ドーナツ 五個
「ママ今日の夜ご飯何?すごく甘い香りがするんだけど。」
高校生になる娘の彩が鼻をクンクンさせながら階段を降りてきた。
薫がテーブルに皿を置くのを見て首を傾げる。
「唐揚げ失敗したの?」
「ドーナツよ。」
嬉しそうに次々と真っ黒なドーナツを乗せた皿をテーブルいっぱいに並べている薫を見て今日は珍しく機嫌がいいんだな、と思った。
「夕食にドーナツってのも変だけど、この量もあり得ないんだけど。久しぶりの千鶴叔母さんは嫌味言わなかったの?」
母親と叔母が姉妹なのにあまり仲良くないのは分かっていた。伯母は彩を可愛がってはくれるが前髪が長過ぎるとか細かい事に口煩い。
「美味しいドーナツの作り方教えてくれてね。ほら、どうぞ。」
彩の鼻先にドーナツを皿ごと差し出す。彩は甘い香りを吸い込んで唸った。
「うーっ、ダイエットしてるの知ってるでしょ。」
「このドーナツは太らないよ。」
「そんなドーナツ無いよ。今日は私、夜ご飯食べないからね。」
普段なら怒るのに、薫は笑顔で皿をテーブルに戻すとドーナツを一つ手で割って見せた。ほろりとした断面から立ち昇る甘い香りは彩を掴んで離さないかのように強い。
「甘くて美味しいのよ。ほら食べてごらん。」
「甘いのが問題なんだってば。ここで食べたら努力が水の泡になっちゃう!」
しっかりと抱え込むような甘い香りの見えない手を振り解くかのように彩は強く首を振った。
薫は割った片方を彩に差し出しながら、もう片方の断面から甘い香りを吸い込むと彩を見ながらゆっくりと見せつけるように食べた。
「あぁ美味しい。ほら半分だけ、ね?」
彩はごくりと唾を飲み込んだ。香りだけで喉が甘く感じる。
「酷いよ、ママ。明日友達とプール行くんだから今日は絶対に食べない!」
「そうだったね。じゃあ明日持って行って友達と食べる?」
彩はうーん、と考えた。
「今日食べたら明日太っちゃうけど、明日食べたら…太るのは明後日かな?」
根拠の無いおかしな理論に薫は笑顔で頷いた。
「うん、じゃあ明日持って行って友達と食べるよ。太る時はみんなも道連れだ!」
「皆んなで食べたら、もっと美味しくなるよ。」
嬉しそうな薫の笑顔に彩も何だか嬉しくなった。今日の母はずっと笑顔だ。何でだろう。
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