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ドーナツ 四個

車外に漏れ聞こえるほどの大音量で音楽を流しながら薫は車を走らせていた。
実家までは車でニ時間程。何かあれば行けるが些細な用なら行かなくていい丁度いい距離なのを良いことに父の面倒は妹の千鶴に任せっきりだ。
千鶴は実家に住んでいるのだから当たり前だと思うが、会えば父の事ならまだしも近所のゴミ出しの仕方が悪いだの、路上駐車が気になるだのと薫にはどうでもいい愚痴を言い、最終的には長女なのに何もしないと薫を責める。それが嫌で益々足が遠のいてしまうが、それでも千鶴は三日に一度は電話をしてきて愚痴を言うから実家の様子は分かっていた。
その迷惑な愚痴電話がぱたりと来なくなった。暫くは静かでいいなとそのまま放っておいたが、二週間過ぎると何かあったのかと気になってきて、とりあえず電話をかけてみたが誰も出ず、仕方なく車を走らせている。
実家は緑区と言う名前に相応しく緑豊かな住宅街だ。と言えば聞こえがいいがハッキリ言うと田舎だ。田舎すぎて歩いている人もいない。昼間だというのに何の音もしない。薫が最近少し耳が遠くなったせいではなく、他に車も走っていないし犬を散歩する人もいない。
薫は実家の玄関前に車を雑に路上駐車すると玄関のチャイムを押した。
家の中でチャイムが響くのが聞こえるが、千鶴の足音どころか人の気配がしない。溜息をついて面倒臭そうに鞄の中を掻き回し、やっと見つけた実家の鍵で久しぶりにドアを開けた。
「千鶴いる?」
声をかけながら家に入るとクーラーが着いていないらしく酷い熱気に押し戻されそうになる。
「千鶴、いないの?お父さん、どこ?」
家の中は綺麗に片付けられていた。廊下も階段も何も置かれていない。
ーー変だ。
千鶴は元々片付けが苦手で、いつも玄関に空のダンボール箱が積まれていたり廊下に買い置きのトイレットペーパーが置かれていたのに。
居間のドアを開けると、甘い香りが広がった。熱気と混ざり合って息苦しい。床や台所も綺麗に掃除されているが唯一テーブルの上に大きな皿が置きっぱなしだ。
皿を出したまま出かけるだろうか。いや、まさか。綺麗に家を片付けて最後に美味しいものを食べて、無理心中…いやいや、まさか。
居間の奥から父の部屋へと続く廊下を進む。父の部屋の引き戸は少しだけ空いていた。
「お父さん?」
建て付けの悪い引き戸を力を入れて引く。
むっとするような強く甘い香り。
薄暗い部屋の中央に敷かれた布団が盛り上がっている。
この暑いのに布団をかぶって寝ているのだろうか。それともまさか…。
薫は布団の端を恐る恐る持ち上げた。
ざぁっと乾いた音を立てて無数の黒いものが四方へと転がった。一瞬虫かと思ったが、不格好で歪な泥団子のような黒い塊。その黒い塊の中に父が横たわっていた。寝ているーいや、違う。
目を見開き口を開けた父の腹部から、わさわさと黒い塊が出てきて床中に広がっていくのだ。
声にならない悲鳴を上げ、倒れそうになるのをようやく引き戸に捕まって耐えた。
死んでいる。父が、死んでいる。
足元に黒い塊が来ないように後退りながら何とか部屋から出ようとすると、父の口がぱくぱくと動いた。頭部がゆっくりと動き何も見ていない、黒目のない濁った目が薫に向けられる。
「そこにいるのは、誰だぁ。薫かぁ。」
言葉にならない悲鳴を喉から絞り出し、転がるように廊下から居間へと逃げた。
「ち、千鶴!千鶴!」
妹のいる気配は無く、振り向くと父の部屋から黒い塊がかさかさと廊下へと転がり出している。
何だか分からないけど、警察に連絡しよう。
泣きながらポケットから携帯電話を出した薫はテーブルの上の空だった筈の皿に山盛りの黒いドーナツが乗っているのを見た。

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箔玖恵
え!?サポートですか?いただけたなら家を建てたいです。