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ドーナツ 十一個

妊婦はお腹の赤ちゃんの為に穏やかに過ごしましょう。
と雑誌に書いてあった。
だから久しぶりの実家でゴロゴロ、じゃなかった伸び伸びと過ごしているのに高木真子は苛々していた。真子とは対照的に穏やかな表情を浮かべる派手な若い女は淡いブルーの小袋を真子に差し出したまま玄関に立っている。
「きっと元気な赤ちゃんが産まれるよ。」
「きっと、って何よ。要らないって言ってるでしょ。帰って。」
最初は丁寧だった真子の言葉遣いもいつの間にか乱暴になっていた。最初から敬語も使えない若い女はずっと貼り付けたみたいな笑顔を浮かべている。
「本当に美味しいんだって。だからぁ妊婦さんにもあげなくちゃって思って持ってきたの。私だけ食べたんじゃ何だかズルいでしょ?」
何なの、この女。
母からもらった地味なマタニティワンピースを着た真子の前で、白く長い脚を見せびらかすような短いスカートを履いている。上半身も肩と鎖骨を出しちゃって夏だからって露出しすぎだ。鎖骨にかかる茶色い髪も言葉遣いも態度も何もかも苛々する。
「見ず知らずのあなたから受け取る義理は無いって言ってるの。帰れ。」
「やだぁ、イライラしちゃって。これ食べたら幸せな気持ちになれるよ。初めましてだけど、知らない仲じゃ無いんだしさ。ね、食べてみて?」
何かこう、本能的に腹が立つ。
真子は若い女を両手で強く推し出し、急いで玄関のドアを閉めた。
「ちょっと、開けてよー」と言う声とチャイムの音が暫くしていたが、やがて静かになった。
そのまま待っているとガチャガチャと鍵を開ける音がして玄関のドアがゆっくりと開いた。
悲鳴をあげそうになった真子の顔を見て母親が目を丸くして立っていた。
「何?どうしたの?」
「お母さん、聞いて。今ここにー」
ほっとしながら話し始めた真子は母親が片手に淡いブルーの小袋を持っているのを見て固まった。母親は真子の視線に気付くと淡いブルーの小袋を真子に差し出した。
「はい、これ。外で若い子から真子に渡して欲しいって預かったわよ。喧嘩してるから会えないって言ってたけど、あんな若い子と喧嘩するなんてー」
真子はまだ母親が言い終わらないうちに小袋を掴み取ると、台所の蓋付きゴミ箱へと放り込んだ。
「喧嘩どころか知らない女なのよ。会った事もないのに手作りドーナツ食べろって意味分かんないでしょ?やっと追い返したとこなのに、受け取るなんて!」
真子の剣幕に母親は驚いたが、妊娠中なのだから情緒不安定なのだろうと優しく頭を撫でてやった。
「あんまり怒るとお腹の子がびっくりしちゃうわよ。」
真子は私が子供みたいと思いながら頭を撫でられた。久しぶりに触られた暖かく優しい母親の手。
しっかりしなくちゃ。今度は私が母親になるんだもの。
そう思いながら『初めましてだけど、知らない仲じゃないんだし』とはどういう意味なのかと考えていた。変な女の言うことなど気にする必要は無いと思うけれど、何だか胸がざわついて嫌な感じがする。


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箔玖恵
え!?サポートですか?いただけたなら家を建てたいです。