秘密屋 ー白雪ー
私の店からほんの少し離れた路地裏に『秘密屋』はあった。前回来た時と同じ黒い服を着た細い男が座っている。蜘蛛みたいだ。墓場まで持っていくような秘密を売っていると言う。そんな胡散臭い蜘蛛の巣にわざわざ引っかかりに行くなんて本当に馬鹿げてる。だけど、他に白雪ちゃんの最後の言葉を知る方法は思いつかなかった。白雪ちゃんが亡くなってから半年ほど経つが、家の中にその存在は感じるのに姿は見えないし夢にも出てきてくれない。
「お待ちしてました。」
近づくと秘密屋は薄ら笑いを浮かべて言った。やっぱり馬鹿げている。きっと適当な事をもっともらしく言ってお金だけ取る気なんだわ。そう思いながら正面に立って秘密屋を見下ろした。明らかな嘘を言うならお金は返してもらおう。秘密屋は机の下から黒い袋を取り出し手招きする。深夜二時過ぎ。周りに誰もいやしないのに耳打ちだなんてもっとお金を要求されるに違いない、と眉をしかめたまま近寄ると、秘密屋は黒い袋からふんわりと乳白色に光る小さな玉を私の目の前に出した。
「…なに、これ。」
「白雪さんの『秘密』です。耳を近づけると聞こえますよ。」
これが?信じられない気持ちのまま耳を近づける。と、小さな声でーありがとうーと聞こえた。
「ふざけないで。これは白雪ちゃんの言葉じゃないでしょう?亡くなったペットならお礼でも言えば喜んで謝礼も弾む、とでも思った?こんなありきたりな言葉で誤魔化せないわよ!」
私の藁をもすがる想いを馬鹿にして!と怒りに満ちた目で睨むが秘密屋は涼しい顔で光るピンポン玉を近づけてきた。
「覗いてみて下さい。」
ぼんやりと乳白色に光るピンポン玉。じっと見ると中に何か…あぁ、白雪ちゃん。白く柔らかな毛並みにグリーンがかった瞳。白雪ちゃんだ。
秘密屋から玉を受け取り手に乗せる。少し冷たい感覚はあるが、何かを持っている感触は無い。重さも硬さも感じないけれど確実に私の手の上にある玉の中央に白雪ちゃんが見える。私はもう一度耳元へ近づけてみた。
ーありがとう。最後にお水飲ませてくれて。ー
ありがとう、だなんて。もう体力が無くて頭を少し動かしただけの口元にスポイトで数滴、水を含ませてあげるとポトポトと流れ落ちた。それだけ。濡れた口元を開いて白雪ちゃんはすぅっと静かに動かなくなった。
私は白雪ちゃんに何もしてやれなかった。あの日ただ箱の片隅で小さく鳴く汚れた猫を拾っただけだ。それだけ。病気は医者が診てくれたし、食事は店の常連さん達が持ってきてくれた。買ってきた猫用ベッドは気に入られず、いつも私のベッドに潜り込んで寝てた。プレゼントは大抵無視され、包装紙やリボンや箱はボロボロになるまで遊んでいた。帰るといつも鳴きながら玄関までやってくるけど、飲みすぎて帰るとどこかに隠れて出てこなかった。利口な猫。
気に入らない餌は前足で砂をかける動作をして抗議した。私のお気に入りのソファは爪とぎで角が全てフリンジ状態にされた。悪い猫。
猫のくせに表情豊かで、よく手入れされた毛並みは艶やかで、グリーンの瞳も聡明で綺麗で、自慢の相棒で親友だった。大事な猫。
私をまた1人にするなんて。酷い猫。
もう一度しっかり姿を見ようと、目に浮かぶ涙を拭く。白雪ちゃんがまた口をぱくぱく動かしているので耳を近づける。何だろう。お礼なんていいのに。
ーキラキラした丸いやつ、遊んでて寝るとこの奥に入れちゃった。ー
キラキラした丸いやつ。ダイヤの指輪だわ。無いと思ったら白雪ちゃんがクッションの奥に入れてたのか。
ーちゅーるも好きだけど時々はカリカリも食べたいな。私のお気に入りのやつ、よろしくねー
お気に入りのカリカリ。クリスピーキッスかな。ふふ、と頬が緩んだけれど秘密屋と目があった。軽く咳払いをして、もう一度玉を覗き込む。さっきより光が弱くて白雪ちゃんも少しぼんやりとしている。
「待って、消えちゃうの?」
ーにゃあー
白雪ちゃんは消えた。煙みたいに光っていた玉も消えた。さんざん喋っておいて、最後は「にゃあ」だった。
「知りたかった言葉は聞けましたか?」
相変わらず薄ら笑いの秘密屋が聞いた。そうだ、最後に口を開いて言いたかったのは何かを知るために秘密屋に来たんだった。
「最後の言葉…そうね。猫だもの。にゃあ、だわ。」
ふ、と顔が綻んだ。夜が明けたらクリスピーキッスを買いに行こう。
「ありがとう、秘密屋さん。」
秘密屋に謝礼を入れた封筒を渡して歩き出す。路地裏から出ると来る時には賑やかだった看板はみんな消えていた。夜空にはまだ煌々と星が瞬く。そうだ、ずっとそのままにしていた白雪ちゃんの寝床を整えよう。クッションの下から指輪を探さなくちゃ。
あと2時間ほどで空も少しづつ明るくなるだろう。
え!?サポートですか?いただけたなら家を建てたいです。