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あなたのことを知るための絵

薄々勘づいていたけど、恐らく私にとっては絵を描く行為よりも内省をすることの方が重要で、内省で得た気づきを自分の外部に記録する手段として絵に描いているのだと思う。主題の選択、素材の選択、大きさの選択、構図の選択、筆致の選択、色の選択、そして一番気にしているのが描く対象の選択。具体的な姿を持たない内省に、選択や行為を象徴的に使って絵という物体におこす。完成した絵を見て無意識描いた部分から自分でも気が付かない自分自身について考えてもいいし(夢占いみたい。)、他者との交流に使ってもいいと思う(言語の代用みたいな感覚)。

ところで絵画は、描く行為や物体自体も含めて、作者が意図したことを鑑賞者に伝えるためにある…みたいに教わることが多い気がしてる。もちろん作者の意図を超えた解釈を鑑賞者が受け取ることもあるだろうが。主題を伝えることが絵画の目的だとしてら、デザインやイラストレーションとの違いはなんだろう。絵柄が簡略化されているのでイラスト、みたいな表面的な違いじゃなくて役割としての違いというか…。

作者が狙った通りに意味が伝わらないといけないのは、上記の三つの中だとデザインが一番かな。絵画と比較してのデザインなので、ここで書くデザインとは広告ポスターとか商品のパッケージデザインとか、なんとなく絵っぽいデザインを思い浮かべていますが。
利用目的が明確であるからこそ正確に伝えたい事柄があるのがデザインだと思ってる。
その次がイラストかな。本や説明書の挿絵などを想定してイラストという言葉を使っているけど、これもデザインと一緒で正確に伝えたい事柄が先にあって、多くの場合はイラストの近くに書かれてる文章が情報を伝えているんだけど、言葉にするとあぶれてしまうニュアンスを持たせたり、文章よりも視覚を使った方が理解しやすい人向けに描かれてる場合が多いと思うので、これも伝えたいことありきで描かれる絵なのかな。単純に装飾が目的である場合もあると思いますが。

じゃあ、伝えたい事柄が先にあり、それを正確に伝えることをデザインやイラストレーションが達成しているとしたら絵画はなんのために描かれてるのか。
デザイン、イラストという概念がはっきり生まれる前は絵画がその領域も補ってたのかもしれないけど。例えばバロック時代に描かれたキリスト教カトリック系の宗教画とか。当時は識字率が低かったため、文字の代理としての情報伝達ぐらいの意識が強たったのかもしれない(教えて当時の人)。
伝えたい事柄を伝える、という領域の仕事をデザイン、イラストに卓して絵画の歴史から切り離したとすれば、絵画にしかできない残された仕事ってなんだろうって思う。

自分なりに考えたのは、絵画制作は、特に作者が主題を明確に考えられていなくても、無意識に描いた絵の要素から作者自身の主題を探るための行為である、ということ。もしくは鑑賞者が絵を見る時に何をどう見てどう感じたのか、と認識の過程を分析して鑑賞者がもつ主題を探るためでもある。
描画テストとかロールシャッハテストから一切の制約を取り払ったような感覚が近いかも。

じゃあ私の場合、衝動の認識とその認識の在り方から世界がデフォルメされていく感覚、歪んでいく感覚、みんなと一緒を感じられず世界で一人ぼっちになったような感覚という主題を表現するために絵画を制作している。これは主題について深く考えずに描いた絵を見つめるうちに発見した主題であるが、個人的な主題を発見した以降に制作した絵画はイラストという扱いになるのかという問題が浮かび上がる。条件的に絵はイラスト扱いになるかもしれないが、そんなことない様な気もする。これといった理由はまだ発見できないけど、主題の提案者と絵の製作者が一致した場合は絵画寄りになりそう。私がイソップ物語の挿絵を描いたらイラスト扱いやけど、ヘンリー・ダーガーが書いた小説に彼自身が絵をつけたらイラストの領域を抜けた絵になる気がする。それなら、私がイソップ物語の主題に完全に共感して挿絵を描いたらどうなるのか…今日の自分にはわからないです。

自分自身を知るための絵をたくさん展示して、あなたのことを知るための鑑賞をしつこく繰り返せば、きっとその中に現代ならではのなんとなく共通した価値観とか主題などが浮かんでくるハズ。
それを繋げていけば美術史というか人間史みたいなのができるのかなー。



8/15
絵画は思想、行為、実物が重要でイラストは図像が物体に貼り付けられて目的を達成したときの姿が重要なのかもしれない

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