその会話が完全に理解できなくとも、今、どこにも出回っていない重要な事を言っているのではないか?と、察する。
そして最後に安寧は
「自分を愛し、人生を自分で決め、自由になりなさい」
「よく聞いて、よく見て、自分で判断しなさい」
という趣旨の事を良い、最後に念押しに
「私の言葉、努々、忘れないように」
と、強く釘を刺して、いつもの安寧に戻り、社に帰って行った。
何か嫌な予感がするも、先ほどの親しみやすさは最早無く、尊敬し、畏怖する「安寧様」に蒲公英は声をかけられずに社の門の前に立ちすくむのであった…。
続きまして天の章、第四話。
お楽しみください。
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#04【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮
墨で「白天」と書かれた提灯が、白天社の門には掲げられている。
そしてその下にはいつも大柄な門番が二人、微動だにせず立っている。
彼らは男子禁制の母子山において、門の前までは特別に入山を許された門番達だ。
白天社の規則により、彼らは肌を見せないような装いをしており、頭には頭巾を被り、手袋と手甲(てっこう)をし、足袋に脚絆(きゃはん)を履いている。
声も出してはならない事になっているので、門番は安寧にすら、会釈で挨拶をする。
頭巾の影の中に目だけが光っている状態で、夜の闇夜の中でその目を見ると、更にその不気味さは増す。
彼らは四方の城から月や週で派遣され、一時的に白天社の配属として勤務する選りすぐりの兵であると、蒲公英は聞かされている。日が傾くと門の前で、こうして静かに立っているのだ。
今、蒲公英の前にある門を守る兵は、東と南の兵。
蒼鏡城(そうけいじょう)と紅鏡城(くけいじょう)から来ている兵だろう。
黒と白の法衣のような服を纏(まと)った彼らは、蒲公英を見て軽く一礼した。
門の影に、この社の講師をしている十重布(じじゅうふ)達の名前と、安寧の名前が彫り込まれている札が掛かっているので、蒲公英は迷わずそこに歩を進め、安寧の札をひっくり返した。
他の札は返っていて、既に白天社には全ての人間が帰っている事が窺える。
蒲公英の名札は無い。
外に出る口実が何もないという事もある。
講師である十重布は帰る故郷もあれば、呼ばれて外で仕事をする事もある。
蒲公英は外に故郷もなければ、仕事で単独で出る事は無い。
安寧と共にある仕事なので、安寧の札が帰って入れば、蒲公英も社内に居るという認識になっている。
不思議な事に、蒲公英が偶にふらふらと外に出たとしても、安寧はとやかく言わない。仕事にも何かを要求した覚えが無い。
それはいつも蒲公英には、信頼されているのか、ここに居場所があるようで無いのか、良く分からない事であった。
よって、蒲公英はあらゆる規則を厳密に沿わねばならない、というわけではないので、前々から門番と会話する事も暗黙の了解で許されていた。
とは言え、必要最低限の会話しかしたことが無い。
顔が良く見えない大男に話しかけるには、蒲公英は小柄で幼かった。
何も気にしないような人物に見えるが、そんな彼女も、彼らに話しかけるには勇気がいるのだ。
それに、彼らと話す事で困った事も起きている。
白天社で修行をしている少女たちは、男を知らないために、
彼らと会話する蒲公英を見て、蒲公英が男だと思うものが多発している。
彼女らは物心つく前からここに預けられている事が多く、
卒業までは紙の上でしか外の世界を知る事が出来ない状態が続くのだ。
彼女らの能力の関係上、余計な知識や穢(けが)れを纏(まと)わないように生きる必要があるが、良いのか悪いのか…。いつも蒲公英には分からないでいた。
「小姓(こしょう)殿」
突然門番が蒲公英に話しかけてきた。
普段ない事に驚いたが、安寧の小姓としての矜持(きょうじ)から、冷静にその場で振り返る。
すると、門番の一人が蒲公英を呼び止めるため、振り返っていた。
「安寧殿の事なのだが」
内輪話のような言い草に『紅鏡城の兵か?』と思いつつも、安寧について何か気が付いた事があるのならばと、耳を貸す。
「気のせいかもしれないが、涙を流していたような気がするのだが、何かあったのか?」
「え?まさか」
思いもよらない言葉に、蒲公英は即座に否定をした。
先ほど話していた相手は自分である。
自分と話していて泣くような事は、安寧に限ってあるわけもない。
それに、安寧の涙など、白天社では誰一人見たことが無い。
この世にいるのかも、甚だ疑問である。
しかし、先ほどの言葉と言い、最近の態度と言い、彼女らしからぬ表情を思い浮かべてはしまう。
否定はしたものの、「まさか」と思いつつ、改めて彼が言った言葉の審議を
逡巡(しゅんじゅん)していると、もう一人の門番が「ほらな」とせせら笑った。
「あの方が泣くなんて事あるわけがない。お前の見間違いだろう。ま、笑う事も滅多に無いが。何しろ“神様”だからな。俺らには分からない事が沢山あるのだろう」
紅鏡城の者と思われる兵士は、「口を慎(つつし)め」と、もう一人を窘(たしな)めた。
蒲公英もムッと、顔を歪ませる。
「東の兵か。安寧様は自らを省みず、この千蘇我の為に動いてくださっている。今もその帰りなのだぞ。無礼な事を申すな」
顔の見えない蒼鏡の兵は蒲公英の言葉を聞くと、小さくため息をついた。
どうせこの者も分からないだろうと、これ以上の会話は無用と思い、蒲公英も社の中に入っていこうとした。
「あ、おい」
そう言いながら蒼鏡の兵が蒲公英の肩を掴もうとした。
が、その手は蒲公英の手に防がれてしまった。
「申し訳ないけれど、今日はこのまま失礼します」
蒲公英は伏し目がちにそう言うと、黒い羽織を波打たせながら門を潜った。
後に残された門兵は、そのまま黙って見送っていたが、どちらとも無しに顔を見合わせると言う。
「あいつ…、目が後ろに付いてるのか?分かっていたかのように俺の手を遮(さえぎ)ったぞ」
「触らぬ神に祟り無し。神の御住まいだぞ?色々あるさ」
提灯の中の火が「ボボッ」と音を立てるのを聞きながら、二人は立ち尽くした。
白い石で主に作られた白天社は、夜でもそれは綺麗で、きらきらと壁肌が灯りに輝いていた。
朱塗りの背の低い手すりが廊下に延々続いていて、良く磨き込まれた廊下もそれに伴い続いている。
この時間、普段は皆灯りを消して就寝し始めているのだが、一番奥の部屋に煌々と灯りがついているのが、遠くからも見えた。
蒲公英の部屋は離れにあり、師寮と修行生の寮の間にある。
白天社の外側の壁と天井は見上げるほどに高く、上に御簾が下がっている。
部屋自体は木造で、少し妙な造りになっていた。
それが更に、白天社に荘厳な気配を漂わせているのだ。
廊下の天井の真ん中に、一直線に向こうまで並ぶ吊灯篭(つりとうろう)は、普段は風に揺られて厳かな景色だが、こうも微動だにせず沈黙をしていると、少し薄気味悪さも感じる。
歩きながら右腕をおもむろに刀の柄にかけて、小さく欠伸をする。
と、先ほど言っていた明るい部屋に近づいた。
そこからは明るいけれど不機嫌そうな声がする。
ここの主を知っているだけに、苦笑と溜息が漏れる。
よく、この部屋の主である彼女の師匠、臥待(ふしまち)は言う。
「あの子は口から産まれた来たのだ」と。
本当にその時ばかりは、蒲公英も大きく頷いてしまった。
現に今も蒲公英は、彼女の部屋の前で彼女に声をかけようとして、
入口で声をかけそびれている。まさかの、戸は全開だ。
矢継ぎ早に喋り狂う彼女の様子を窺うに、現在の彼女の状態は、相当不機嫌か、相当機嫌が悪いかのどちらかだ。
親の仇の如く同僚の女にまくし立てていて、その同僚の彼女が蒲公英を見ているのに教えられず、困惑している姿を見ていたら何だか可笑しさがこみあげてきて笑ってしまった。
夜も遅いので、声を殺してクツクツと笑う。
と、やっと喋り狂う彼女は蒲公英に気が付き、即座に戸の方を見て
「蒲公英!」
と、中々の声量で言う。
その後にその奥にまくし立てられていた女が「おかえり」と蒲公英に優しく微笑んだ。
髪を玉結びにした釣り目の女であるが、心優しい女性だった。
名を千代と言う。
彼女は落ち着いている人間で、世話焼きな性格であった。
で、問題は手前の喋り狂っていた友人、蓮華(れんげ)である。
「蒲公英!!」
来た!と思い身構えると、今度は蓮華は蒲公英に小言を言い出した。
「何でこんなに遅いの!?」
「え?…いや、何故って…。もちろん遊んでた訳じゃ…」
言いかけるが、彼女はいつも言い切る余地を与えてくれない。
肩を怒らせながら、胸倉を掴む勢いで歩み寄って来た。
「そんな事は知ってます!そうではなくて、また危ない仕事をしてきたのでしょう!?」
蓮華はキッと、眉目(びもく)を吊り上げながら、そう二の句を言う。
小さな花と口ではあるが、色白で目など吸い込まれそうなほど綺麗な蓮華。
細く整った眉が怒りに上がれば、言い訳など言う気も削がれてしまう。
彼女とは古くは無いが、とても縁深い仲であると言えよう。
彼女が白天社に来て半年後、ある事をきっかけに出会った。
世話好きが高じて、様々な面で蒲公英は助けられたりもしたが、こういう時は弱ってしまう。
蓮華は護衛と言う役職を毛嫌いしているのだ。
と、言うのも。彼女は漏れなく「男」を見たことが無い一人。
夜の暗がりに静かに門に立つ兵を見て、どんな想像をしているのかは分からないが、あんなのに交じって仕事など…とか、女としての仕事を貰いなさい…などとか、何かと小言を言ってくる。
とはいえ、蒲公英は蓮華が心底自分の身を案じてくれているのだと分かっているので、いつもそれを苦笑しながら聞いているのだ。
「もう辞めた方が良いわよ。危険だわ。安寧様を悪く言う気はないけれど、あなたは女の子なのよ!?」
「あ、蓮華…あの…」
「今朝だって!第二稽古場で貴女が一人で鍛錬しているのを見て騒ぐ子らの滑稽な事!蒲公英とあの“男”という奴らを同じにして欲しくないものね!」
そうだったのか…と、思う反面、むしろ蓮華も男を見たことが無いというのに何を根拠に…と、喉まで出かけてしまう。
「蓮華?あの、殿方もそんなに恐ろしい人ばかりでは…」
「こんなカラスみたいな服を来て、野蛮な動きをするから男なんかと間違えられるのよ!足を広げない!笑わないで、微笑むのよ!」
弱り果てている蒲公英と、無理難題を押し付けようとする蓮華の間を、千代がするりと入り込み、
「まあまあご両人、まずはとにかく、座るといいさ」
蓮華の口火は一度収まり、蒲公英は密かに息をつき、椅子に座った。
その動作も確かに、羽織と刀を気遣うために、どこかサバサバした動きになってしまう。
それに目ざとく気付いた蓮華が、じっとりと蒲公英を見る。
千代は、やれやれ…と、最後に席に着いた。
丸い卓。
彼女らの部屋は簡素で、正面と左横にひな壇ののような床(とこ)があり、後は簡易な机と本棚のみだった。
卓は入口のすぐそばにあり、三人は卓を囲んで、先ほどの喧騒が嘘のように沈黙する。
ただ、蒲公英だけは元からの性格か、
余りこの沈黙を気にせず、ぼーっと窓を見ていた。
ただ壁を四角く抜き、そこに柄の付いた透かしが入った木の枠がはめ込んであるだけの窓であったが、蒲公英はそこから溢れんばかりの夜空の星々が瞬くのを見ていた。
「花の香りがするねぇ、蒲公英。佐保姫の屋敷に行ったのかい?」
千代はすんなりと沈黙を破り、自然と蒲公英に声をかけた。
「あ、分かる?千代姉。私から花の匂いなんて、似合わないでしょう」
違いないね。と、彼女と笑い合うが、蓮華は加わっては来なかった。
「会議は順調なのかい?」
「ああ、安寧様が…何とかするとおっしゃっていたらしい。水菜…じゃなくて、佐保姫も苦労してたみたいだけど、鶴の一声。いくらか落ち着いたように見えたよ」
あった事をそのまま言うわけにもいかず、声を落としてやんわりとそう状況を説明した。千代は肩を竦める。
「力になりたいけどねぇ。今のあたしじゃ、猫の手にもなりゃしないよ」
あっけらかんと笑い飛ばすそんな千代が、蒲公英には眩しく見えた。
清々しい答えに思わず笑うが、蒲公英は両手の指を組んで、若干広げた足の上に置き、ちらりと蓮華を見た。
ぶすっとする蓮華に、蒲公英は最早なんと言ってやればいいのか、お手上げだった。
見かねた千代があからさまに肩から大きくため息を吐き、頬杖をつきながら蓮華を半眼で見つめた。
「蓮華。お前もつくづく素直じゃないねぇ。蒲公英も餓鬼じゃあるまいし、自分の事は自分で分かっているさ。」
その言葉に少なからず戸惑ってしまう蒲公英であったが、確かに嘘ではない。しかし蓮華は、「いいえ」と首を振る。
「子供ではないのは分かっているのよ。でもね、蒲公英。あなたには危機感が無いと言いたいの。しかも、護衛の任についてから帰りも遅くなり、傷も沢山こさえてくるようになったわ。あなたは益々…あなた自身を…」
「蓮華も口を開けば、蒲公英、蒲公英、だな」
「違う!一緒にしないで、千代!!」
怒りのあまりか、彼女は音を立てて椅子から乱暴に立ち上がり、廊下を走り去っていってしまった。
それを、唖然と見送り、静けさが戻った部屋で暫く無言でいた二人であったが、どちらともなくため息をついた。
たまりかね、蒲公英が千代に話しかける。
「安寧様も、何も男子禁制にしなくても良かっただろうに…。ねえ?」
しかし千代は、苦笑した後こう言った。
「まあ、あたしらもあたしらで色々あるんだよ。あの子は…あんた自身を案じているのさ」
一度話を区切って、千代は蒲公英に向き直る。
「面倒がらずに、あの子を追ってやってくれよ。蒲公英」
他意が無いか、少し疑いの目を向けるが、「やだねぇ!他意は無いよ!」と、読まれて釘を刺された。
「しかし、あんな激情家…。色々な人間を見てきたが蓮華みたいなのはとんと、見かけた事が無いねぇ。自分の意志で行動している奴なんて、白天社では蓮華ぐらいだよ」
千代の呟きに蒲公英が首をかしげると、「いや、気にしないでくれ」とあしらわれた。不審に思いながらも蒲公英は、冷えた風が吹く廊下へと足を踏み出した。
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…#05へ続く▶▶▶
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ご興味頂きましてありがとうございます。書き始めたきっかけは、自分のように海の底、深海のような場所で一筋の光も見えない方のために何かしたいと、一房の藁になりたいと書き始めたのがきっかけでした。これからもそんな一筋の光、一房の藁であり続けたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。